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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

得体のしれない何か、心の闇をどうするか?(月を解釈する 2/10)

2016-07-14 | 第一章「意識と知覚」

  恐怖心というのは感情の中でも原初感情の一つともいわれる。そんな感情をはっきりと認識したのが前回の青森旅行であった。津軽半島を最北の竜飛岬までドライブしたのだが、日本海を見下ろす断崖をも通る道で濃霧に会ったのだ。30分くらいそんなドライブをしてたどり着いた竜飛岬も天候が悪かったこともあったが、何かおどろおどろしかった。
  

 そんな記憶もだんだん薄れてきたころ。今回の紀行文をフェイスブック等に載せたのだが、ある知人から、「恐山にいかずして・・・」と叱られてしまった。確かに今回の4泊5日の旅では行けないところも多かった。そして、神社仏閣といった聖地にも、縄文の聖地はあっても岩木山神社を除いて行けなかったのは片手落ちだったかもしれない。恐怖心は決してネガティブだけではない、私は、錯乱から統御感に導いたりする意味のある感情だと思っている。
 
 さて、今朝は月に関係深い暦(カレンダー)について本を読んだり調べたりしていた。カレンダーという言葉も、もともとは新月のあとで「月が出たぞ」caloというラテン語からきているそうだ。ご存知の通り、月は新月ー>満月ー>新月を約30日かけて一巡する。
 
 日本で暦というと、日本書紀で半島から輸入した話など最近のことが話題になりがちだが、縄文時代にも私はカレンダーは在ったと思う。あれだけの定住社会、縄文文化をもちながらカレンダーがなかったとは思えないからだ。約6000年前に人類は初めて文字を使い始めるが、そのシュメール人もカレンダー的なものをもっていた。同時代の縄文時代の祖先も持っていておかしくない。ストーンサークルが縄文時代の遺跡としてのこされているが、そのいくつかは二至二分を意識して場所を選んでいたり印を付けていたりしているようだ。農耕にはカレンダーはとても重要だが、縄文時代も栽培文化をもっており何らかのカレンダーがなければ生活も厳しいと考えられる。

 もう一つ、月は暗闇と仲が良い感じだが、縄文土器の中に釣手土器・香炉型土器というものがある。実際に火がともされなかったケースもあるようだが、形は明らかに火を意識している土器だ。縄文中期の香炉型土器で、表を見ると可愛い女性見え、裏からみると何か蛇体のようなおどろおどろしい化け物に見える。これは研究者によると、冥界分離神話と関係しているとされている。有名なイザナミが神様をたくさん産んだあとに、火の神のカグツキを産んだために焼け死に冥界に行く。それを悲しんだ夫のイザナギが後をおい救い出そうとするが上手くいかず、逆に黄泉の国の住人となって恐ろしい姿で、逃げるイザナギを追いかけるが黄泉平坂で大きな岩で封印されてしまうという話だ。

 日常の中で、心の暗闇・錯乱に遭遇することは、大なり小なりあることだと思う。そんな時、先人がカレンダーを作ったり、冥界分離神話をつくったりし力強く生き抜いてきたことを想うと、元気になれる。

月を解釈する 2/10

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