イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

朝はのんびりできる恵みの時!(ふれあいの訓練 3/10)

2012-09-25 | 第五章「和解と平和」

 私は朝型のひとで、幼いころから早起きであった。過去形なのは、この数年仕事の関係から(夜が遅い)、早起きとは言えない生活をしているからだ。それでも、自分なりに朝を大事にしている。

 朝、のんびりしていると悩んでいたことが、ふっと解決するような良いアイデアが自然に湧いて来たりする。これは昔から時々経験している。そして、朝は、変にストレスに陥らないようにしたり(暗いニュースを聴いたりなど)、五感を爽やかにするよう(朝食や音楽など)努力し、朝の爽やかさを持続するようにしている。

 朝の効用は、昔から。早起きは三文の徳・・・とか言われ、現代でも、この知恵を活用しているひとは多い。

 さて、朝の効用を『生き甲斐の心理学』から考えてみよう。思うに、これは、心の防衛機制(抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移・・・)からの開放と深く関係しているようだ。朝、爽やかに目覚めたころは、こころの防衛機制が比較的開放され、今まで抑圧・抑制された感情が湧いてきたり。それと共に、何か自分の中からアイデアが湧いてきたりする。睡眠中、自然にしている腹式呼吸も関係があるかもしれない。

 そして、この朝の体感を大事にし、変に考え過ぎたりしない、のんびりするコツをつかむと、それが、自分の本音を探ったり、問題解決をする時に役立つ。

 自分の本音を見えなくする張本人は防衛機制。

 防衛機制はこころの勉強をする場合は必須科目だが、勉強の仕方しだいで、自己否定や他者否定の傾向が生じやすくなりマイナス面もある。余り深入りせず、防衛機制の少ない自分の体感・自然体を意識できるようにするほうが大切かもしれない。

 ふれあいの訓練 3/10

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新鮮な漠とした不安感を料理しよう!(ふれあいの訓練 2/10)

2012-09-24 | 第五章「和解と平和」

 不安感は、人生の大半を占めるといわれている。ゲーテは70余年の人生で、明るい感情を集めても精々一か月程度と言ったそうだが、別の観方をすれば、殆どが不安感なのだろう。

 ただ、この不安感は何故生じるかを考えてみると、『生き甲斐の心理学』では、不安感は理想と現実のギャップと説明する。さらに、無意識の世界というものもあるので、不安感も二重構造になるかもしれない。

 私の例でご説明しよう。

 社会人となって5-6年の20歳台後半のころ。

 かぐや姫が貴族や帝の利害得失の世界にどっぷりつかるように、どんな人(私のような?)も社会人になると、日常の利害得失に深く関わるようになる。当時はコンピュータの営業職だったので、様々なトラブル処理や営業成績に悩まされた。学生時代のかぐや姫のようにピュアな目も、利害得失の世界で曇ることも。しかし、この不安や悩みも一筋縄ではないことも多い。より理性的に、不安を明確化し問題を解決していくのは簡単でない。

 さらに、無意識からくる不安もあったようだ。代表的なのは、車を運転することからくる変な不安感。当時は私の所属する会社では、営業は社有車で移動していたが、私にとってはストレスそのものだった。それは私の生育史に絡んでいた。6歳の時、友達が交通事故で亡くなった経験が原因だった。

 幼いなりに現場で湧き起こった感情を、何か変に倫理道徳でこねくりまわし、それが原因で運転するときに変なストレスを感じるようになったのだ。感情の処理のボタンを掛け違えたと言ってよいかもしれない(昔はスクールカウンセラーなどいなかった)。

 以上が代表的な不安感であったが、その外にも、身体からくる不安感、魂からくる不安感など複雑に絡む毎日だったと、懐かしく想う。

 自分の本音を探る。

 『これでいいのだろうか?』

 それは、不安感の意味をより掘り下げ。理想と現実を明確化し、理想や現実の自分なりの変化へのスタートポイントになる。明日は、自分の本音を探る際の強敵について、ちょっと考えてみたい。

 ふれあいの訓練 2/10

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萩が咲き、自分のことを考える季節に!(ふれあいの訓練 1/10)

2012-09-23 | 第五章「和解と平和」

 昨日、今日と八王子の朝も20℃を切るようになってきた。先日のフローラルガーデンの萩も綺麗だったが、あの萩はどうだろう?そんな楽しみな萩がいくつかある。その中の一つは来週拝見できるかもしれないので楽しみである。

 そして、一昨年に訪れた、福島県の白水阿弥陀堂の萩も気になる。まだ、震災の影響でまだ修復作業中なのだろうか。当時は想像すらしなかった東日本大震災。その傷はまだ癒えないようだ。

 さて、こうして日本に住んでいると、四季おりおりを意識できるのは幸せだが、自分の在り様は意外に意識されず、のほほんと過ごしがちである。マンネリズム(良い意味も当然あるのだが)をかすかに感じる。それは、嫌な感情というより、大事なシグナルかもしれない。

