イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『こころの自由』は明るい感情から!(マンネリズムに陥らない 4/10)

2012-10-26 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 10月になってから、帯状疱疹になってしまい、良くなってきたとはいえ時々痛む。痛む病気に長期間なったのは初めてであったが、その中でいろいろ考えさせられた。

 痛みは暗い感情を誘発する。当然ながら、明るい感情の中を過ごすのは減る。そうすると、定石どおり『こころが不自由』になるのだ(U先生に教えていただいた)。不自由になるとは、防衛機制が過剰になることでもあり、それ故に観えるものが観えなくなり、気づくべきことが気づかなくなる。身体がつくるマンネリズムなのだろう。

 それではいけない。そう思いつつ、普段以上に痛み対策をしつつ、落語を聴いたり、意識して明るい感情になるように努力した。太極拳の先生から、気功(動気功)は回復期の帯状疱疹に良いようだ、と訊いて身体を動かしているが、これも健康感を味わらせてくれるようで、痛みにも良い。

 不安などの暗い感情も、解釈を変えることで平安感に変えることができるという理論がある。理想と現実の差が不安なのであるから。理想を下げるか現実の解釈を変えるかでギャップを減らせる。「XXに行ってXXをせねばならない。」を「XXに行くのは今でなくていい。のんびりしよう。」に考えを変えるだけで平安感が訪れるものだ。

 さらに、感謝を意識することで、随分、平安感は得られるようだ。

 『無理しても 明るい感情 作りましょう 大切にしよう こころの自由』

 (でも痛いのはねぇ~)

 マンネリズムに陥らない 4/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


職業とマンネリ、と寅さん!(マンネリズムに陥らない 3/10)

2012-10-25 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今朝は、自分の職業を振り返り、その中での恐ろしいマンネリズムを想っている。

 食べるための職業。好きで選んだ職業。統計的に薦められた職業。他人から向いているといわれた職業。幸福の条件として社会的に認められた職業。満たされない想いを埋めてくれる職業。

 そして、実際に職業に就く。そして経験して観えてくるもの観えなくなるもの。1年後、3年後、5年後、10年後、15年後・・・

 他人から観える自分もある。その道の達人の眼は厳しく、自分が観えないものを鋭く見抜く。達人でなくても、はだかの王様を見抜いた少年のような存在もある。

 私は、学生時代の後で民間の企業を選び、そして、何となく好きなマーケティング等の仕事に就いた。新鮮な経験もたくさんあったが、30年近く働いて満たされない想い故に退職し、キャリア開発の点では定石無視した福祉や心理学普及といった仕事に就いた。食べていくためのことも考えた。そして今に至っている。

 さて、職業人にとってのマンネリズム。成果が出ない。変化に対して防御的になる。そんなこともある。他人の眼も大事だが、自分の一回限りの人生なので自分の眼に写る自分も大事。

 その時に、恐ろしいのは、マンネリが意識化されないことである。湧くはずの倦怠感が見えない。何処かで空回りが起こり、堂々巡りしている自分。

 こういう時は、周りが気づきアドバイスを与えようとする。しかし、本人は何だか判らない。回答は本人が自分の内に求め、探し当てるはずのものであり、きっかけの感情が必要だ。

 自分の経験であるが、好きな仕事とか自分の傾向(実は表面的)と職業がマッチングしている時が一番怖い。自分の自己概念と防衛機制が真実の眼を曇らせる(知性化、補償など)。そして、職業人としての成長を阻害していく。

 別に心理学用語を使わなくても、自惚れ、卑下など、自己肯定・他者否定、自己否定・他者肯定の傾向に警鐘を与えてもらうのは大事である。自惚れてないか。変に卑下してないか。こういう自問自答は、自ずと理想と現実の捉え方に焦点をあて、思索することに繋がる。この勉強をして、最近心掛けているのは、自惚れと卑下の感情の探知だ。

