イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

白鳥の歌!

2009-06-22 | 第八章「魂と聖霊」

 学生時代に愛読した、庄司薫氏の「白鳥の歌なんて聞こえない」を、30年ぶりくらいに読み返した。

 英語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、パーリ語等の膨大な原書で読みこなす博学の80歳くらいの老人の死に、立ち向かう青年達の物語であるが、当時の自分の死生観を確かめたり、主人公の薫をはじめ由美さん、小沢さんと言った登場人物の心の流れを味わえた。改めて感心したのは、主人公の現実吟味力の確かさで、青年というより、壮年の安定感ある物語であった。

 「生き甲斐の心理学」を学び、身体、こころ、魂から来る孤独。愛、死の意味とその感じ方、信じないで見える世界など、勉強になった。

 庄司薫氏は、1960年代後半に芥川賞を受賞され、その後しばらくして中村紘子氏と結婚されたことは記憶にあったが、今どうされているのかと調べたら、Wikipediaに次の記事が載っていた。お元気に暮らされているようである。

 人である私は、100%身体の死を迎える。また、私たちの文明も、恐らく100%近く滅びるだろう(今までの137億年の宇宙の歴史を考えても、現世人類が居たのは、ほんの一瞬である)。そんな中、如何にイキイキと生きるかは、思考・行動・感情がきちっと充実し整合していることがポイントのようだ。

 昔は、そんなこと不可能だと思っていたが、今は楽観している(主観的であるが)。これも信じて見える世界の勉強のお陰かもしれない。

<死の問題 1/4>

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日々のちょっとした感情から・・・

2009-06-21 | 第八章「魂と聖霊」

 人生に一度くらいの、大きな感情の傷もあるが、日々の生活の中でのちょっとした傷もある。

 初孫が家に来て、新しい闖入者に驚いて飼い犬が吠える。五感から来るちょっとした閉塞感。吠えずに迎える愛犬を期待していたのに、裏切られたようで、それが暗い感情を起こす。

 そんな些細なことで、意外と日々の中に隠された危機を意識化するきっかけになることもある。

 人の活動は、思考・行動・感情で成り立つが、そのうちこころが傷つくのは感情だけであることをU先生から学んだ。「生き甲斐の心理学」を学ぶ前は、思考・行動は大切にしても感情は、できれば無い方が・・・位の認識であった。

 しかし、感情は、自分のこころの眼のようなもので、それを感じ、その意味を考えることは、思考・行動を清々と動かすためにも必要なことのようである。犬が吠えて、いらっとして意外と全く違う問題に気づく。

 こころの柔軟性が失われている原因・・・そんな風に考えながら、自分のこころの健康状態や生き甲斐に想いを寄せる。雨の日曜日も良いものだ。

 何となく無味乾燥だった赤いバラが、今は魅力的になってきた。

<危機の時 4/4>

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人生の危機とは・・・

2009-06-20 | 第八章「魂と聖霊」

 人生の危機とはどういう時をいうのだろうか。

 病気や災害など身体的な危機。近しい人の危機。降ってわいたような危機は、確かに大変で苦痛を伴うが、意外と何とかなっていくようにも思う。勿論、自分一人ではどうしようもない世界で、何とかなっていくのはとても神秘的な過程であるが・・・

 自分の業・罪深さを知ること。これはどうだろうか。自分の人生の大きな転機になるようであり、一番の危機といってもある意味で良いかもしれない。

 神話や昔話の世界を見ても、例えば、見てはいけないとか食べてはいけないいう禁止を破り、大切なものを失うという物語がある。日本神話だけでなく、様々な神話などに語られている。ひょっとすると、数万年以上の現世人類の深層に流れている物語かもしれない。

 わかっちゃいるけど、やめられない・・・そんな、人間の業。それも、特殊な他人の話ではなく、自分にも業があることを身近に感じること。

 人類の遥かなる歴史に刻まれている、業の問題。その解釈の仕方ひとつで、人生は大きく変わる。どれが正しい解釈かは判らないが、誰でも、伝統宗教や哲学の中から一つを選び、信じることで解釈を進めることができる。

 自分が、表層の上着を脱ぎ、罪深さを真に知り、神の有難さを知ったのは同時だったかもしれない。

<危機の時 3/4>

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あたたかい一言で!

2009-06-19 | 第八章「魂と聖霊」

 自分一人で解決しにくい、あるいはできない問題に直面することが、人生の中にあるようである。

 そんな困難の中、誰でも、環境に適応できず、心理的に病理の方向に進む可能性がある。私の場合は、寝られなくなったり、胃腸の調子が悪くなったりの身体症状がでることもある。不安=>怒り=>身体症状=> ・・・と階段を昇っていくようである。

 そんな困難な時は、あの時、この時といったように、10回位あったかなと、思い浮かべることができる。

 そして、何で困難を乗り切り、病理に陥ることもなく生き抜けたかを考えることは、意外と大切である。

 自分の場合、何となく周りの親しい人と話したり、時には相談したりで解決してきたのかなと思う。それから、神仏に祈ることも大切な気がする。若い頃は祈りを馬鹿にしたが、単に問題解決をお願いするだけでなく、深い深い祈りというものもある。

 そして、理屈ではなく相手の、優しい眼差し、一言・・・そんなことに触れることによって、いつのまにか、困難を乗り越えてきたのかもしれない。(カウンセリングの理論から言っても理にかなっているが)

<危機の時 2/4>

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そっと助けられる!

2009-06-18 | 第八章「魂と聖霊」

 対人関係の仕事をしていると、時に激しい怒りや脅しに遭遇したりする。

 私も、若い頃から自分には向かないと思いつつ、営業の仕事をしたり、福祉・介護の仕事も経験した。そして、いろいろなことを経験すると、どんな場合でも平静でいられるような人間になれるのではと若い頃は思っていたが、そんなことは無いようである。今でも、感情の波は激しく、傷つくことも同じだ。

 激しい怒り、冷たく放たれる暴言に、感情はすぐ傷つく。若くても、年をとっても。

 20歳台のころ、A社に営業に行ったが、その時に激しい怒りでおどおどしたことがあった。暗い気分でいると、他社の営業の人から、A社のBさんのところで営業できたら、世界中どこでも営業できると、仲間うちで言ってんですよと慰められたことがあった。

 Bさんは頭が良く、かつ白黒をつけたがる。前に座っただけで、何か自分が悪者になったような気分になる。

 そのBさんとの関わりも、不思議なことに(周りの人たちの親心もあったか)、その後1回程度お会いしただけで、全く疎遠になってしまった。

 30年くらいの時を隔てると、Bさんの思い出も、何となく懐かしくなる。また、「生き甲斐の心理学」を勉強したお陰で、より客観的に状況が理解できるようになった。

 もし、タイムマシンがあって、20歳台の自分の側にいくことができたら、どのようにアドバイスや支援をするだろうか。そんなことを空想してみた。

 ちょっと考えたが、身近だった仕事仲間が、いろいろ助けてくれたんだな、と当時気付かなかったことを感じた。自分がわざわざタイムマシンで登場することもない。気付かないうちにそっと助けられ、物事が清々と進こともある。感謝である。

<危機の時 1/4>

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