イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

悪いのは誰だ・・・・・・・・・・・

2007-04-25 | 第四章「愛とゆるし」

最近、4年前から続けていた福祉関係の仕事を止めて、もっぱら生き甲斐の心理学の教育事業に専念していた。

ただ、企業をやめ、福祉の勉強を始めたころの新鮮な気持ちをどこかに置き忘れていたようだ。それをこころの何処かに感じ、広がり始めていた倦怠感があった。

こうした時、現状を恐れず直視し、さらに自分のこころをつぶさに点検する勇気が必要である。ところが、自分の思考や行動を変えることが本来一番よいはずなのに、変に他人のことが頭に浮かびがちになる。

「人のせいにする」、「やつあたり」、「とばっちり」・・・こうしたこころの防衛機制は、私の場合、物心つくころから身に着けてしまった歪みだと思う。いつもではないが、時々頭をもたげてくる。

防衛機制はすべて悪いわけでもなく、大切で重要なこころの仕組みではあるが、本来受けるはずの自分の責任を曖昧にしてしまうという大問題に繋がる。愛の土台は健全な責任感覚だ。

悔いを残さないためにも、時々自分のこころの羅針盤を点検する必要があるだろう。

天使のようなノコちゃん、悪いのはノコちゃんじゃないよ!

東京、藤の花が綺麗ですね!

人気blogランキングへ <- 1クリックお願いしますね


誰が助けてくれるの?

2007-04-24 | 第四章「愛とゆるし」

粗相をしてしまった室内犬ノコちゃん。

こういう場合、ノコちゃんを感情的に怒るのではなく、ノコちゃんと関わりのある家族の問題を考えると意外と深い真理に行き着く。

ノコちゃんが悪い、というより、私も含めた家族の関わり方の問題である。

愛すべきノコちゃん、今家族の中で一番小さな存在である。そして、意外と責任範囲のしわ寄せが来やすい。散歩につれて行かなかったことが多かったか。トイレのケアはきちっとしていたか。餌はどうか・・・

家族ひとりひとりのノコちゃんのケアの責任範囲は何となくできてはいる。散歩、風呂、ヘア等のケア、予防注射、トイレのケア、餌出し、ご褒美・・・

ただ、ひとりがトイレの配置を変えたりで変化があると、当然ノコちゃんにも変化がある。そうしたとき、家族の一人ひとりに何となくある責任範囲から、現在の問題がすり落ちてしまうのだ。

今ある問題を、責任範囲を越えて、自分の問題として関わる。これは、こころの仕組みとして、意外と難しい。そして、このテーマは宗教・哲学・心理学でいろいろ話題になる重要なこと。

ただ、この問題の存在を知るだけで、人生楽になれるところがある。

ノコちゃんを救うのはだれであろうか?

人気blogランキングへ <- 1クリックお願いしますね


訓練、訓練、また訓練!

2007-04-23 | 第四章「愛とゆるし」

昨晩、レンタルDVDを見たくなった。DVD装置は昨年買ったものがあるが、いつも家の誰かに頼んで操作してもらっていた。殆どDVDのお世話にならなかったことも一つであった。その日も娘に頼むと。

「お父さん、スイッチは裏のここにあってね、スイッチが入るとこのランプがついて、そしてこれを押す・・・」。と頼みもしないのに操作説明を親切にしてくれた。人任せは駄目だというのが娘のポリシーでもある。

この娘、二十年近く前に補助車なしでの自転車の乗り方を、私が教えてあげた。結構時間を掛けてもなかなか要領を得ず、すこしイライラして娘を残し、自宅に引き上げてしまったことがあった。

しばらくして一人で娘が乗れるようになったよと、嬉しそうに報告に来た。そのときは、きちっと最後まで付き添ってあげればと、愛情なさを後悔したものであった。

家事を学んだり、新しい携帯やパソコンの操作を学んだり、考えてみると人生実に、訓練をしたりされたりである。

そして、訓練によって、何か問題を解決したときに、その問題を解決したこと以上に心が温まることもある。

その重要性に気がついたのは恥ずかしながら最近のことである。

訓練、訓練で問題解決や能力開発だけに目が行きがちだが、実は違う面がもっと重要かもしれない。

人気blogランキングへ <- 1クリックお願いしますね


清い水に浮かぶパンジー!

2007-04-22 | 第四章「愛とゆるし」

人生56年を振り返ってみて、自分で言うのもおこがましいが、輝いていた時期がいくつかあることに気がつく。

そして、人生が良いほうに転がる、きっかけを考えてみると意外な事実が判る。そういうきっかけは、必ず苦労して暗闇の中を歩いていた時期にある。

そうした一番始めの経験は、大学の2年の時であった。朝、4時過ぎに東の空が明けてきたころ、窓を開けると、美しい明けの明星が見えた。

それだけの経験ではあるか、その感動の瞬間に熱い涙が出たのを今でも覚えている。夜明けの空に輝く明星の美しい、透明な光であった。

そして人生が良いほうに転がり始めると、良い師、良い友に恵まれるのも不思議なことである。

苦労は余りしたくない。無難な人生を歩んだほうが良いようにも思える時がある。でも、そこで終わるより責任と苦労を引き受け、真実を大切に暗闇を進むのが本当は良い。

そう思うと、希望が湧くのが不思議である。

パンジーの花びら、清い水の表面張力に支えられている!

人気blogランキングへ <- 1クリックお願いしますね

 

 

 


土下座をしろとは言わないで!

2007-04-21 | 第四章「愛とゆるし」

電車の中で、突然口論が始まり、プラットフォームに下りた男性二人。ひとりが大声で怒鳴る。「土下座しろ!」。これで、喧嘩が始まるかと心配していると、あっけなくもうひとりが土下座をした。

衆目の中、怒鳴った男はさっと立ち去ったが、周りの人は何か後味が悪いようだった。

成人のこのようなトラブルも問題だが、青少年が関わる変なしつけや、いじめはもっと深刻だと思う。大きな心の傷になることもあるだろう。

人をゆるすこと、自分をゆるすこと。問題の渦中にあっては考える余裕はない。こころが健やかなときに、何であの時自分はゆるせなかったか、どうすればよかったかを振り返ってみることは役にたつ。

自分にも生まれ落ちてからの、固有の成育史があり、他人も同様に固有の成育史ある。批判せずじっくり傾聴すると、深い人の真実が見えてくる。

人の真実は深遠で、単なる理屈は余り役に立たないと思う。傾聴することを学ぶと、問題解決が楽になり、随分ストレスが軽減した。

犬のノコちゃんはトマトが大好き。すぐに土下座?

人気blogランキングへ <- 1クリックお願いしますね