イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

木!

2009-09-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私は木が好きである。

 時に高い木を見ていて、とても神聖なものに触れた気分になることもある。それは、恐らく7歳の時に両親と住んだ、南西アラスカ、シトカでの経験が原型としてあるように思える。 

 1958年パルプ工場の建設で、活気があった当時のシトカは、ロシア正教の教会がある旧ロシア領の小さな町であった。私たち家族が住む、街の外れの住まいは、ロシア人墓地に隣接していた。小高い丘には、白い十字架が静かに何本も立っていた。

 町の外れには、公共施設としての公園があった。その中には、トリンギット族の作ったトーテムポールがある。

 ある日、両親とその公園に行った。高い針葉樹に覆われた公園の中に、トーテムポールが立っていた。古い大木を削り、青や赤の彩色を施したトーテムポールの前に、観いっていたことがあった。たった一人で。

 不思議な鳥やカエル、猿のようなものと対峙する。もっと幼い頃に観た日光の仁王像などと違い、不思議な親しみやすさもあるものの、ちょっと怖い。耐えきれず、両親の呼び声のする方向に駈けていった。

 シトカの思い出は、50歳を越えてから、心理療法や生き甲斐の心理学を学ぶようになるまでは、ほとんど封印されていたようであった。心理学に興味がなければ、昔の幼い頃の記憶を、あれやこれや想いだしたり、思索したりすることはないと思う。当然ではあるが。

 当時の異文化での生活を思考や感情などから、想いだしたりしていたが、あることを知って、愕然としたことがあった。写真家で有名である、星野道夫氏の「森と氷河と鯨」(世界文化社)を読んだことが契機だ。

 その本の中で、クリンギット族の若者ボブの逸話が載っていた。1980年代にロシア人墓地周辺(私が住んでいた地域)を住宅地に開発する計画があったそうである。私の知っていたロシア人墓地も荒れはてていたが、その周辺の森は何百年の歴史を誇るクリンギット族の墓地であったことが判ったそうだ。ボブはその墓地を保存する運動を一人で始めたそうだ。

 話は変わるが、青年時代、愛読した吉原幸子氏の「無題」という詩の一節は次のように始まる。

 風 吹いてゐる

 木 立ってゐる 

 ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

 ・・・

 こうした詩に、不思議に共感してきた自分。私の祖先は、広島県で生計を立てる以前は、紀の国(和歌山)に住んでいたという。これも何か繋がりがあるのかもしれない。

<日本人 8/8>

 (写真の木は、先日信州に行ったときに撮ったもの。)

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心理学的<夢>リストアップの効用!

2009-09-23 | 第十章「今ここでの恩寵」

 50年以上生きているが、その間に両親を通じての、様々なスリコミや学校教育、企業教育の影響。仲間や家族との生活を通じて、自分が直接経験したこと。そして、身体の成長や老化の影響。

 そんな中で、自分の夢(理想領域)が形成されていく。

 どろどろとした情念のような夢、美しい夢、何でいまさらといった夢、そんな様々な夢(理想領域)をリストアップしてみた(人には絶対に見せないノートに)。

 倫理道徳から離れ、できるだけ素直に書き連ねてみると、意外にも自分の生育史や日本文化、生物的な傾向など、見えてくるものがある。

 ずっと見ていると、こんな夢を持つ自分が愛おしくなってくる。不思議なものだ。

 孫悟空がお釈迦様の手のひらの中から逃れられなかったように、身体や生育史からなる心は限界があるようだ。勿論一方に、それを乗り越える何か、安心しなさいと囁く声もある。

 そのリストから、自分の腑に落ちる、優先付けをしてみたらどうなるか。自分の死に向かって、悔いのない人生を送るための、当面の活動計画に連なるかもしれない。

 あるいは、そのリストから、自分の悩みや囚われの原因が見えてくる。暗い感情の原因は、理想領域が大きな要因といわれている。

 無理なく、のんびりと思索してみたい。明日は勉強会だし。

 ・・・すでに夏は去り、読書の秋であり、思索の秋である。

<日本人 7/8>

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もう一度、村上春樹・・・

2009-09-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

 先週の金曜日から昨日まで、仕事を離れ、U先生の心理学の勉強会、そして村上春樹の小説「1Q84」に集中した。

 頭の中は、比較宗教学、生きがいの心理学、そして「1Q84」が頭を渦巻いていた。

 「1Q84」は不思議な小説ではあるが、基本的に信じて見える世界、見えなくなる世界が大きなテーマであるように想えた。善悪が相対化され、気持の悪いような現象学的な雰囲気(いつの間にか、読者を引力圏に引きこむような)・・・。しかも、人間を身体、生育史、魂から成り立つと考えると、人間の見たくない面も沢山書かれている。しかし、人の尊厳の核となるような愛そのものとしての魂を信じている普遍性があり、ほっとする。