 理想と現実の差はストレス曲線という感情。本来は自分が真っ先に気付くはずなのに、気付きにくくなる。自分の成果物。その時々の理想。理屈ではなく、感情豊かに反省してみる。そして、ストレスを感じ始める時には何かが見えてきている。

 ここまで、書いて、何故か寅さん映画のことが浮かんできた。基本的な登場人物と職業は決まっている(社長、坊主、主婦、工員・・・)が、寅さんは、いつも旅行をしたり、仕事もテキヤで軽い!その軽さの中で、普通の人が観にくくなっているものを観。世の中が適度に混乱する。この軽さがとても大事なのだろう。

『職業も まじめ過ぎては いけません 寅さん映画 テキヤの軽さ』

  マンネリズムに陥らない 3/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


そうだ本を読もう!(マンネリに陥らない 2/10)

2012-10-24 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 本を読んで人生が劇的に変わった人がいるようだ。四谷のイグナチオ教会の名前の由来イグナチオ・デ・ロヨラ。イグナチオは16世紀のスペインの武人で怪我をして療養中に本が読みたくなり、騎士物語を探したがなく、聖人伝しかなく、しぶしぶ読んでいるうちに修道会への人生を歩むようになる。

 私も、幼児洗礼をイグナチオ教会で受け、洗礼名にもイグナチオが入っていて縁があるが、聖人のような劇的な本の出会いはない。ただ、人生の時々で大きな影響を受けた本はあったようだ。

 幼いころは、チビクロサンボを毎日読み、トラのバターでできたホットケーキの夢を見た。

 小学生のころは、ミレーの伝記を読み、芸術家に憧れた。

 高校生の時に、ニーチェの「ツラツーストラはかく語りき」を読んで、人生の闇を痛烈に感じた。

 大学生の時に、市川亀久弥氏の「生きがいの創造」を読んで感動。実験心理学を研究室で勉強するきっかけに。

 では、最近はどうなのだろうか?

 若いころのように、劇的な本との出会いは残念ながら少ない。ただ、「生き甲斐の心理学」のように、噛めば噛むほど味のある本との出会いが出てきた。何回も読んでもマンネリを感じさせず、新しい発見がある本。本自体もあるが、読み方というこちらサイドの問題もある。

「本を読み マンネリ退散 本を読み 変わる人生 深まる人生」

 マンネリズムに陥らない 2/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


そうだ旅行に行こう!(マンネリズムに陥らない 1/10)

2012-10-23 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 先の日曜日、八王子の勉強会の後、電車の中で楽しく語り合った話題が旅行の話であった。

 「今年は、随分旅行をしたね!」 私も、この十年以上海外旅行をしてなかったが、今年は3回。国内旅行も2回。一緒に話していた友達も、海外旅行を沢山。

 旅行に行くと、何か自分がイキイキしてくる。いつの間にか身体に浸みこんできたマンネリズムに気が付く。お互いにうなずき合いながら語り合った。

 35歳から60歳。エリクソンの人格形成論では、この時期は7番目の、「世話、生殖性、停滞感」の時期としている。

 多忙な中に忍び寄る仕事のマンネリズム。大事な人間関係に忍び寄るマンネリズム。宗教・哲学などの正中線に関わるマンネリズムもあるだろう。理論的にいえば、自分の持つ理想と現実のギャップが倦怠感とかマンネリズムを生じさせるのだ。

 そして、このマンネリズムがあると、これもストレス曲線なので、心は確実に不自由になる。そして、現実吟味力や不健全な防衛機制でとんでもないこともおこりがち。

 そんなマンネリズムを打破するのに良いのが旅行。旅行も、できるだけ自分の自由意志、感性を大事にできればもっと身に成る。

 私の場合。自分の生育史を大事にしたい(自己実現の3つの問いの一つ)という狙いもあった。大学時代の心理学や文学の想いを振り返る中欧旅行。母方の祖父母に大きな影響を与えた大叔父さんの墓参を兼ねた台湾旅行・・・。

 旅行は、五感をフルに刺激する。適度な緊張感もリラックスタイムとバランスがとれると心地よい。今まで蓋がされていた心の泉が新たに湧きだす。

 さて、次は何処に行こうか?

