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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

受け入れられない人と和解するには・・・(こころの柔軟体操 5/10)

2015-11-29 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今の世の中、飢えたりすることはないものの、やはり邪悪なことはなくならず、それどころか増えているようにさえ思えてならない。そんな世の中で、生き抜いている人を見ると、何か熱いものがこみ上げる。

 さて、そんな厳しい世の中で、どのような人間観をもっていきるべきか。私たちの世代は、性善説とか性悪説を学校教育で学んだりしたものの、成人してからは人間観については理論的に学ぶことはほとんどないように思う。

 宗教・哲学はさまざまな人間観を提供しているが、忙しく働いている人の反応はどうだろうか?役に立たないと考えるひとは多いように思う。

 自分の経験にてらすと、人は自分の限界を越えた苦悩に向き合うようになるとき、人間観を必要にすることが多くなる。私もそうしたときに哲学書や宗教の本を読み漁った経験がある。人間観を深める時なのだろう。

 さて、心理学を学ぶものは宗教や哲学の専門家ではないものの、しっかりとした人間観を学び身に着けていたほうが何倍もよいように思う。他人をケアする立場にある人にとってだけでなく、自分の人生を大事にしたいと考える人にとってもだ。

 たとえば、憎きAさんがいるとしよう。ふつうなら、憎い相手とは交際しなければよいという知恵を働かすものだが、世の中のしがらみで、どうしても付き合わざるを得ない場合はどうか。まあ、一つの試練の場なのであろう。Aさんを100%邪悪な人と感じることがあるかもしれない。そうしたときどうするか?Aさんは優しい側面もあるが、とんでもない行動をしたりもする。そんなAさんの本質の本質をどうとらえるか。

 和解とか平和、ゆるし・・・それがAさんとの関係でおとづれたらどんなに良いかと願うときもある。しかし、自分がAさんとの関係悪化の一部であったばあい問題は混迷の度を深め、覆水ぼんに返らずという言葉が真理のようにみえたりもする。

 こんな時に、生き甲斐の心理学は比較文化、比較宗教学の知識をもとに次のような人間観を提供する(もともと心理学は欧米で発展したので、キリスト教の影響は大きいが)。

 A=B(X+Y)

   X=Aさんのもつ生育史・・・心理学の対象

   Y=Aさんの物理的な身体・・・医学の対象

   B=Aさんの魂とか霊魂・・・宗教の対象

     なお、キリスト教社会では、人の身体は神の神殿と考える伝統がある。Bは聖霊ではないが、尊い何かと考えても問題ではないのだろう。

     仏教でも仏性を考えたりする。生き甲斐の心理学では暮らしの中の生き甲斐の心理学を思索していることもあり、愛そのものと仮定する。そして、世界の趨勢は、Bをもとに人権思想を構築していると私は思っている。

Aさん(それが自分であってもよい)が邪悪そのもので、憎むべき対象を感じているときでも、Aさんすら信じていないかもしれないBを思い浮かべてみる。その時、和解や平和、ゆるしの可能性が芽生えるのだと思う。

そして、この式を考える時に合わせて覚ぼえていただきたいのは、感情はニュートラルであるということ。邪悪な感情(殺意、憎しみ)をもつ自分を責めてもしかたがない。その感情をどのように解釈するかが大事だ。

こころの柔軟体操 5/10

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