7歳という、一人では重要なことを決められない年頃にあって、父から「アラスカに赴任することになったが、一緒に行くか?」と尋ねられた。全くの未知の世界の話であったが、父から長い人生を考えると大変ではあるがきっと良いことだと言われ、行きたいと答えたように思う。意思の確認は今は当たり前かもしれないが、子供であっても大事なことだと思う。
当時の私は今考えると、その半年前に学校の行きがけに友達を交通事故で亡くしたり、家庭でも両親からよく叱られたりした。何かうじうじと考えたりすることは好きだが、外では恥ずかしがり屋。エリクソンの人格形成論でいうと、疑惑・恥辱感が強く、その解決方向である、自律性や意思力に欠けていたのではないかと思う。
1945年に終戦をむかえているので、当時1958年は戦後13年となり日本もずいぶん立ち直ってきたとはいえ、戦争の傷跡も残っていた時代だと思う。今では考えられないが記憶にあることに、アラスカに行くことになり両親と子供はパスポートをもらいに米国の事務所に行き、両親は手を上げて宣誓していた記憶がある。そして、羽田より多くの知人に見送られてアラスカに旅立った。
旅だった1958年の夏には、全日空羽田沖墜落事故で33名がなくなる事件があり、祖父母などはずいぶん心配したそうだ。当時は旅客機も、1952年のもく星号墜落事故などいろいろ問題があったようだ。
アラスカへの飛行機に乗り込み座席に座ったとき、ちょうど前の座席の後ろにハエが一匹止まっていることに気づき、ずっと見ていた記憶がある。初めて乗る飛行機への不安感の置き換えがハエだったかもしれないが、それだけでなく時代そのものもハエに投影されていたかもしれなかった。
そんな風にしてアラスカに旅立ったのだが、なぜそこで健康に暮らし戻ってくることができたかを、心理学的に考えてみると、一つには幼いなりに父の影響もあり、意思力を発揮できたことかなと思う。そして、その先駆けは自分の意思を父がうまく確認してくれたことかもしれない。
蛇足ながら、今朝は勇気について思索した。そして、次の水戸光圀の言葉に出会った。
「戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり」
7歳の私が生や死をどこまでわかっていたかは不明だが、両親や周りから伝わったのか、よくわからない勇気が充満していた。それが、内弁慶になりがちな私を開かせてくれたようだ。
未知の世界にこんにちは! 2/10
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