 「マンネリは 自分を蝕み 破壊する 五感大事に 旅行をしよう」

 (写真は東大寺の転害門)

 マンネリズムに陥らない 1/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!

 


傾聴の基本の基本は!(みんなの悩み解消法 10/10)

2012-10-22 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今回の『みんなの悩み解消法』も最後になってしまった。悩みを解消する流れはだいたいご理解いただいたとも思うが、実際に成功するためには、本人の傾聴力が左右すると思う。他人が対象でも自問自答でも基本は傾聴力だと思う。

 傾聴というと、カール・ロジャースの6条件とか、3条件(受容、共感、純粋と一致)などが浮かんだり、積極的傾聴法というテクニックを思い出す人も多いだろう。あるいは、エンカウンターの講座などで傾聴訓練(無防備、受容、共感、間、理解、熱意)を思い出す人も・・・

 ただ、この傾聴も、基本的には臨床心理学の約100年の歴史の中で発展してきた若い思想に過ぎない。この傾聴の技術の奥にはさらに深層の思想や人間観がある。

 傾聴の基本の基本。それは何だろうか?ふと思い出したのは、シスターAさんから、教えてもらった有島武郎の『一房の葡萄』であった。有島武郎は、大蔵官僚の息子で、幼いころ父が横浜の税関長に就任したこともあり、横浜英和学校で学ぶ。その学校では異国の子供と一緒に異国の先生から学ぶのだが、その時の経験から『一房の葡萄』が生まれる。

 繊細な色の絵具で絵を描きたいあまり、同級生のジムの絵具を盗む。それが見つかって、外国人の担任の女教師の部屋に友達に連行される。そして女教師と二人きりになり、時を過ごす。その中で、女教師の思いやりというか、暖かい眼差しのもとに本人は反省し癒され、翌日にはジムとの和解も成立する。一房の葡萄は女教師の脇役として何回か登場するが、葡萄はご存じのとおりキリストを象徴しており、何か深く考えさせられる短編だ。

 先生にとっては、異国の現地人で、盗みをした人間。子供とはいえ、先生にとっては扱いにくい問題だったと思う(たとえば、普通こうした状況では、先生が子供に好きという感情が湧くはずはない)。それなのに、傾聴の条件が成立し、本人が癒されていく。

 おそらく、この時期は女教師が傾聴の知識を持っているはずはない。ロジャースの傾聴は1950年代に発展していくからである。しかし、考えると2000年にわたるキリスト教文化の人間観が大きいのではないか。好悪の感情を越え、相手の基本的人権というか、愛すべき何かを想定して接する。思い出すのはヨハネ福音書にある、ヤコブの井戸のサマリアの女に接するイエスのアプローチである。

 同じような経験は、実は私の7歳の時にも実はあったのだ。英語も全くできなかった私が父に連れられてアラスカの小学校に入るのだが。やはり、日本人の私がクラスに受け入れてくれるのは大変だったと思う。しかし、一房の葡萄でなかったが、私を受容し共感し、明るく受け入れてくれる。これは、驚きであったことを、今思い出す。

 傾聴の基本の基本は、相手に対する好き嫌いといった感情を越えた理性的な愛だと思う。そこを押さえると、一房の葡萄のあたたかさの謎が分ってくる。そして傾聴の理解も進む。

 キリスト教文化だけが愛を語るわけではないが、傾聴に取り組む時、単なるテクニックではなく、人間観の深層を哲学する必要があると思う。

 『傾聴の 基本の基本は 人間観 日々訓練し 磨いて行こう』

 みんなの悩み解消法 10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています!