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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

意味を考えること!(自分の傾向を考えてみる 4/10)

2015-05-28 | 第一章「意識と知覚」

 自分が撮った写真を後でPCにアップしたりして眺めると、時として何か写真の意味を考えてしまうことがある。この写真も、紫陽花の花と葉が不思議な空間を形作っているが、それは何か私に伝えようとしているのか・・・そんな妄想にふけったりする。

 私は、若いころは理科系であり、確率論などは好きなほうで、無味乾燥的な物理的世界を好んだ時期があるが、今はそんなことは全くない。あなたと今日であったのは、確率的にはこうでなんて考えることはまずなく、何等かの私の頭を超えた意味(それも深い)があると思うし、病気になっても、風邪のウィルスにやられたと考える以上に、自分にとって休息が必要だったかもしれない、そんなことをウィルスさんが教えてくれた・・・そんなふうに考えるすらある。

 特に、一般論として否定的にすぐ解釈しがちな現象について、肯定的に意味を考えることが最近増えてきたようだ。

 今読み始めている、「聖書と医学」(パウル・トゥルニエ著)も不思議な本である。著者はお医者様なので科学的に現象をとらえる知識を当然もっているが、もう一つ患者にとっての病気の意味を不思議に深く考えている医者なのだ。そして、これから読むのが楽しみなのだが、普通のお医者さんと何処かが違っているようだ。

 蛇足だが意味を考えるときの注意事項を自分なりにまとめてみた。

 意味を考えると、ぼーとする。目をつぶるとお昼寝の時間になったりする。従って眼をつぶらないほうが良い(しかし、昼寝は気持ちがいい)。それから、意味を考えるときは、他者の眼も少しは気にすることだ。これは小学校のころに学んだ。給食の時に、静かに何かの意味を考えていたが・・・その時担任の先生から突然褒められたことがあった。「森君が静かにしています。皆さんも・・・」こんな風だったと思う。しかし、私は想像の羽をただ羽ばたかせていただけで決して良い子になろうとは思っていなかったのだ。

自分の傾向を考えてみる 4/10

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