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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

聖地、大栗川の効用!(こころを見つめる方法 5/10)

2015-11-15 | 第二章「五感と体感」

  11月に入ってから、特に忙しかったこともあり、ブログや写真もおろそかになりがちだったが、本日一段落ができ、夕方大栗川周辺を散策した。

 忙しいと、確かに心を亡くすところがあり、感情生活が枯渇してくる。自分なりに生活の中で、生き抜きをする時間をとってはいるものの、このところ天気も悪く・・・枯渇していたようだ。

 枯渇すると感動のない生活になってしまう・・・

 そして、2時間くらい、秋の大栗川周辺をカメラを持って散策したが、天候に恵まれ、富士山付近に夕日が沈む姿までしっかりと見させていただいた。

 写真は、大栗川の番場公園周辺で撮ったものだが、ここが聖地など誰も考えないだろうが、私はかってに聖地ではないかと想像している。そして、この入日を見るときの何とも言えない感動(アースフィーリング)。素晴らしいものがあった。

 何故、ここが聖地ではないかと思ったかであるが、この場所は堀之内の愛宕神社の真南であり、この周辺は縄文遺跡が非常に多い。72、446、・・・さらに、このあたりは、丹沢の最高峰蛭が岳と富士山が綺麗に見え、しかも、冬至に蛭が岳に入日が沈むライン近辺である。

 このラインには、大國魂神社、8世紀の8角形墳の稲荷塚古墳、縄文後期の都内で唯一と思われるストーンサークル(田端遺跡)が線上に乗っている。

 このあたり、戦後の住宅地の開発前は田舎で、私も信じられなかったのだが、時代をさかのぼると江戸時代以前は武蔵野国の中心地で、東海道等の主要街道が集まるところだった。東京の祭りといえば三社祭りが有名だが、時代をさかのぼると大国魂神社のくらやみ祭りが武蔵の国の祭りとして有名だったりする。

 さて、人間忙しくなると、何かに執着し続けるというか、固執しがちになる。すると、心の自由が奪われてしまう。こんなとき、聖地に行くと、何かが違う。聖地は、ある意味無時間的である。先に述べたように10000年前も1200年前も、500年前も聖地といった場所である。そこが、なにか自分の中の執着をほんわかと解凍してくれるようなのだ。

 聖地は、五感体感をうるおす。入日を観る。小鳥やそよ風の音を聴く、・・・リフレッシュとは、五感・体感と実に関係が深いと思う。そして、気の合った人との会話があればもっとよい。さらに、祈りの場所に行くというのも良い。

 祈りの場所は、リフレッシュと関係ないと昔は思っていたが、年を重ねると、すごく関係があると思うようになる。実際、地域の活性化、コミュニティの活性化と神社・仏閣・教会は関係が深いそうだ。

それでは、今日の写真を以下に・・・

  

  

  

 

  

  

  

心をみつめる方法 4/10

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