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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

COVID19の中での邪眼と慈眼・・それを越える鍵と縄文世界(縄文時代の楽しみ方 10/10)

2020-05-26 | 第五章「和解と平和」

 新型コロナウィルス感染症(COVID19)での自粛生活も、そろそろ区切りがつきそうだ。この2-3ヶ月の異常事態の中でいろいろ感じてきたが、私もそうだがFacebookを初めとするSNSなどでは疑心暗鬼が溢れ、不安感のかたまりにいつのまにかなってしまっていたように思う。そんな状態のときは、コンビニにはいってもマスクをしていない若者が騒いでいたりすると目が邪眼に・・・。八王子は学生の多い場所だが、近くの大学のジョギングをしている学生が通ると、必要に遠くに避けたり・・・人を見れば、コロナと思えではないが、誰もが何となく邪眼になり警戒モードになっていったようだ。しかも、家庭の中でも感染が・・・などと言われるとますますギスギスしてくる。
 こうして、2-3ヶ月経過してしまったが、いつの間にか早春の良い時期は過ぎてしまい、緑は深まり梅雨の季節が間近になってしまった。そして、去年の今頃の写真を懐かしんで見ていたら、昨年3月に相模国一の宮の寒川神社と近くの岡田遺跡周辺を散策していた写真がでてきた。私の家の近くの大栗川にも水鳥は沢山来るが、何故か山羊がいたが印象に残っていた。

  

 川のほとりでのんびりし、水鳥やたまたま近くを通りがかる動物を見るとほっとする。昨年はCOVID19など無縁の世界だったので、このときの私は山羊や白鷺以上に慈眼だったかもしれない。
 邪眼、慈眼、を意識するようになったのは、生き甲斐の心理学を学び、ブログを書くためにデジタルカメラを頻繁に撮るようになってからだ。今は望遠機能付きのカメラになっているので近づく必要は減ったが、昔は花と蝶を一緒に撮るために近づくと、ひらりと蝶が逃げてしまう。いろいろ試行錯誤したが、これはどうも邪心に関係するのではないかと思った。慈眼になるようにと訓練し宮本武蔵の五輪の書なども読んだが(笑)、だんだん上手に蝶さんの写真を撮れるようになっていった。

 さて、微妙な邪眼、慈眼のお話をさせていただいたが、日々お付き合いをする人間関係においても、この邪眼と慈眼、あるいはポーカーフェイス(笑)は大きな影響を及ぼすように思う。特に職業が、人間関係が重要なファクターとなる、例えば医療関係、教育関係などであれば仕事の質にまで影響を及ぼすように思う。

 こうした中、U先生の比較宗教学や比較文化論をベースにした「生き甲斐の心理学」はどう考えるのだろうか?これは人間をどのように見るかによる。人を身体と生育史からなるこころと考えるのは現代日本では常識であるが、もう一つ魂という視点が「生き甲斐の心理学」にはある。
 日本人は宗教はともかく魂を信じる人は多い。亡くなった親や家族、知人の墓で祈る光景は普通にある。死んだら身体もなくなると同時に何も無くなるという哲学はあるが、死んでからどうなるかは不可知の世界で基本的にはよく分からない世界だ。そうした中魂はきっと残る・・・そう考える人は多いが、魂をどのように考えるかは多くの人は(かつての私もそうだった)余り考えない。

 今年の2月に福岡の太宰府天満宮に詣でた。菅原道真公は悲運の人で有名で、死後怨霊となり恐れられたが、後の天皇や為政者が丁寧にお祀りすることにより、今では学問の神様となって愛されている。日本人の多くは、魂はいったんは怨霊となることもあるが最終的には、慈愛に富んだ霊になるように考える傾向があるのではないかと思う。お盆で祖先の霊が自分たちに禍をもたらすと考える人はあまりいないのではないか。

 魂をどのように考えるのだろうか。私は持統天皇の勉強もしていて、持統天皇に関する小説を何冊も読んだが、ある作家は怨霊のように恐ろしい魂を死後に想定していたりする。一方反対に愛そのもので永遠不滅といった考えに近いかのなと思える人もいる。「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(巻2-160)。持統天皇のこうした歌(難解)から女性の激しい情念・狂気を読む方もいるかもしないが、私は孫の文部天皇が続日本紀で残した697年の宣命(みことば)を想う。文部天皇の持統天皇の印象は公民を恵み撫でいつくしむ神そのものののイメージなのだ。それ故持統天皇の魂が恐ろしいものではないように考える。光があれば影もあるが。
 一般論としてはどうだろうか。U先生によれば、欧米の比較宗教学をベースにした心理学では「愛そのもので永遠不滅。死んで身体から離れる生命体」こんな風に定義するのだそうだ。定義はいろいろ考えられるが、人間の魂の本質を性善説に解釈するほうが性悪説的に解釈するより、心に平安が訪れ生きる力が増すと考えるのは妥当ではないだろうか。

