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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

希望は最後の切り札・・今も縄文時代も (10/10 五感と縄文)

2022-07-12 | 第十一章「五感で面白おかしく」

先日の旅ほど素敵な縄文時代の文化に親しんだことはなかった。国宝級の土器や土偶、石棒などを博物館で楽しませていただいたが、東京ではなかなか味わえない、縄文の雰囲気の溢れる遺跡公園や景観を五感で味合わせていただいたことは至福の時だった。

津南町の石落とし

縄文時代は氷河期のころまで遡れるが、その一万年以上の縄文時代は私たちの列島の祖先に様々な災難をもたらせたのだと思う。その中にあって、すべての縄文人は生きそして死に私たちに命のバトンタッチをしてくれたのだと思う。そして、その遺物をじっくり見たりしていると、今この近くに縄文人が現存するようなリアルさを感じてしまう。

人間は、死に対して実に無力である。 身体は簡単に滅んでしまう。 しかし、祖先たちは死に対しても絶望せず希望を持ち続けた。 今回の旅では夥しい数の土器(氷河期のころの土器から弥生時代。 地域的にも関東だけでなく甲信越まで。 )をゆっくり拝見することができた。 その中で、井戸尻考古館等で習った図像解釈も少しは頭に入れていたので、例えば縄文中期には一貫した神話の世界(よくわからないなりに暦のような自然現象、この世の創生、穀物などの恵、人間の誕生と死と魂)があり、地域を越えた縄文時代の人々の質の高いいイメージ・希望を垣間見たようだった。

希望という言葉は、様々なイメージを喚起するが、U先生から習ったギリシャ神話のパンドラの箱の話が私にとって一番深いところから考えさせていただける。 開けてはいけないという箱を開けてしまい災いがたくさん出てしまうが、希望だけが不思議に箱に残ったという神話。 ここからは私の妄想だが、箱というのは人のことかもしれない。 私という人間を例えてみると沢山の災いが充満しているかもしれない。 しかし、それでも希望が私のどこかに張り付いてくれ救われるのだ。それは愛そのものの魂かもしれない。

話を戻そう。 パンドラの箱を開けると様々な災難が飛び出す。 世の中には神も仏もいないようなことがときどき起こるがそういう状態なのだろう。 それは縄文時代も現代も同じかもしれない。 しかし、その中でさえも希望が不思議になくならない。 私も最近、年も年なので自分のお墓をどうするかを真面目にあれやこれやと考えているが、お墓に留まらずその奥の死という理不尽な現象について考えると、本当の希望の意味が現れてくるようにも思う。 厳しい現実の中で何を待ち望むのか。 それは一見現実から乖離されているようであるが、日々の身近な問題・何をするかを考え、行動することでもあるようだ。

希望はかなり普遍的で観念的のように思われるが、反対に極めて個性的なところもあるように思う。 個性とは何だろうか。 天職とか天命という言葉があるがそれと裏腹かもしれない。 自分の過去の経験に希望の原型といったようなものがいくつかあり、それと響きあうように現在の問題解決がなされる。それは五感の世界でオーケストラのように豊かな世界・めぐみを到来させるのではないだろうか。

馬高縄文館前で猪風来さんのモニュメントに出会う

10/10 五感と縄文 

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

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       森裕行

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