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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人間はどんなタマネギか?(人間とは何だろう 3/10)

2019-05-06 | 第二章「五感と体感」

 世の中にはまさかということがある。本人は余り変わらないのに環境のせいで全然違う評価を受けたりする。7歳の時にアラスカで暮らし翌年日本に戻るという中で、そんな体験をした。高校の時もある意味そうかもしれない。ちょうど高校紛争が2-3年生のころに吹き荒れたが、使用前・使用後のように学校の雰囲気が激変した。不条理なことが起こるのは、人生の常かもしれない。

 テレビや新聞は最近余り見ないが、官僚が留置所に入ったりえん罪と分かったりする、そんなときの世間(マスコミ?)の対応の変化に驚いてしまう。おそらくご本人はご本人でさほど変わりがないのにである。

 学生時代のころに読んだカフカの「審判」を思い出す。たしか大学生のときは「審判」の演劇も観た記憶がある。

 さて、このところ自炊をよくしたので、タマネギのことを思い出し、その写真を撮った(ブログ)。U先生が心理学でのいろいろな人間観を教えてくれるときに例えで使われた。タマネギをむいてむいていくと何も無いという立場。むいてむいていくと何かが出てくるという立場だったと思う。その何かとは何か。

 U先生が欧米の大学の研究室で臨床心理学を学ぶときに一番大事にされていたという、比較宗教学の公式がある。これは厳密な方程式や数学ではなく。概念を表すのに便利だくらいに気楽に考えていただきたい。

A=B(X+Y)

 A:生身の人間

 B:タマネギの中の何かに相当する。亡くなったくときに身体から離脱する純霊(愛そのもの)。人間の尊厳と言ってもよいかもしれない。

 X:生まれてからインプットされる経験。生育史。

 Y:物理的な身体。

 ごちゃごちゃと書きましたが、自分にとって大事な人とコミュニケーションをとるとき、一般に大きな問題を背負って苦悩している人は、荒れ狂って居る場合が多い。自分で何をしているのか分からないという状態もあるかもしれない。そんなときにどう接するか。それはやはり人間の中にタマネギのようになにもないと観るのではなく何かを信じる事だと思う。もちろん、対応する私たちは社会的な制約があるのでいろいろ葛藤はあるが、大事な人への接し方はそれしかないように思う。

 これは他者もそうだが、自分自身ということもある。自問自答する中で自分のBを信じることというか。

人間とは何だろう 3/10

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