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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

手を汚す役割と罪悪感・・・(役割を考える 5/10)

2016-06-04 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 人工知能の今後の発展は、人類の為になるのか否か?そんな議論が真面目に行われるようになってきて、元IT業界に身を置いた私はちょっと戸惑いを覚えたりする。科学の世界は原子爆弾だけでなく使い方によって危険なものも生み出してしまう。

 IT業界のことをちょっと述べてしまったが、戸惑いとか罪悪感をいだく役割があると思う。極端な話であるが、生き甲斐の心理学で研究している持統天皇などは、天皇の娘として生まれたものの、政治家・為政者の道を選んだばかりに、甥の大津皇子を謀殺しただけでなく、怨霊をおそれ二上山に葬ってしまう。何か二重の殺害のようである。折口信夫が死者の書を書いたが、それを読むと実に恐ろしい。

 しかし、持統天皇は、「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山」などの爽やかな歌を、そんな事件があってから何年かして残している。罪悪感もあったかもしれないが、何か吹っ切れた歌だ。

 罪悪感はその多くは宗教・哲学の領域の問題で心理学では何ともできない領域のようだが、こころの健康(倫理とは別に)の面では、エリクソンの「目的志向性」と「自発性」が役にたつ。

 持統天皇は、恐らく天智天皇の後を継ぎ律令制を完成させたいという目的が明確にあったようだ。そして、20人以上いる天武天皇の妻たちの中で一人、政治状況的に観て希望のある天武天皇と一緒に吉野に逃亡する。そういった強烈な自発性もあった。それゆえに、彼女は役割からくるところの罪悪感に打ち勝ったといえるかもしれない。

 世の中には、さまざまな職業がある。清い仕事に就く人もいるが、そうでない仕事を選ばざるを得ない人もいる。その中でどう生きるか。非常に難しい問題ではあるが、人生の中では避けられない問題でもある。もともと、人間として生まれれば当然ながら生命体を殺して食べなければならない。罪悪感はだれでも避けて通れない問題だ。

役割を考える 5/10

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