イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

新しいコトに触れる喜びと・・・(防衛機制を考える 8/15)

2011-01-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、今年初めての妙蓮寺の勉強会に参加した。ワクワクする、さまざまなお話をして、あっという間に夕方となり帰宅した。新しいものに触れるときの、トキメキというか、こころの動きを堪能した感じである。

 昨日、申し上げた、80自性にも≪以前なかったものを見るこころの働き≫というものがある。このブログにも、万華鏡のブログパーツを掲載させていただいているが、新しいコトが次々に、興味あることがどんどん開けてくる感じは、とても好きである。

 今朝も、寒い中ベランダにでて、接眼レンズでつき携帯での撮影をした。シクラメンの花はいつも愛でているが、今日はシクラメンの葉もとってみた(上の写真)、不思議なぎざぎざにはっとした。そして、先日買ったローズマリーの葉も撮り、また、爽やかな香りを楽しんだ。何かマンネリ感におちいり易いベランダも、見方がちょっと変わるだけで、トキメク。

 さて、今日は防衛機制の感情転移について考えてみたい。特定の人に向ける感情を類似の人にむけること。そんな防衛機制である。八つ当たりなどは典型であるが、自分の一日のこころの流れを反省してみると結構この現象がある。あることに、気づく。あることに心が囚われ執着するための現象だと思うが、感情転移されたほうは当然迷惑であるし、当の自分自身も判断力が狂わされるわけでもある。

 自分も他人も大自然も、刻々と変わっていくのがこの世の常なのだろう、そんな中でいつも新鮮な気持ちで、物事を見つめられればなあと思う。でも、中々出来ないこともある。AさんにBさんが何か似ているので、Aさんへの感情をBさんに無意識に転位してしまう。そんなこともあるようだ。そんな中BさんとAさんが違うことを、こころの底から知覚すると、変な転位も消える経験をしたことがある。

 こころの防衛機制を考える 8/15

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こころの流れをチベット流に楽しむ喜び!(防衛機制を考える 7/15)

2011-01-26 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 荒井じゅん先生を講師にお招きしての、太極拳サークルの立ち上げの見通しがたち、協力していただいた方からのお声を読ませていただいたりして、今朝は幸福感を味わっている。想えば昨年の12月7日の夜にひらかれた鎌倉・寅堂のパーティーでからだった。

 その時の自分のこころの動き(偶然にも先生とお話した時など)も、それから一ヶ月半くらいのこころの動きも実に神秘的であった。沢山の感情の曼陀羅を見つつ、そして、さまざまなこころの働ききを感じつつここまで来たようだ。

 今、たまたま連載している、フロイトの14の防衛機制も、そうしたこころの動きの捉え方の一つだと思うが、生き甲斐の心理学を学ぶ中で、教えて頂いたチベット死者の書(ゲルグ派版 ロサン・ガウアン著 平岡 宏一訳 学研M文庫)に出てくる80自性を再読してふむふむと楽しんでいる。

 まさしく、この80のこころの働きが入り乱れた一ヶ月であった。今回は、先生をお招きしてのサークル活動を目指したものであったが、そんなこころの働きも長い伝統のある、チベット密教の書には解明つくされているようだ。

 財を捨てようとする心(布施の心)の働き
 よい行いをしようと努力をする心の働き

 何か、現代の世界的なNPO等の活動を支える、現代福祉思想にも通じるような働きである。私のようなものでも、そういった心の動きがあるのだなと感心?する。勿論、その他さまざまなこころの動き(人に言えないようなことも含め)もあったのは当然である。こころの働きをある程度客観化し、適切な行動に結びつけることができるのが理想である。

 自分のこころの動き。こころの流れ、それを、80自性の表を参考に時折、のんびり意識化してみると、自分に対する新たな発見があったりして、楽しいものである。

 しかし、こうした不思議なこころの働き。実に不思議である。

 こころの防衛機制を考える 7/15

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強く逞しく・・・鍛えられること!(防衛機制を考える 6/15)

2011-01-25 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 拡大して写真が撮れる、接眼レンズをつけてカメラ付き携帯電話でとった。これは、洗濯もの干しの鎖をとったものである。

 大学を卒業して、就職し仕事に就く。ちょっと頭でっかちで、まだ厳しい社会で生き残れるか不安な新人は、昔は厳しく鍛え上げられたものだ。今考えると、自分の中のこころの防衛機制に関して、いろいろ気づかさせるような、こころのトレーニングも含まれていたように思う。まわりに自分のことを真面目に考えてくれた方が沢山いたなと、改めて感謝してしまう。

 さて、今日は合理化という防衛機制を考えてみたい。これは、自分の欠点を認めるのが苦痛なので、それを正統化して自分を納得させる事と、テキスト(生き甲斐の心理学)にある。

 入社して1年から2-3年までの時代、この合理化をいろいろ気づかされた。当時は国鉄のストを始め、交通機関が結構乱れた。電車が遅れ遅刻すると、上司に呼び出され、何故遅れたかという。電車が遅れ・・・というと、そんなことは始めから判っている。歩いてでも来るもんだと。

 ある時は、初めての営業であたふたしているときその上司に呼び出され、今日は何をしてたか?と聞かれる。A社に顔見せに行きました。というと、何をしているのか、顔見せなんかしないで、営業をしてこい。こんな感じである。

 顧客との様々なやりとりを経験してから、自分の合理化のこころの動きに気付くようになると、少し大人になるようだ。そして、自分の合理化をお客さんと一緒に笑えるようになると、営業マンとしても一人立ちするころなのだろう。

 しかし、自分がそのように育ったからと言って、他人も同じと考えてはいけない。生き甲斐の心理学を勉強すると、合理化が逆にこころを健全に保つような働きをすることも学ぶ。自分だってそうである。合理化をしているなと、うすうす気づいても、そのままにしてもらいたいこともある。人間はとても弱いものでもある。

 はがねのようにはいかない!

