イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

言葉を発する・・・(こころをみつめる方法 7/10)

2015-11-18 | 第一章「意識と知覚」

今日の朝は、深い霧であった。そして、霧を見ていると、意識と無意識の境界というか、こころの不思議さに想いを寄せてしまうようだ。

昨日はつつじが丘での勉強会で、U先生にこの一年書き進めてきた課題の論文を提出するなど感動的な勉強会であったが、その中で無意識の意識化の問題や日本人の言葉に関する感覚について思いを巡らすことができた。

特に言葉、言霊の問題はなんとも興味ある問題だ。

言葉を単なる物理的な音声として位置付けるのではなく。霊的なもの、神的なものと考え、特別な想いでもって言葉を発する。いにしえはそういう感覚が今よりもっと強烈だったようだ。

万葉集の有名な歌人、人麻呂や虫麻呂の歌にも、そのような感覚や当時の言霊文化がしのばれる。また、私はカトリック、キリスト教の信徒であるが、受胎告知でのマリアの言葉「お言葉どおり、この身になりますように。」が好きだ。

いにしえはそうだったが、今の日本人の寡黙さというか言挙げしない文化は、世界的に見ても群を抜いているように思う。私は、日本が縄文文化の影響を深く受けているのではないかとひそかに思っている。

その典型は、日本書紀や古事記といった国定版の記録はとにかく、山の神をはじめ多くの神々の教義がないことだ(言葉として残されていない)。口をつぐんでいるのだ。これは、先に述べた万葉集の中で感じる文化からでも推測できる。

ただ、こうした文化が良いことかどうかは現代においては何とも言えない。たとえば、私の祖父の兄は芝山岩事件で遭難したのだが、このことについて祖父母は何も私に語らなかった。無責任なことは言わないという精神はわかるのだが、身内として何を感じたくらいは・・・と思ってしまう。

言葉は、神仏・あるいは無意識 対 人の関係もあるが、人対人というコミュニケーションの問題もあるのだ。

生き甲斐の心理学はでは、プロセススケールを大事にしているが、その中で自己表現の大切さを学ぶ。多くの場合自己表現は言葉によってなされる。こころの健康にとっては、口をつぐむより自分の本音等を上手に語るほうが良いのだが・・・

こころをみつめる方法 7/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!