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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人類が月に行った意味は?(月を解釈する 10/10)

2016-07-25 | 第二章「五感と体感」

 月に人類が初めて行ったのはアポロ11号で1969年7月15日だった。そして、最後に月に行ったのはアポロ17号で1972年だそうだ。もう40年以上経ち、そして21世紀に月に人類が行くこともないかもしれない。何か寂しい気もするが、今朝は20世紀後半の在る時期に人類が月に行った意味についていろいろ考えてしまった。

 やはり、米国が冷戦下、あるいはベトナム戦争下で、多大なお金と貴重な人の命まで失いながらの成功させたことで、当時の政治的な意味というのはあったと思うが、それが人類の大きな一歩につながったのだろうか。あたかも人類が、今までと違って大きな科学技術の力で何か大きな幸せに近づいたようであったが、本当はどうだろうか。

 今朝、ドキュメント映画などを観ながらぼんやり考えたが、1960年後半から1970年初めに感じた浮ついた「やったぜ」という想いは今はない。何か身の丈に合わないことをやったような気もする。

 ただ、一つこころに響いたのは、月から観た地球の美しい映像。宇宙飛行士が皆口をそろえて、地球の奇跡的な美しさについて言及していたが、その印象的な映像は今でも私たちの中に残っているのではないか。

 当時の人口は30億人だった。それが今は70億人をはるかに越えてさらに拡大しつつある。環境問題をはじめ地球的な問題は、当時と比べて今は大きくなってきたように感じる。あの美しい地球が、ひょっとしたら危機に陥っているのかもしれない(もちろん、危機は地球ができてからの約40億年の中ではたくさんあったに違いないが)。

 月を目指して、結局は自身の美しい地球に気が付いく。不思議なことだが、こころの問題の中に自己愛の問題があるが、これにどこか似ているように。

 

月を解釈する 10/10

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