幼稚園に通っていた、5歳の或る日のことを何故か思い出す。
マジックインクか何かの小さな長い箱をつなげ、小さなボタンを車輪にして、幼稚園の一室で汽車を作ろうとしていた。うまくできない、そして、どこか無力感を抱きしめながらも、作っていた。
子供のころは、いろいろなファンタジーというか、何かになる(同一化)夢にあふれていた。刀や、ピストルのおもちゃは強いヒーローに。相撲や野球をしながら、当時のスターであった、稲生や栃錦に。そしてスーパーマンといったように。
母親から分離していく過程で、不安解消のために同一化という防衛機制を働かせているのだろう。
その中にあって、素朴に何か汽車のようなものを作ろうとしていた。ただひとりで工夫して作るということは、新しい不思議な魅力であった。
大学生になり、自分の専攻を決めようとしていた時期、従兄から貰った本に痛く感激した。当時同志社大学教授であった、市川亀久弥氏の本であった。氏はさなぎが蝶に変態する過程を図式化し、創造工学という新しい分野を開発されていた。
そのこともあり、創造工学は無かったが、管理工学を専攻し実験心理学や行動科学を学んだ。そして、その延長で、コンピュータ関連の仕事についた。
ただ、今から考えると、数式化できない創造というものの実体をもっと知りたかったし、こころの問題を、もっと学びたかった。本来は文科系志向の人間であった。
今考えると創造とは、生きがいの一つの側面でもある。50歳に近ついたときに、U先生と出会った。私が求めていた「生きがい支援の心理学」の勉強が始まった。
人それぞれ、自分の中に本当の使命といったものが隠されているように思う。それを日々のリアルな生活の中から、変なレッテルや変な同一化への欲求に負けないで、こつこつと掘り出していくのが人生なのだろう。
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大事に生きながら、
いつの日か、最高に素敵な掘り出しものと思えるような作品を創造していたいものですねぇ。。。
そんな楽しい夢を思い描きつつ読ませて頂きました。
自分が自分を創造するというのも、ちょっと考えると不遜な感じですが、自由意思で選択していくことで、やはり楽しいことなんでしょうね。生後7か月の子犬を見ながら、成長ということを考えてしまいます。ありがたいことですね。