イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

南多摩の目立たない冨士山でも幸せを呼ぶ!(旅の準備 ① 7/10)

2013-12-26 | 第九章「愛」

 南多摩に住んで随分経つが、良かったことは、冨士山が身近であることだ。都心に住んでいた頃と比べ、はるかに日常の中で見ることができるのだ。

 住まいの近くに、オフィスの窓越しに、電車の中から・・・冨士山を観るとホッとする。

 さて、日々の暮らしのなかで人間関係が良好でイキイキと暮らしていても、利害得失の話になると、途端に心の防衛機制がいろいろ働くようである。かつて、某社で仕事をしていたときに、当時尊敬していた上司の一言が今でも鮮明に思い出される。「普段は信頼でき心をゆるせるが、予算のことになるとそうはいかない」

 都合が悪いことは忘れるという美風。窮鼠猫を噛むような反撃。まあ、人それぞれ遠目にみれば楽しい?反応(防衛機制)があるようだ。そして、こうした時には不思議に迷いの只中に置かれ、自分が何をしたら良いか、あるいは言うべきかがわからなくなるものだ。

 自分の本音があるはずなのに見えない。しかし、そんな中でも何かの拍子にふと自分の本音に気付くことがある。そんな幸運をつかめば、現状をきっちり判断しつつ、うまく自分の真実を伝える。そうすることで自分だけでなく、周りも幸せになるようだ。

 声高な自己主張は目立つ割には混乱をさそったりするが、本音で自他肯定的な自己主張は目立たないまでも、世の中に平和をもたらす。南多摩の冨士山は、小さくて目立たないが、そんな自己主張のようだ。

 

旅の準備 ① 7/10    

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クリスマスの入日と富士山・・・思考の大切さ!(旅の準備 ① 6/10)

2013-12-25 | 第九章「愛」

  写真は2013年のクリスマス・イブの夕暮れ。22日が冬至なので、24日の入日の場所もきっと冬至に近いのでしょう。

 さて、一ヶ月位前に、東京タワーで入日を見たとき、日が沈むときに富士山の影が入日の右側に見えたことを思い出し、入日の写真をとってから近くの高台に登ってみました。そして、入日の丘の裏側に、くっきりと富士山の影。その高台から富士山が見えることに気がつきました。

 ちょっとした思考・考えが身近な富士山を見つけたようです。思考・考えの働きに感謝です。

 生き甲斐の心理学を学ぶと、人間の感情・思考・行動の基本的な活動について学びます。そして、感情・思考・行動の歯車がきちっと噛み合っていれば、とても良い活動を産みだすのに、歯車が狂うと、時には心が不健全に陥ることを学びます。

 その感情・思考・行動の一角を占める思考も、日々いろいろ変化し活動するわけですが、基本的な思考が特に大事なようです。大事にするものがあると、それをコアに思考が形成される現象があるようです。所属する組織を大事にして、それをコアに考えると自分も安定する経験も積みました。学校や会社が一種の支えになったこともありました。

 私は母がカトリック信徒であったので、幼いころから教会に行ってましたが、青春時代にカトリックの信仰や考えに疑問・反発を持つようになりました。当時は、様々な思想を自由に語り合う時代だったこともあります。

 そんな時代で私は根無し草のように何となく漂う自分を感じ、いつの日か自分が本当に信じられる信仰と思考に出会えればと心の底から願ったことがありました。

 そして、中年を過ぎたある日、突然にカトリックに回帰してしまうのです。

 もっとも人生に大切な存在の発見です。そして、それにより基本の思考が定まると、柱ができるようで見えてくることが自然に定まります。良い言い方をするとぶれなくなる。ただ、それにより何か見えなくなる危険も感じます。

 こころの柔軟性を意識し、感情・思考・行動のループを新鮮に保つ努力が大切なようです。

 借り物でない感情・思考・行動の新鮮な流れを保ちつつ、今を生きることができればと切に思います。

  旅の準備 ① 6/10    

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クリスマス・イブの前日!(旅の準備 ① 5/10)

2013-12-24 | 第九章「愛」

 今日はクリスマス・イブ。仕事もオフなのでクリスマスのミサに出て楽しむ予定だが、昨日は母とイグナチオ教会の昼のミサに行った。平日のシンプルなミサと殆ど変わらなかったが、母も一緒なのか不思議に心に残るミサであった。

