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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

師走の師とは?(裏の行動 2/10)

2016-12-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今朝、「ユダヤ五000年の知恵」(ラビ・M.トケイヤー 講談社+α文庫 1993年)を読んでいたら、次の一節があり、感動した。「学校というのは、偉大な人の前に座ることだ、彼らという生きた手本から学べ。生徒は偉大なラビや教師を見守ることで、学んでいくのだ」 

 この中で、学校が何であるかが良くわかる。そこは単なる知識を学ぶところではないのだ。私は、小学校一年の時に、ちょっと問題児だったのだろうか、担任の女の先生の手に嚙みついた。その先生からは、それからずっと危険視され、嫌な気分になったものだ。
 小学校の2年のとき、アラスカの小学校に転校した。英語が全く話せず異文化の小学校に突然放り込まれたのである。しかし、その時も女の先生であったが、愛情あふれる先生であり、不安の塊であった私は師の愛の中で楽しいときを過ごした。

 それから、中学校、高校、大学、そしてU先生、A先生とよき師に恵まれた。師の前に座ることが大切という意味が良くわかる。

 さて、裏の行動というものを考えてみる、自分しか知らない裏の行動の世界。行動であるので、底流には自己目的性が隠れているのは表の行動と同じだ。そして、思うのだが、この裏の行動が表の世界に突如噴出し、それが表の行動と混然一体となってしまうこともあると思う。

 自分の人生を考えてみると、早期退職をしたとき、小説を書いてしまったとき・・・それは裏から表の不思議な変化の時だったかもしれない。そして、そうしたときに背後に師の影があったりする。

 裏の行動 2/10

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