イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

コツコツと旅する人生・・今も縄文時代も (8/10 五感と縄文)

2022-07-02 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文小説を書くために最近学生時代に読んだ「悲しき熱帯」を納戸の書棚から引っ張り出して、それこそ40~50年ぶりに読んだ。昔読んだ本は、良かったとかつまらなかったという感想の記憶は微かに残っているものの、内容はすっかり忘れているのもおかしい(笑)。

そして、ところとどころ読み直すともう一つ気づくことがある。かつては抵抗なく読め好印象だったのに、今読むと抵抗感を感じたり、印象がかなり変わってしまっていたり。その一番の原因は、自分の哲学というかアイデンティティがいつのまにか変わったこと、現実吟味力も学生のそれと違っていること、防衛機制の使い方も変化しているということかもしれない。

心理学の用語ではわかりにくいかもしれない。平たく言えば個人が成長したとか、年輪を積んだとか、個性的になったとか、そういう領域のことなのだろう。前回のブログでの「解釈を変える」は主にある時点での自分の解釈を変えることであったが(現実の再考察)、今回はちょっと違う理想の変化ということになるなのだろう。そして、これは日々の中で「私は何の為に生まれてきたのだろうか?」というような根源的な自問自答から生まれる。心理学というより宗教とか哲学の世界の問題であり、自問自答は旅に似たなにかである。

会社に入ってある職務を身につける。好きなスポーツをやりはじめること。修行というか旅というか。そんな中で少しずつ何かが見え変わって行く。さらに奥の深い真善美の領域もあり、例えば人生最大の問題である死とか病といったことが旅の途中で突然立ちはだかって来たりする。

その時、宗教や哲学の領域の問題が出てくるが、これは頭だけで理解するものではないようだ。身体性、五感と密接な喜怒哀楽の世界と関係するようだ。長い階段を苦労して上がってたどり着いた神社。長い旅の末にたどりついたお寺。何か入りにくいが意を決して入った教会。普段は着ない浴衣を着て参加したお祭りもそうかもしれない。日常と非日常の境で、山道で突然展望が開けるところにでたように分かることもあるようだ。悔いの無い人生を歩むには旅が必要なのであろう。

さて、縄文時代の祖先の旅はどんなものだったのだろうか?縄文時代の文化とも関係が深いと思われるアイヌ民族や東北地方の聖域は祭り。沖縄などの南西諸島の聖域や祭りなどを調べてみるとその一端が少し見えてくる。また、考古学の成果で宗教用具の土偶、石棒。あるいは縄文後期の環状列石や配石などは、多大な非日常的な労力なしでは考えられず、それこそ縄文時代の祖先の精神世界の旅を感じてしまう。こうした精神文化の上に日本の豊かな古代や中世の宗教が花開き、近世でも250年にわたる隠れキリシタンの時代があったりしたのだろう。

8/10 五感と縄文 

------------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------