 昼食は、母と豪華にと思っていたが、底冷えする中で母の体調が思わしくなく暖かいスープの食事を母の家でとることに。

 最近とても気になっている日本の貧しさを表す事件や、今の苦学生の話などを思い出しながら、とても暖かい食事をしてから母と別れた。

 夕方は、知人から教えていただいた、『西本智実 祈りの歌をバチカンへ』を観る。録画も撮っていたので、さらに、もう一度見てしまった。何故か、涙が止まらない。

 福島の被災。長崎・生月島の隠れキリシタン(私は、日本切支丹宗門史 レオン・パジェスを読んでいたので、日本の鎖国時代もいろいろ考えてしまう)。ベートーベンの第九の喜びの歌。オラショ(今でも口伝えの祈りでもあり、原語とその訳に驚く)。様々な想いを持ったヴァチカンでのミサの参加者。

 観ているときの感情はなんだったのだろうか?感情と思考の対話の中で、感情の意味を考えていくという生き甲斐の心理学で学んだことより、もうストレートに魂が震えるようなのだ。このところグレート・ジャーニーを想ったりしていたが、今回の魂の旅は実に素晴らしかった。

 西本氏のヴァチカンでの演奏に対する深い決意に敬意を示しつつ、私も今宵のクリスマスイブで再生したい。

旅の準備 ① 5/10    

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冬至の感情表現はこんなかな・・・(旅の準備 ① 4/10)

2013-12-23 | 第九章「愛」

 昨日は冬至だった。そして、冬至からは一日一日が伸びていく新春である。古から、ストーンヘンジの時から祖先たちも、この日を特別として祝ってきた。希望が何となく頭を持ち上げる。

 昨日は、その冬至を意識して一日を送った。ベランダの草花も、何か違って感じる。

   

  

 生き甲斐の心理学を学ぶ学徒は、自分の感情を意識する訓練をしている。

 倫理道徳を超えて、湧き上がる感情には、大事な意味がある。

 その感情を、一旦は感じてみる。それをどう表現するかは、大人の知恵が必要だが、いったん感じ意味を考えてみる習慣ができると、随分人生が変わってくるようだ。

 感情表現は実に奥が深い。それに一生を賭ける芸術家がいる。

 芸術家は、自分の得た貴重な感情経験を、他者に辿ってもらうしかけ全精力を傾けているとも言える。

 いや芸術家だけでなく、哲学者や科学者も、実は同じかもしれない。表現を数式に厳密な言葉に置き換えているだけかもしれない。もちろん、特別な人だけでなく、私達も似たりよったりだ。

 昨日の冬至の夕暮れは、とても良かった。入日の方向に富士山の頭も見つけたこともあった。幸せ。

 

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現代彫刻の美しさを知ってしまった!(旅の準備 ① 3/10)

2013-12-22 | 第九章「愛」

 昨日は、多摩センターにある多摩美術大学美術館の「若林奮 仕事場の人」を見に行った。

 DRAWING 1955-2003 というサブタイトルが付いていたこともあり、デッサンというかDRWINGが展示の中心でもあるが、特に二階にあった 「Run & Rest」とか「自分の方へ向かう犬」には驚いた。

 私は、生き甲斐の心理学を学ぶ中で、芸術観賞をするときには、自分の感情ウオッチングというか、気になるものを中心に見ることを覚えたが(他者の評価を余り考えず、自分の印象を大事にすることでもある)、何とも言えない新鮮な作品であった。

 見る視点の位置で、全く違う景色になる、そして違う感情が湧く。それが何とも言えず心地よく、彫刻の全体性というか、そういうものが忘れられないほど印象的なのである。

 この世は今や10次元空間とも言われているが(昔はせいぜい4次元)。不思議な空間を実感したのである。  どんな感情が湧くか、芸術家は、それをどう表現するのか、そんなことを考えた楽しい展示であった。昨日は楽しい旅の準備としては貴重な一日であった。

 世の中、評論的な喧騒の日常ではあるが、その中で、自分の感性を大切にしていると、新鮮な発見があるようだ。

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