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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

月は古今東西、どのように解釈されてきたか・・・ (月を解釈する 7/10)

2016-07-21 | 第七章「光と復活体」

 月の満ち欠けをどのように解釈するか。今の人にとっては地球を回る衛星としての天体が、太陽の光を受けて新月から満月のいくつかのパターンを見せる・・・そんな風に解釈するのが一般だと思う。しかし、縄文時代では、どうだっただろうか。写真は山梨県立博物館に数か月前に訪問した時に拝見した女神像付深鉢であるが、女神の死と再生の不思議な神話を表しているようだ。日本書紀や古事記の神話に出てくるイザナミを表しているとする研究者もいる。もし、そうであるなら有名なイザナミ・イザナギの日本神話は5000年前の縄文時代(この深鉢ができたころ)の歴史があることになる。

 そして、恐らく祖先たちは、こうした神話を大事にして生き抜いてきた。その結果の私たちの存在。

 そのころ(5000年前)の縄文土器には蛙のイメージもよく登場する。このイメージは同時代的には、黄河文明に先行する揚子江の仰韶文化であり、そのころの土器等にもでてくる。中国文化は縄文文化より早く文字をもったが(良し悪しは別として)、それゆえその神話は文字として残っているようだ。海を隔てて二つの文化が影響しあった可能性とも考えられるが、別の考え方もできるようだ。

 イザナミ・イザナギの冥界神話は、よくギリシャ神話に似ているともいわれる。それは、ギリシャ文化がシルクロード等で日本にやってきたという風に解釈されることが多い。しかし、そういう可能性もないとも言えないが、ギリシャ神話、日本神話の原型が例えば5-6万年くらい前の出アフリカ以前にすでにあったと考えられないこともない。現在は人類(ホモサピエンス)の発生がアフリカであり、5-6万年前から人類が世界中に散らばったという説が遺伝子研究よりほぼ定説になっているからだ。

 月をどのように解釈するか。現代の小学校の理科の教材のように理解することもある。非常に深淵な世界の深層的な神話と解釈することもできるかもしれない。西行をはじめ古今東西の詩人のイマジネーションのもとかもしれない。

 いろいろな解釈があることは実に不思議だ。そして、どれが本当に正しいかといったことではなく、月の解釈は個人の自由な世界にある。そして、さまざまな解釈の世界を垣間見ることのできる私は幸せものだ。

 月を解釈する 7/10

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