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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ヒトとは何だろうか? (自分の傾向を考えてみる 6/10)

2015-05-30 | 第八章「魂と聖霊」

 縄文小説(まだ未完です)を書くにあたって、世界の神話をちょっとは勉強した。日本神話、古メソポタミアの神話、旧約聖書、ギリシャ神話、中国神話・・・その中で私がもっとも興味があることは、ヒトの霊性はどこからくるのか?それを古の世界各国のヒトはどのように考えたかである。

 神があり、神と直接血の繋がりがあったり、なくても神が愛をこめて造ったのがヒト。そういう位置づけが全部のようだ。そうでない神話はあるのだろうか?

 ヒトに備わる魂とか霊魂。それも、当然ながら神の属性と関係する。基本的人権とか、ヒトの尊厳とかを考えるとき、神仏とヒトとの関係に思いめぐらすとなんとなく掴めてくる。

 さて、今朝は心理学者ロジャースの人格形成論を考えているのだが、厳密性を要求する人格形成論の文言の中には当然ながら、魂という言葉はでてこない。しかし、直接的経験などの概念を思索していくと、その先に何かが見えてくるようなのだ。

 ヒトとは、身体と心(生育史とか精神という言葉で置き換えられることも)と魂からなる。これは欧米ではよく出てくる考え方のようだ。そして、日本人もヒトを考えるときにどこか、魂を想定しているのではと思うことが多い。まして縄文人は。

 自分をどのように自覚するのか。それによって、いろいろ変わってくるように思う。

自分の傾向を考えてみる 6/10

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