イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

明るく生きられない時 (明るい解釈と暗い解釈  4/10)

2018-03-13 | 第四章「愛とゆるし」

 ちょうど3.11の7年目を迎える前後に「明るく生きるコツ」を考えていたので、3.11の被災者や原発問題などで、普通の臨床心理学ではカバーしにくい領域があることをあらためて思い出すことになった。このブログでも「初めての小学校体験」などで触れた一部の罪悪感は心理学の領域だと思うが、生命に関係する重大な領域ではかなり限界を感じる。人の業とか原罪などの問題の扱いは魂の問題、宗教の領域であり、伝統宗教等の活躍はすごいと思う。私はカトリック信徒なので、十字架の贖罪の思想に救われたことを思い浮かべる。

 6歳の時に、小学校に二人の友達といっしょに登校しているとき、半分いたずらで大通りを駆け抜ける遊びをしていて、一人の友達が車にはねられ亡くなった事件を思い出す。その事故で友達が倒れる場面は、それこそ今に至るまで時折思い出し、30歳台のころまでは神経症的な問題の遠因になったり、40歳台くらいまでは車を運転するときに抵抗感があったりした。

 生き甲斐の心理学をU先生から学ぶようになり、そうした事故を受容してくるに従い、事故の場面に対し感情がいろいろ湧くようになってきた。また、その解釈も友人と一緒に大人に事故を知らせに行ったことなど、善良な小学生の論理が支配していたが、受容していくに従い、自分がその友人が倒れてほっとしたこと(少年らしい普通の感情)に罪悪感を持っていたことに気づいた。さらに、私も共犯者的な後ろめたさ(私自身も同じようなことをしていた)も感じていたが、その解決はカトリックとの再会の時期と重なると今は思っている。

 世の中では一般に、罪と罰というと社会の掟を破ったので、社会的にルール(民法、刑法)に従って罰に服し、社会に謝罪するという感覚がある。今話題の国内の事件についても、公文書の扱いに関してなどは、日本の古代の律令からの明文化があり、犯すと笞に打たれたりした。花粉症に苦しむ私なので、笞(むち)より杉の木伐採でもしてもらいたいが(いけない妄想で恐縮)。

 しかし、生きる上で本当に考えるべき罪とは何だろうか?あるいは、罰、ゆるしとは何だろうか?

 罪がサムシンググレイトからの乖離とすると、サムシンググレイト、愛への復帰手順。具体的な行動を伴う手順がゆるしではないだろうか。私の6歳の時の罪、愛のゆるしとはは何だろう。自分のアイデンティティにつながる重要なポイントかもしれない。

明るい解釈と暗い解釈  4/10

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