イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

本当に好きなことを見つける!

2007-07-26 | 第七章「光と復活体」

ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊博士のドキュメンタリーの予告を見ていたら、若い方に言いたいこととして、「自分が本当に好きなことを見つけることが重要」という趣旨のお言葉があった。

人生にとっての生き甲斐を見つけること。一番重要であるが、見つけるのも大変難しいことも事実である。

人のこころを考えてみると。人には、心を安定化するための仕組み、防衛機制(抑圧、抑制、同一化、合理化・・・)があるが。これが私の場合は、自分の本当に好きなことを見づらくしていたようだった。

「朱に交われば赤くなる」などが一例である。例えば家庭や組織の一員として生活することで、本来の自分が見えにくくなってしまう。

また、環境が作る自分に対する思い込みも大きな障害になる。例えば、父の一言で本来AであるのにBだと思い込んでしまうこともある。

暗い感情生活によって、不安、怒り、身体症状と不健康な方向に向かい、ますます自分が見えにくくなることもある。

今回は、防衛機制の問題や明るい感情生活へ向かう方法は割愛するが、7歳以前の魂の年頃といわれる時代を自己事例をもとに考え、本当に好きなことの源流を探してみたい。

人それぞれ豊かな源流があると思う。老人ホームのリクリエーションなどで、ふと見せるお年寄りの少年少女のような初々しさ。本当に好きなことを見つけるヒントが7歳以前の魂の時代にあるかもしれない。

人気blogランキングへ <- 1クリック応援お願いしますね
源流(1/5)


夕星

2007-07-25 | 第七章「光と復活体」

友人という言葉に、何となく躊躇いを感じるが、やはり彼は友人だったのだと思う。お会いした時間は短かかったが、不思議なご縁に包まれていたように思う。

彼は、今月の初め異国の地で48歳の若さで帰天した。宣教師として、ブラジルに派遣されて一時帰国し、戻る途上での出来事であった。

5月にお会いできる予定があり、楽しみにしていたが、用事ができてお会いできなくなったのが本当に悔やまれた。

最近まで、インターネットを通じて、お元気そうなやり取りを拝見したり、メールをいただいたりしたのが信じられない。

その彼が、バトンを通じて、好きな画家として東山魁夷氏を挙げられていた。私も好きで昨年は、是非見たい絵があり長野県信濃美術館までその為に行ったりした。

一番見たい絵は、東山魁夷氏の1999年の遺作、「夕星」であった。湖の前に木が四本あり、その上に宵の明星が輝いている絵である。残念ながらその絵は当日展示されておらず見ずじまいであった。

昨晩、四谷で夕方に宵の明星を見た。地平線に近いところに輝いていた明星は、あの夕星のようであった。

人気blogランキングへ <- 1クリック応援お願いしますね


朝は至福の時!

2007-07-24 | 第七章「光と復活体」

世の中は憂鬱になることが多い。自分のこともあるが、人様のこともあり、無力感で自己嫌悪に苛まれる夜もある。

昨晩は梅雨で毎日晴れ間も見ることもなく、疲れもあったか何もする気が起こらずついにブログも書けず、早く寝てしまった。

朝小鳥の声や、蝉の声で目覚める。朝の物音と光は、暗い気持ちを自然と明るくする妙薬のようだ。窓を開けると、少し冷たい風もあり、久しぶりに晴れ間まで見えた。

五感で朝を感じることで元気になる!

子供のころの、夏の早朝は結構楽しかった。当時は蚊帳が釣られていて、寝坊していると母が蚊帳を外し、蚊帳からもぐり出ることは楽しい思い出である。

幼いころ、小学校のころ、結構もぐって遊ぶことが多かった。布団の中をもぐる。学校の床下をもぐる。当時は防空壕跡などもあった。一度は跳び箱の中にもぐりこみ、跳び箱の上にマットを乗せられて出られなくなった思い出もある。

もぐること。誕生のとき、母の産道を通過し光溢れる外界に生れ落ちる記憶がどこかにあるためだろうか。

朝は誕生のときの記憶をどこかに思い出す、至福の時だと思う。

人気blogランキングへ <- 1クリック応援お願いしますね


子を思う親ごころ!

2007-07-22 | 第七章「光と復活体」

今年の春、我が家のオスで5歳のマルチーズが、不思議なご縁で近くの方のご紹介で結婚し、5月の終わりころ仔犬4匹が誕生した。

母犬と4匹の仔犬は別に生活していたが、先週から仔犬1匹が我が家で生活することになった。オスのマルチーズ(ノコ)と一緒にメスの生後2ヶ月の仔犬(こなつ)が暮らすようになった。

私が家に戻ると、犬2匹が親子で出迎えてくれるようになった。

さて、昨日、仔犬が予防注射のために親犬を残して出かけてしまった。今まで24時間いつも親子でいたわけだが、初めて仔犬がいなくなると、親犬は落ち着きをなくし、しばらくすると悲しそうに遠吠えをしだしした。

犬でも子供に対する想いというのがあるのだろうか?子を思う親心は同じなのだろうか。

親子関係というのは、さまざまな人間関係の中でも思い悩む難しい関係のひとつだと思う。子にとっての親、親にとっての子はとても大切な存在であり、そしてそれ故に不安をはじめとする暗い感情の源泉となりうる。

平安感、友好感、幸福感といった明るい感情を得ることもあるが、大半は暗い感情である。

ただ、仔犬に会いたがる親犬の悲しみが真実であるように、子を想い不安感を抱く人間の親たちも美しい真実だと思う。この真実を神仏はどう捉えるのだろう?

親子関係に不安感を抱くとき、こうしたちょっと離れた視点から自分を見つめると楽になる。

暗い世界に、一条の光を見るようだ。

人気blogランキングへ <- 1クリック応援お願いしますね


無関係しりとり遊び?!

2007-07-21 | 第七章「光と復活体」

幼いころ、小学校のころ友達としりとり遊びをしたものである。言葉を覚えたり、頭を鍛えたりする上で良いのだと思う。

ただ、因果関係というかゲームの規則がきちっとあることもあり、何となく疲れるところがあった。

そんなこともあり、大学生のころに「無関係しりとり遊び」なるモノを考えて、友人たちと遊んだ。

ルールは簡単である。名詞をひとつ出し、次の人はその名詞と全く無関係な名詞を出す、そして次の人は、その名詞に全く無関係な名詞を出す・・・・

後で、誰が一番想像もしなかった無関係な言葉を出したかなどで競う。

こんな他愛のないゲームではあるが、お互いの個性を感じあい結構楽しい。子供とこのゲームで楽しく遊んだこともあった。

インタネットの世界でも2004年ころからバトンなるものが出ている。スパム性を排除することを考え、一人ずつ回す健全なものを拝見したことがあるが。個性豊かで心に深く残ったバトンもあった。

考えてみれば、日本には昔から連歌の伝統もあった・・

個性の美を楽しめ、変に競争心を煽らず、明るい気持ちになれるゲームがあればと思う。

人気blogランキングへ <- 1クリック応援お願いしますね