 さて、縄文時代の人は魂を信じていたようである。そのように多くの学者は唱えている。不思議な形態の非日常的な遺物が出てくるのでそうとしか考えられないところがある。ただ、縄文時代には文字が無く、メソポタミア、エジプト、インド、中国といった大陸の文明と異なり、どのような宗教だったのか、どのような神話があったのかはよく分からない。7,8世紀に日本列島に文字が入り、記紀や万葉集に収録されて残されるようになり、その伝聞から想像するしかない。縄文時代の火の神はカグツチではないかとか、いろいろ言われるが、言語が時代とともに変わるように神話も時代や地域で変容することは現代の神話の分布を見れば明らかだと思う。記紀の日本神話は当時の政権がでっちあげたお話で信用がおけないということは何十年前にはよく言われたが、7.8世紀にきちっと記述された神話など世界的にも珍しいらしく、資料としては一級とのことだ。しかし、そうだからといって5000年前にカグツチ信仰があったかはどうかはわからない。

 さて、冒頭の写真であるが、神奈川県の岡田遺跡の釣手土器であるが、表(前)から見たときと裏から見たときの印象が全く違うのがこの釣手土器の特徴である。ある研究者はイザナミの首ではないか。仏のような表と夜叉のような裏。ただ、そんな外見だが中には火がともる。ここからは私の妄想であるが、人は状況により仏となったり夜叉となったりもする。しかし、身体の中には火が灯る。この火は先ほどの魂(性善説的な解釈を伴う)を表すのではないか。この時期、こうした釣手土器と符合するかのように、中部高原や関東南西部を中心に、同じようなデザインの顔面把手があり、顔面把手付き深鉢がある。顔面把手付き深鉢の本体の中には様々なスープが家庭の味?として入っていて、家族や一族が楽しむ食物となる。火か食物の差はあるが、火ないし食の持つ本質は、魂=愛そのもの、ではなかろうか。同様に中空土偶(中には小型で鈴のように音がでるものさえある)も等価ではないだろうか。さらに竪穴式住居や環状住居などのプラン・・・外見はいろいろであるが、人の身体の中には愛そのものである魂がある。これが縄文時代(中期)の人間観であり思想だったのではないだろうか。因みに、こうした人間観は脈々と現代にも伝わり様々な宗教や哲学にも影響を与えているように思う。例えばカトリックのパウロの思想には人の身体は神の神殿ということがある。

   

岡田遺跡周辺
 ここで等価というお話をしたが、これは故市川亀久弥先生が提唱し湯川秀樹先生が応援していた等価変換創造理論のことである。これは発明理論として今でもTRITZなどと同じように企業の開発部門に導入されているが、本来は工学分野以外にも使える理論だ。かつてアナロジー論が跋扈していた時代に市川先生が作り出されたもので、これからのAI時代に生き残るために重要な理論ではないかと思う。
 例えば青虫が生殖のためにサナギとしてアミノ酸レベルまで分解し蝶として再構成されるという完全変態の例えが分かりやすい。まったく違う生き物になったように見えるが、生命体の本質は意外に繋がっている。別の工学の例では、真空管製造会社が時代のニーズの中で真空技術を応用して魔法瓶会社に転換したのが有名である。身近なエスカレータも人が階段で登るところを階段が人を乗せて登るという別の形態に変化された例になるのかもしれない。


 岡田遺跡は縄文中期で3つの集落、1000件を超える住居が発見され国内でも最大級といわれているが、近くには寒川神社がある。気のせいかもしれないが縄文遺跡の側には神社や祠があって、こころが和むように感じる。聖地に入ると邪眼になるより慈眼となって帰るほうが多いと思う。岡田遺跡も縄文中期で600~700年続いたといわれている。当然ながら長期に渡れば天災・災害・今度のような疾病、あるいは部族同士の葛藤などがあったと思う。そんな中、縄文時代には兵器はなかったことがよく言われる。争いではなく平和。現代では絵に描いた餅のようだが、縄文時代はそれが10,000年以上に及ぶ。平和や和解が普通である。その基本思想は愛そのものの魂の思想があったからではないだろうか。

  

縄文時代の楽しみ方 10/10 

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