 「これでいいのだろうか?」

 こころの傾向として、とかく自分より他人のこと(問題)に焦点を当てがちになる。私にも嫌になるほどの経験がある。やたらと口を出したりするが・・・だいたい上手くいかない。他人を変えることは人生経験をつんでいくと至難であることに気付く。ロジャースの性格形成論を勉強するとますます確信する。まだ自分を変える方が簡単だし、効果があるのではないか。

 大テーマの「和解と平和」でも何でも、まずは自分を知ることから始めよう。「生き甲斐の心理学」では、エンカウンターといわれる「ふれあい」の領域である。

 「これでいいのだろうか?」

 漠とした不安というか、感情が湧き、それに気付いたら、まずは良い兆しだ。

 ふれあいの訓練 1/10

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イイネの共感が世界を広げる!(自己愛のことを知ろう 10/10)

2012-09-22 | 第五章「和解と平和」

 昨日、仲間達とFacebookでやりとりをしていると、近くで一緒に話しているような雰囲気を感じ、しみじみとして暖かい気持ちになった。

 私は学生時代から、コンピュータに接する機会が多かった。そして、e-mailに初めて触れたのも30年くらい前だった。当時は、テレックスがe-mailに置き換わる時代。

 e-mailは画期的に広がりはじめ、20年くらい前には、あるベンチャー企業が会議をすべてやめ、e-mailだけでコミュニケーションをする実験をしてるというので驚いた。その結果は聞かなかったが、その後、e-mailだけの会社が沢山現れなかったので、うまくいかなかったのだろう。e-maiにlも限界があった。

 e-mailは、いろいろトラブルの原因になることがある。一番は顔が見えず感情が伝わりにくいことが多いと思う。対面なら、すぐ感情的な反応でわかるが、文字にすると、特にビジネスの世界では感情が伝わりにくく、変な誤解が発生しこまったことにも。

 生き甲斐の心理学を勉強していくと、日常の生活とは違い感情をとても大事にする。人間の正直な気持ち(その人の真実)は言葉以上に、生の感情に現れると考えるからだ。

 さて、Facebookで感動したことは、イイネ・ボタン(Likeボタン)があり、Aさんのコメントに、単純にイイネ(Like)で反応できる。なかなか粋である。

 また、二者間通信に限定されることもなく、特定のグループ内通信ができるのも素晴らしい。

 顔が見えないので、防衛機制でコチコチになったメールのやりとりから、楽しいfacebookのやりとり。勿論、それでもコミュニケーションの限界はあり、様々な配慮は必要だと思うが、人の輪が育ちやすくなってきたようだ。

 イイネ・ボタンの共感性(LIke)の芽は小さいが可能性は大きい。日本の古代。混乱の時代に「和をもって尊しとなす」という思想が生まれ、甘えの構造とも言われた日本的風土が育つ。今はそれがグローバル化の中で変化してきたが、このイイネの芽がネット社会で再度共感性を育てればイイネと思う。

 自己愛のことを知ろう 10/10

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『生き甲斐』を意識すると良いみたい!(自己愛のことを知ろう 9/10)

2012-09-21 | 第五章「和解と平和」

 昨日は一日オフ。A先生の太極拳のレッスンのあと、八王子で用事をすませて自宅でのんびりした。そして『竹取物語』(付 現代語訳 中河與一訳注 角川文庫)を読んだ。竹取物語は、子供時代に読まれた方が多いと思うが、還暦を過ぎてもいろいろ考えさせられる。奈良時代に特別の関心を持っていることもあるが、何故、この小説が1300年以上の歳月を経て、今でも教育的にも語り継がれるのかも考えさせられる。

 竹から生まれたかぐや姫。始めは三寸(約9cm)という小人。そして、育ての父母である、翁と婆に育てられる。そして、成長し求婚をする5人の貴族、ついには時の帝が。しかし、かぐや姫は天の人であることをあかし、最後には羽衣を着て月に帰ってしまう。帝は嘆き、かぐや姫にもらった不死の薬と手紙(この世の幸福の象徴?)を天に一番近いという富士山で焼いてしまう。

 奈良時代は、謀略が横行した時代である。そして、登場人物にも、奈良時代の代表人物、藤原不比等を指すといわれる人物(車持の皇子)がでてくる。謀略・奇策にたけていて、かぐや姫もあやうく騙されそうになるが、ひょうひょうと生き抜く。

 世の中は、生き抜くための競争に知らず参加するところがある。そして、無視したり無視されたり、利用したり利用されたり、そういう現象が良いにしろ悪いにせよおこってくる。その中で、精神的に参らず生き抜くには何か必要か?

 かぐや姫は三寸(約9cm)で生まれ、産みの父母に育てられたわけでないのに、劣等感とは無縁ですくすく育つ。そして、海千山千の貴族がやってきても難なくのがれ、Going my wayである。しかも、周りの人にも優しい。

 『生き甲斐の心理学』でいうと、『生き甲斐』(自己実現)の領域が生まれながらにして安定しているようだ。

 ①何のために生きているか?②生き甲斐は何か?③自分(身体、生育史、魂)を大事にしているか?

 以上3つの問いかけは、『生き甲斐』の領域の自問自答として、回答が無くても考えるだけで良いと言われる。かぐや姫は生まれながらに、三つの自問自答を身に着けていたようだ。

 自己愛のことを知ろう 9/10

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