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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の生育史を掘下げると宝物がでるか? (新鮮な生育史 4/10)

2019-06-23 | 第三章「無意識の世界」

 私は何故、心理学に興味を持つようになったか?その一つは、中学に入ったころから、図工の時間に書く自分の絵に、どういうわけか黄色を多用することにヘンだなと気づいたことがあった。黄色を使うとそれなりに落ち着くのだが、こころが晴れるわけでもない。何となく黄色と不思議な対話をしているようなのだ。そして、その傾向はどんどん膨らみ、高校に入ったころの絵は黄色ばかり。新緑の校舎の絵なのに何故か空はまっ黄色。そんなことから、心理学になんとなく興味を持つようになった。

 今朝、NHKテレビの日曜美術館で夭折した天才画家、村山槐多が紹介されていた。彼は暗赤色ガランスに特別に関心を持ち多用したようだ。彼が何故そうだったのかはよく分からなかったが、私の場合は黄色に固執。天才画家で詩人である村山槐多と私を比べるつもりはないが、ある色への固執に関しては共感できた(笑)。

 そんな私も、大学生になり成人するころになると、心理学の本をバリバリ読んだり、不思議なカフカの小説を愛読したりし、卒論も実験心理学に。黄色問題から、いつの間にか生育史を真面目に考えるようになっていった。

 ・・・それは小学校1年の秋だった。近所に住む同学年の友達二人と、歩いて15分くらいの四ッ谷駅の近くの小学校に向かっていた。そして、時々あることだったが、3人の中で一番身体も大きくリーダー的な存在だったA君が、外堀通りを信号で車が走ってない時を見計らって走って渡る。それに呼応してB君がぴったり付いて走り、私も慌てて付いて走る。そんなことをしていたが、突然A君が通りを走って横断しだした時、近くの信号が変わり車やオーバイがスピードを加速させやってきた。B君も私も危険に気づき立ち止まり、A君が渡りきるかを見届けようとした。A君は黄色い交通安全のビニールで覆われたランドセルを揺らし走ったが、中央線付近でオートバイに接触し倒れ動かなくなった。

 小学校の1学年であっても、友達が眼の前で倒れ動かなくなったことはショックだった。その後A君は治療も虚しく、彼のお母さんが見守る中冷たくなっていったそうだ。私にとってその事件はそれで終わり、それからはB君と二人で登校するようになった。私も周りの人も、それで事件は終わったかのように思った。

 しかし、その後、引っ越しなどで環境が激変したりしたときに、今考えると不安神経症的な症状が出たりした。それから、それまでは車などメカが好きで、将来、大人のように車を運転したいと思っていたのが車嫌いに変わってしまった。大人になって仕事の関係で車の免許をとった時も、車は嫌いであった。亡くなったA君と私は別の存在なのに、自他を無意識の中で混合するところがあったようだ。それから、誰が悪いのかよく分からないが、変な罪悪感に悩まされたのだと思う。私にとって黄色はそんな悩みの象徴だったのかもしれない。

 そんな私であったが、大学2年生の夏頃から夏休みを契機に自分の進むべき道を見つけ動き始めると、病的な部分は影を潜め、公私ともに元気になっていく。生き甲斐のある道を辿ることは何よりの妙薬なのであろう。強いて、生き甲斐の心理学の理論で説明すると、目的志向性と自発性を発揮できるようになったことで罪悪感が極端に軽減したのだろう。

 しかし、長い人生いつも自分の道を突っ走ることはできない。そして、こころの傷といったら良いのだろうか、私の場合は罪悪感というのがキーワードだったが、それに重なるような嫌な出来事があると追い詰められていく。そして、限界に達したある日、偶然に偶然が重なるように、高校1年くらいまで信じていたカトリックの信仰に再会する。罪悪感の問題は心理学でも扱うことができるが、例えば永い歴史のある宗教のゆるしの思想はこころの不調にも効果があるのだろう。

 さらに、余裕ができて罪悪感をある程度、客観視できるようになったのだろう。U先生の生き甲斐の心理学を学びはじめ、その指導のもとに生育史を勉強するようになった。そして、ある秋の日、たまたま外堀通りの昔の事故現場をのんびりと歩いていたときに、ふと明るい開放感が湧いてきたのに気づいた。不安感なら分かるが想像もしなかった開放感というか安堵感。そして、50年以上前の眼の前の事故のときに味わった感情が開放感だったことに気づいた。

 A君が倒れたことで、私はA君の安否に不安感を抱くのではなく、危険なゲームから開放され開放感を感じたのだ。そして、それを自分なりの倫理道徳で抑圧してしまった。今、考えると倫理道徳はともかく、少年の私がそう感じることは無理もない真実なのだが、子供でも倫理観で抑圧することで、こころの問題を起こしたのだろう。

 こうして、自分の黄色問題は解決し、無意識の意識化で変な抑圧から開放された。しかし、心理学にのめり込みここまで解決しなくても、健康的な人生は歩めたかもしれない。ただ、黄色問題はネガティブなものかと思索してみると、それが契機で、生き甲斐の心理学の勉強を熱心にしたり、カトリックとの再会につながっていたり、ひいては縄文小説にも繋がっていたりもする(笑)。遠目でみると、黄色問題は自分の人生にとって宝物だったのかもしれない。そして、宝物を発掘できたかどうかは別にして、生育史を大事にすることは意味があったと思う。

 蛇足だが、私は宝探しをしたのだが、とんでもないことにならなかったのは、周りの人の温かさだったと思う。特にU先生、良い師匠に出会えたのは幸運だった。心理学の本や講習会などでは、平気で自己否定や他者否定の傾向を増長するようなものがあり、若い時など、精神的に参ってしまうこともあった。こころの発掘作業は正しい師匠の元で自己肯定・他者肯定のスタンスで行えば、自己実現の方向が見いだしやすいし、ヘンな葛藤もないと思うが、そうでないケースも時々見聞きする。変な勉強するより、大自然の中で散歩したり、太極拳をやったりした方が良いと思う。それから、良い友達に批判せず自分の話を傾聴してもらうのも大事なことだと思う。

新鮮な生育史 4/10

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