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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

堂々巡りをする盆地の世界から (奈良に行きたい 6/10)r1

2017-05-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 写真は奈良盆地から見ると、山の向こうの海に開けかける地である太子町の聖徳太子廟に行ったときの写真である。この時には、次の写真の方形墳(仏教伝道と関係があるとされている)、推古天皇陵にも行った。奈良盆地の古墳と違い何か風が違ったように思った。

 

 この時代と次の白鳳時代は、日本は国際的な時代であったようだ。例えば駱駝が日本に贈られたとの記述は推古天皇の時代など6-7世紀に4件あるそうだが、その後は1000年くらい日本人は駱駝を列島でみることはなかったようだ。江戸時代になってやっと駱駝がくる。ちょっと妄想的に考えてみると、駱駝ちゃんがシルクロードからくる時代は政権が港や平野、海外を何らかの形で強く意識していたように思うし、そうでない時代は奈良盆地や京都盆地?の山に囲まれた時代であったようにも思う。

 6世紀と言えば駱駝ではないが、次に引用した記事に今朝驚いた。出典は何だと思われるだろうか?

 「墓の場所に行って見ましたところ、つき固めて埋めたところは動いておりませんのに、墓を開いて見ますと、屍骨(かばね)はもうなくなっており、衣服だけが畳んで棺(ひつぎ)の上に置いてありました」

 私などは、新約聖書から引用したのではと思ってしまうが、これは日本書紀の推古天皇のときの有名な片岡山の飢人から引用したものだ(日本書紀Ⅲ 中公クラシックス 井上光貞監訳 笹山晴生訳 2003年 27ページ)。政治状況などを調べると現代と当時の6-7世紀は意外に似ている。日本が白村江の戦いを繰り返さないことを祈ってしまう。

 さて、私はこのところ、何か盆地の中にいるような気分を味わっているようだ。一生懸命に動いているのだが、殆ど停滞しているようであり、勿論安定はしていて心地は良いのだが、方向感覚がつかみにくい。これでよいかとマグマのように疑惑感が湧きおこる。

 これを、生き甲斐の心理学の理論から見てみると、十四の防衛機制(フロイト)と関係しているようにも思う。山々に囲まれ、本来見えるものが見えない世界だ・・・そして、堂々巡りのような思考・感情・行動に悩まされがちだ。

 こうしたときどうするか。やはり、何かを信じて進むというか、待つことが大事なのだろう。源信が二上山とも思える山の向こうから西の夕日を浴びて阿弥陀がにょきっと到来することをイメージしたように。恵みはもってくるというより、やってくるものかもしれない。

 奈良に行きたい 6/10

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森 裕行


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