昨晩は、誘われて「ALWAYS 続三丁目の夕日」を見た。
コンピュータグラフィックスの技術等で1959年ごろを再現している。丁度私も淳之介少年と同じころの8歳。人情味あふれるシナリオも惹かれたが、その時代のリアルな様子に大変興味をもった。
映画を鑑賞させていただき、良い映画だなと思ったが、自分の1959年と比べているのだろうか、今と1959年の差を知っているのか・・・何か言いようのない怖さを感じた。
怖さの原因は、何だろうか?例えば扇風機が出てくるが、私の昔の扇風機のイメージは古い型だが、当時は最新のピカピカの製品。テレビも洗濯機も・・・それが、骨董品的になっている。羽田飛行場や車や道路も、もっと活気があったはずなのに、ちょっと違う。
私の1959年のころ。都心に同じように住んでいた。近所のオジサン、オバサンも映画と同じ、親戚みたいなものだった。濃密なコミュニケーションであった。ただ当時の私の周りの大人たち、その多くは今では亡くなっている。
心の奥底で、この映画を見ながら人間の儚さ、文明の儚さ、そして死を感じたのだろうか?
怖い、怖くないは人間の原初感情の一つとして、人類が生き延びてきた、あるいは私が生き延びてこられた、貴重な感情である。脳の一部が損傷し、怖さを感じなくなると日常生活に支障がでるという。
その感情が働くとき、心の奥で、自分に大切な何かを語ろうとしているように思う。美しい日本だった、あのころは良かったと感慨に耽るのではなく、映画の茶川さんのように、霞を食いながらも、生きがいを追及する勇気を持て、と語っているのかもしれない。
セピア色がかった、最後の夕日の場面はよかった。
<怖い怖くない1/2>
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