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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

絶望感に対する知恵とは (生き抜く力 8/10)

2019-03-05 | 第八章「魂と聖霊」

 今回の沖縄は、太平洋戦争についても考えることのできた貴重な旅であった。若い女性が沢山亡くなった写真の第3外科壕跡も見学することができ、当時の状況をイメージすることができたようだ。私自身は戦争を知らない世代であるが、父母の時代は戦争を経験した世代であり、東京大空襲の話などは母からよく聞かされた。両親がいなければ私は存在しなかったのであるから、戦争は私にとっても無関係ではありえない。大空襲のあと、武蔵境の工場から都心に戻って(もちろん歩いて)母が焼けた家の前でぽつんと待っていた祖母に再会した話などは、母の愛の原型のような話で、母がしばらくしてクリスチャンになったのも、その時の原体験と関係していたのではと想像している。

 戦争という絶望的な状況の中でも、人は希望を見いだし逞しく生きる。そして、目立った戦争が無いといわれる縄文時代も、同じような苦しい時期があったようだ。縄文時代の前期・中期は中部日本、関東地方は大いに栄えたようであるが、その後、気候変動で右肩下がりの時代(人口が減少していく)を迎え、そんな傾向が1000年とかといった長期間にわたって続くのだ。厳しい人口調整の時期もあっただろう。自然災害や飢饉もあっただろう。その中で私たちの祖先は何故生き抜くことができたのだろう。

 日本人の魂の原郷 沖縄久高島 (比嘉康雄著 集英社新書 2000年)に久高島の現代語訳付きの葬送歌が載っていた。40~42ページを参照しながら、それを整理して引用してみる。

 年が余りました/ティラバンタに来ました/干潟は/波が立つ/波の干潟は/煙が立つ/ニルヤニューチュにきて/ハナヤリューチュにきて/金盃をいただこう/銀盃をいただこう

   寿命が来て葬場に来て、肉体が溶解し魂が肉体から立ち昇り、島の東方のあの世に行き、魂は金盃と銀盃をいただく。そんな葬送歌のようだ。詳細は是非原著に当たっていただきたい。因みに久高島は嘗ては風葬や洗骨などが行われている。

 究極の絶望の世界のはてでも、人は希望を見いだすことができると思う。一見無関係な人と神との間に、神のカケラのような魂という接点を見いだし慰められる(いろいろな思想があるとは思うが一例として)。因みにYouTubeで検索すると久高島のイザイホーなど貴重な動画を見ることができるので時間があれば是非ご覧になると良いと思う。

 最後に、何となく落ち着きのないが、自分の感情の正体を見いだせないという現象がある。高齢になってからの絶望感。私もやっと捕まえてきたように思える。エリクソンは絶望感にたいし、その解決は知恵と自我統合性にあるとしている。絶望感を見いだせば対処することもできるようだ。

生き抜く力 8/10

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