 まだ、読まれていない方のことを想うと、あらすじを言うわけにもいかないが、ある、主人公の一人の結末を考えると、問題の難しさを心底感じる。こころは自由なはずなのに、何故?

 日本人とは何か(もっと普遍的なものかもしれない)を考える時、この「1Q84」は楽しみながら、何かを得られる小説なようだ。

(写真は、町田の勉強会の後で、鶴見川上流で写した鯉)

<日本人 6/8>

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俗世間から離れたところで・・・

2009-09-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日まで、二泊三日のU先生主宰のユースフルライフ研究所の勉強会(ワークショップ)に参加してきた。

 心理療法や生き甲斐の心理学を学ぶ私にとって、掛け値なしの最良の修行の場である。心理学の勉強は、自分の生育史と正統な理論的バックグラウンドを持った師や同志が絶対に必要である。単なる知識以上の知恵を得るためには。

 今回の3日間の勉強会は、いつものように日常生活とは隔絶した場所で、テレビも新聞も見ず過ごした。

 その中で、村上春樹流に言えば、冥王星のそばを静に通り抜ける惑星探査船のように、遥か彼方から自分を見つめるような機会を得たようだ。心の深層から湧いてくる感情と想念を、師や同志の胸を借りながら、言語化し意識化する作業は、日常生活の中では絶対に得られない。

  一番感じたのは、自分の生育史にある無力感に苛まれる経験が、意識化され、そこから希望が湧いてくる感覚である。丁度、今の時代はオバマ大統領が登場し、日本でも稀に見る政権交代があり、変化が目に見え始めてきたところである。時代と同期(シンクロ)している兆しが自分の中に不思議にももあるようだ。

 自分の中の、柱(アイデンティティ)が統合され、今まで見えなかったものが見えてくる。そんな時を、静かに深まる秋の季節に迎えたのは嬉しいことだ。感謝である。

(写真は信州に行ったときのものです。勉強会とは無関係ですが・・・)

<日本人 5/8>

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窓から見える父の空・・・

2009-09-18 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自分の生育史を考え、自分とは何だろうかと考え続けていくと、自分の信仰のことが、大きな影響を与えていることを考えざるを得ない。

  母がカトリック信徒。その影響で幼児洗礼を授かり、そして、紆余曲折はあったが、今もカトリック信徒である。

 クリスマスやウェディンングなどで日本も、キリスト教に親和的になってきたが、幼いころから、毎週日曜日に母と教会に行ったりする自分を、どう受容し統合していくかは、結構大きな問題であった。

 亡父は、仏教・神道のごく日本的な宗教環境のもとに育ち、晩年はとにかく、普通の日本人と同様に、お墓を大切にしたり、神仏を大切にしたが、日常的な宗教活動は特にしなかった(祖父母たちのように、家に仏壇がなかったからかもしれないが)。 

 しかし、カトリックの母に特に宗教に関し反対したりしたり、貶したりする姿は一度も見たことはなかった(ほとんど仕事をして家にいないこともあったが)。

 父の本棚を高校生のころになると、良く覗いたが、岩波文庫で、日本切支丹宗門史(レオン・パジェス著)があったりした。、亡父もある程度のキリスト教への理解があったようだ。そうでないと、カトリックの母とお見合い結婚などしなかったであろう。

 今、私は比較宗教学に興味をもち、よく神社やお寺を参拝する。亡父に連なる日本人の祖先が、100%ではないにしろ、カトリック(戦国時代は人口の10%になったという時代もあったようだが)を認めていただいているように想う(勝手ではあるが)。

 それが故かもしれないが、祖父母たち祖先の信仰してきた神社仏閣を、どこかで働く聖霊の伊吹を感じつつ大切にし、天国で祖先達と再会したいと願っている。

<日本人 4/8>

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