 こころの防衛機制を考える 6/15

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逃げたり、逃げなかったり・・・雑感!(防衛機制を考える 5/15)

2011-01-24 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 社会人となってまもない、20歳台後半のころ、父とお酒を飲みながら話したときに、父が、若いころは重責につかないですむので良いなと、しみじみ話してくれたことがあった。高い役職について高収入なのに、そんなものかなと、その時は変に思った。

 そのころの父の年を越した今、その言葉を思い出すと、父の気持ちもよく判る。重責とは、一つの高い理想をもつことでもある。自分が決めただけでなく、外部から求められる役割としての理想もある。その理想と現実のギャップを埋めるための仕事とも言える。

 生き甲斐の心理学でいうと、理想と現実のギャップがネガティブな感情、ストレス曲線なのだから、責任ある仕事とは、当然ストレスが大きい仕事なのだ。

 40歳台、50歳代になってくると、仕事でも、家庭でも、その他の社会活動でもそれなりに、責任が重くなる。そして、その責任をどう処理するかが重要になる。

 さて、こころの14の防衛機制のなかに、逃避という防衛機制がある。テキストを見ると、現状が苦しいので、他のものに心的エネルギーを出して現状の苦しみを回避することとある。

 自分の成育史の中で、この逃避はどうだったのだろうか?学生時代は、試験が近くなってくると、無性に映画や本を読みたくなったりした。厳しい先生の授業を投げてしまう。先輩から三理一哲(心理学、倫理学、論理学、哲学の単位のこと)は捨てたら・・・で逃げてしまったことも。逆に、逃げては終わり(留年になってしまう)だと、背水の陣で勉強したこともあった(背水の陣とは良く言った言葉で、私はある時、一度落した科目で100点をとって学友から尊敬された。)

 しかし、責任ある、40代、50代になってくると、逃避は結構人生そのものに暗い影を投げかける。仕事でも家庭でも、致命的な結果を産んだりする。

 何で、あの時逃げたのか。今となって考えると、それなりの背景があることに気づく。自分で自分がかわいそうになるような成育史上の背景、無意識の世界の傾向もあったりする。

 ひょっとすると、背水の陣で何とかなったかもしれない。そんな風に想ったりもする。しかし、もし、逃げなかったら、どんな人生になったか?そんな質問は基本的に回答がない。吉もあれば凶もあろう。神のみぞ知るであろう。

 逃避自体が悪いか、否かはケースバイケースで何とも言えない。ただ、現実に自分が逃避しているのかどうかを知ることは、判断力を保つ上で意味があると思う。

 こころの防衛機制を考える 5/15

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新春の実感・・・実感ある生活を大切にね!(防衛機制を考える 4/15)

2011-01-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 太極拳のサークル募集のチラシを時間があるときに作っている。昨日は会場案内図に悪戦苦闘した。フリーソフトにも案内図作成ソフトがあり、どういうものか試してみたりした。結局はなれたExcelでつくることに。しかし、案内図作成は結構難しい。特に八王子駅周辺は、地下等3次元的になっており、2次元の地図では表現しにくい。

 しかも、こころの流れで、知性化の防衛機制が働くのか、知的に表現したくなる。その結果判りにくい案内図が加速してしまいそうになる。実際に自分が初めて行く実感。そういう気持ちで今日は完成させたい。

 さて、こころの防衛機制で知性化というものについて今日は考えてみたい。知性化とは、感情をなまのまま表出するのが怖いので、抽象化して表出すること。とテキスト(生き甲斐の心理学)を読むと書いてある。

 自分もこの防衛機制のはたらきで、何回か病的になったことがある。知性化が加速していくと、自分が抽象的な存在みたいになるのだろうか、人間として大事な実感からどんどん離れていく感じである。

 社会人になったころ、毎日のように金融関係の請け負ったソフト作りを2-3か月一人で行った。

 自分の能力を越えた仕事だったと思うが、納期までになかなかできない自分を無意識に攻めていたのか。一時、ストレス曲線の身体症状まで確実にいってしまった。人間はソフト作成のような仕事もできるが、ソフト作成のように論理的に生活できるわけではない。40億年の生命の歴史を引きずっているのだ。

 ベランダの植物。人間と同じDNA構造をもつ、ある意味で人類の兄弟であるが、この真冬の中でも息づいている。原初の感覚、好きか嫌いか、怖いか怖くないか・・・こんな感情をもう一度確かめつつ、生きる実感をもつのが大切なのだろう。写真をもう一度ど感じてみよう。何気ない植物でも本当によくできている!

 こころの防衛機制を考える 4/15

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