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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人は反知性主義だったか?(古代人は真実を大切にした 10/10)

2015-06-16 | 第二章「五感と体感」

 知性的な人は信用されないところがある。これは、どうも世界的な現象だそうだ。自分のことを考えてみても、そうかなと思うことがある。知的に理路ばかりを追いかけていくと、感情が湧かなくなるという現象がある。防衛機制の知性化の働きで、意外に現実吟味で難が出て世の中から浮いて来たりする(笑)。船頭多くして舟山に登るという諺があるが、どこか似ている。

 しかし、縄文人の生活を考えると、この真実追求というか知性が情緒的な生活と繋がり絶妙のバランスをとっていたのではと思うのだ。例えば、朝起きて太陽が村の向山の一本杉からちょうど登るのを観て、そろそろ夏至が近い(今年の夏至は22日)とオレンジ色の太陽を観つつ喜びを感じたりする。そして、夏の川の漁に備えて、籠をそろそろ作らねばと考えたりする。

 今の世の中は、6月17日9:33とタブレットで知り、そろそろ日曜までの宿題に取り組まねばと知的に思ったり、さらに、そういう自分の気持ちはやや不安かなと、感情まで知的に計測したりする。知性だけが変に働き・・・自分の根の生命をどこか忘れてしまう。そして、知性化ばかりしていると、本当の自分の感情や情緒が判らなくなっていき、そして、仕事も変になる。

 先日の生き甲斐の心理学の勉強会は気が付いたが、私は幼いころから知的に考えることが好きであったが(知的というより妄想(笑))、もっとも注意すべきことは知性化という防衛機制だったと。五感体感を無視せず大事にしつつ知性を働かせる。それが何よりなのだが、知的にだけ走ってしまうのはよくないと。

 6月17日をタブレットで知るのも便利だが、例えばアヤメに6月17日を感じ、その不安感というか清涼感に日曜までの宿題をイメージするとか。少なくとも季節感は大事にせねば。

 ところで、今は知性を馬鹿にするような反知性主義がもちあがっているらしい。書店で「反知性主義」というコーナーがあり驚いてしまった。知性はたしかに知性化という防衛機制は注意しなければならないとおもうが、太陽が西から出て東に沈むといった馬鹿げた言説を信じることは破滅を招く。縄文人もしっかり太陽は東からのぼり西に沈むと認識し、そして私たちが存在している。

古代人は真実を大切にした 10/10

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