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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

季節を想ったり、月を想ったり (月を解釈する 1/10)

2016-07-13 | 第三章「無意識の世界」

 エアコンもなく、電灯も今のように発達していなかった若いころは、季節感も強烈にあり、太陽や月、星ももっと身近にあったように思う。ところが最近忙しい日々を送っていたりすると、季節感が薄らいでいく。今が小暑で写真のハスなどが綺麗だということも、意識しないと通り過ぎてしまう。

 さて、今月の末に勉強会を計画していて、テーマが月であることもあり。今朝久しぶりに月に関する資料を本だなからひっぱり出して眺めたり、季節について考えたりした。天体として不思議な動きをする月。それを人はどのように科学的に解釈してきたか。あるいは、月は美の象徴でもあるかもしれない。文芸や美術、音楽の対象として多くの芸術家が月をとりあげている。

 その中の一つ、今日気になった持統天皇の挽歌がある。夫の天武天皇への挽歌だが、政治家としてもスーパーだった持統天皇は次の歌をどのような想いで歌ったのだろう。

 向(き)南(た)山に たなびく雲の 青雲の 星離(さか)りゆき 月も離(さか)りて  (佐佐木信綱 新訓万葉集)

 向南山を北山と読ませるあたり、持統天皇の頭脳に驚嘆するが、これは潜在的に何を意味しているのだろうかなど考えるとそれこそ一日でも妄想に浸れる。北は天智天皇の山科陵と考えたり、南?に向かう雲(天武天皇)は持統天皇との精神的決別を意味しているのかな・・・などと考えたり、星は子供の皇子を意味しているのかなと考えたりも。あるいは、壬申の乱で天武天皇に賭けた持統天皇が、天武天皇と共に北(天智天皇を暗喩)から脱出した決断の時の経験を天武天皇の死に掛けているのかなど。

 本人しかわからないのだが、実に多重的な歌のように思えてならない。人の心は神秘的で美しくもある。

 そして、蛇足ながら、季節や月を想うのは心の健康にも関係していそうだ。

月を解釈する 1/10

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