イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の人々の愛の原形を探る・・(4/10 五感と喜怒哀楽)

2021-05-08 | 第二章「五感と体感」

愛の孤独に苦しむひとは多い、人ごとではなく私もそうかもしれない。愛の孤独は何故おこるかというと、愛の理想と現実のギャップがあるからであり、理想の在り方を再考すことで愛の孤独を軽減できるとも言われている。理想が変われば孤独感も変化するためだ。異常に高すぎる理想は時に凶器にもなる。

そして、その愛の理想を考える時に、人それぞれの愛の名場面・記憶が鍵となる。それは主観的なもので人に訊くわけにはいかず、自分自身の記憶をたどることになる。のんびりと気楽に・・・幼いころの名場面・記憶から思索していくのが効果的なようだ。そして、これがそうかなというものを一つ、二つ思い出していくと、やがて芋づる式に沢山出て来たりする。

U先生の「生き甲斐の心理学」では、その名場面・記憶(特に幼いころの)を愛の原形と呼ぶ。私も素人ながら20年近く「生き甲斐の心理学」を学び続けているが、愛の原形は五感と密接に繋がっているので、五感を意識するのも愛の原形探しに役にたつと言える。そして、その愛の原形を時々客観的に振り返ると良いかもしれない。幼い頃の記憶は当時の幼い自分の解釈で決められてしまう部分があるので、年をとってから振り返ると当時は好ましいと思えた記憶が、あれはAさんの思惑が隠れてたななどと大人の解釈で変わることもある。あるいは、当時は意固地になりすぎていてBさんの優しいさが分からなかったと、思いがけない記憶が愛の原形になったりもする。

いろいろ分析していくと、自分なりの愛の構造も見えて来たりもする。最近、私は次のように愛の原形を分類してすっきりした。一つの参考としてだが述べてみよう。ひところOnly Oneと言う言葉をよく耳にした。Number OneではなくOnly Oneだっただろうか。個性を認めるOnly Oneにはとても共感できた。存在することだけで愛されるという普遍性にも感動した。そんなこともあり、愛の原形をいろいろ並べてみて、この愛の原形はOnly Oneを指向させるものか、Number Oneの匂いがするか・・こうしたことを分類をしながらいろいろと自分の愛の原形を俯瞰していく。

さて、ちょっと脱線するが私はOnly Oneは縄文的かなと思う。一方Number Oneは弥生的とも。もちろん、どちらも生きる上では大事かもしれないが、その意味を深く考えることで、愛の孤独の分析に繋がるだけでなく、生き甲斐や自己実現にも関係するようにも思う。

さて、縄文時代の人々の愛の原形はどんなものだったか。それを推測するのは、7-8世紀の歴史書の中の神話、伝承・昔話もあれば考古学的な遺跡や遺物が大事だと思う。縄文中期には土器や土偶などの遺物に文様等が記されているものも多いので、その図像を通して愛の原形を推測するのはどうだろうか。もちろん、遺物だけでなく伝承や神話などの最新の研究も鍵を解くポイントにもあるだろう。あるいは、遺物が発見されたところに出向いて、その土地を感じてみるのも重要かもしれない。

巻頭の写真は八王子市の子抱き土偶が発見された川口町の宮田遺跡周辺である。以前は川だったのかなと思える場所から急斜面を上がると平坦な台地が続き、心地よい風が吹いていた。この子抱き土偶は母の頭の部分はが損していたが、可愛い幼子を抱きながら足を崩して座っている姿で普遍的な母の愛を示しているようで、温かい気持ちになるが、遺跡周辺を散策するとさらに感動が深まる。

子抱き土偶(約5000年前)の写真は次の八王子市の文化材のホームページで見ることができる。

はちおうじ物語其の一 主な構成文化財|八王子市公式ホームページ (city.hachioji.tokyo.jp)

母に抱かれたり、背負われたりする。あるいは寝かされている。そうした触覚などの五感に基づいた体験を愛の原形として数えられる人は今の時代だけでなく、縄文時代にも多かったのではと思う。ただ、現代は農耕文化をくぐり抜けた社会であり、縄文時代は雑穀はあったものの狩猟・採取文化。おのずと愛の原形は同じようでも表現はことなってくるのだろう。

狩猟・漁労の生活感覚は都会に住んでいる私達には殆ど実感出来ないようになりつつある。毎日のように食べるお肉やお魚などは知らないところで切り身にされて生々しくないが、縄文時代の人々は、イノシシを狩りで殺害し、血抜きをし解体して食べられる部分はしっかりと食べ(骨を割って髄まで)、皮などもしっかりとなめし、衣服等の素材とする。その皮はイノシシなどの骨をといで作った精巧な縫い針により、気密性の高い防寒服などになる。植物の繊維で作った衣服も縄文時代には存在したが冬には旧石器時代からの革製の衣服も使ったことは容易に想像できる。

私は都会で育ったが、7歳の時にアラスカで約1年暮らした。南東アラスカのシトカというところで暖流が通る島であったのでアラスカにあっては温かい場所であったが、それでも冬は寒い。白人も多いが先住民のトリンギット族などの人々もいた。その時の思い出の一つであるが、東京では当時は冬は子供は半ズボンで元気にしていたが、アラスカはさすがに皆性能の良い防寒具を身に着けていた。私は防寒具や暖炉のある隙間風のない家の温かさにうっとりとしたものだった。おそらく、私の愛の原形の一つは温かい防寒具を着ることだ(革製ではないが)。

先日、栃原岩陰遺跡を訪ね北相木村考古博物館を見学させていただいたが、その中のジオラマに母親とおぼしき女性が皮を素材に縫い物をしている姿があった。そして、思ったのだが例えばイノシシの皮をつかった衣服を身につけた子供の愛の原形はどうか。イノシシを苦労して捕り、川で解体した父の愛。食事もおふくろの味はあるだろうが、針仕事をした母の愛情も感じるだろう。さらに大自然のイノシシの恵みにも愛しさを感じたのだろう。当時の土偶や土器の図像の多くは当時の愛の原形を表しているものが多いと思う。子抱き土偶の赤ちゃんの顔は当時のスタンダードなのだが、なにかある種の生き物を彷彿させる。その意味は文化の異なる私達にはわかりにくい部分があるが、愛の原形という意味で現代にも通じるものだと思う。

4/10 五感と喜怒哀楽

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 ----------------------------------------------------------