イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

新宿との親密性がますます深まるよう!(心の健康度 ⑦ 9/10)

2014-06-25 | 第五章「和解と平和」

 昨日は凄い豪雨もあったが、時折晴れ間も。

 久しぶりに新宿(初台)のオペラシティに行き最上階で景観を楽しんだが、ちょうど雨雲も切れたときでラッキーであった。写真は西新宿の中央公園付近。昔通った職場とか熊野神社、十二社付近もしっかり観えた。しかし、最近の江戸病か、ここでも江戸時代の古地図が気になり。いろいろ調べてみると、内藤新宿の甲州街道沿いの西側に十二社権現(おそらく熊野神社)とため池の図が出てきたり、1968年に埋め立てられるまで池があったことも航空写真で判った。

 一時、通っていたオフィスあたりは埋め立てられた池に極めて近く(その上だったかも)、娘が入水し大蛇になったという伝説もあり、当時の体感を思いつつ、そんな場所だったのかと感慨にふけった。近くの福助というお蕎麦屋さんには良く行ったが、今でもあるようで機会があればまた行ってみたい。

 さて、昨日は母と一緒だったのであるが、親子の関係は親密性を考える上でいろいろ勉強になる。幼いころの母に対する印象、小学生のころの印象、青年時代の印象、社会人になってからの印象、そして今・・・母の印象は時間とともに随分変わるものである。そして、親密性とか愛、と感情の関係、親密性と年をとる事での受容性の関係は実に面白い。また、私の場合運がよかったのか母とは長いお付き合いができているので、自分の生育史を深める上で発見がいろいろ。今回も祖父や曽祖父、住んでいた家の昔の環境など発見もあった。

 母との関係も今となっては、単純ではあるが多様でもあると思う。自分の生育史の解釈も、東京と江戸を重ねてみて土地の体感がなんとなく変わるように母との会話で変わる。時間は何とも不思議で本来見えにくいものを垣間見せてくれるようだ。

心の健康度 ⑦ 9/10

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本物にふれると何かが変わる!(心の健康度 ⑦ 8/10)

2014-06-24 | 第五章「和解と平和」

 もう十年近く前になるが、大会社を辞めて障がい者の介助関係の仕事をしていたことがある。その時、不思議なご縁で知り合いになった当事者運動のリーダーOさんに連れられて、よく都心の美術館や博物館に行った。そこで知ったのだが、本物にふれる意味である。ちょうど「生き甲斐の心理学」の勉強も4-5年続けていたので、湧きあがる感情を大事にする意味も、それなりに判ってきたころだった。

 本物の美術品、それが巷でどう評価されるかはあくまで二次的と考え、自分の湧き起こる感情の中から、これは凄いと感じるものに触れることを優先する。自分の感性?を私はかつては信じていなかったが、それが一番意味あることだと思うようになった。

 本物とは何なんだろう。一つの見方として、欧米の臨床心理学のエキス「生き甲斐の心理学」の人間観から考えると、人は身体と心(生育史からくる)と魂(死んで身体から離れる生命体で愛そのもの)からなると解釈する。従って、本物と感じるのも身体からくるのか、生育史からくるのか、魂からくるかで分けて考えることが可能になる。

 その結果、自分の独断と偏見で恐縮だが、魂を揺さぶるというか、本物は魂(宗教・哲学)の領域と一番関係があるのではないかと思う。そして、本物は直接的、間接的(まあ、意識、無意識の世界なのだろう)に自分の方向性に影響を与える。

 さて、本物は何も美術品だけではない。この数年、自分がうつつをぬかしていた、公園の植物、野草、月や星座、寺社仏閣、縄文土器、動物園の様々な動物、・・・今は、歴史を持った町そのものも・・・。本物は多様なところに存在するとも言えよう。

 それから、親しい人との会話も、何か魂と魂の会話かなと思うことも。

 写真は中尊寺にある能楽堂。Kさんに教えていただきましたが、本物を感じるところでした。

心の健康度 ⑦ 8/10

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新しい自分になっていく!(心の健康度 ⑦ 7/10)

2014-06-23 | 第五章「和解と平和」

 昨日から、仕事もし、江戸時代の古地図妄想もあり、借りてきた江戸時代のDVD妄想もあり、宮沢賢治について考えることもあり、そして自分のルーツをかんがえることもあり、来住英俊氏の「気合の入ったキリスト教入門Ⅲ」を味読することもありと、何となくまとまらない時間を過ごしている。まとまらないついでにメガネを紛失してしまったり・・・

 しかし、何となくほんわかとした気分でいられるのも、自分の親密性に関係しているのかもしれない。考えてみれば、例えば高校生の一時期などは、すべてが疎遠というか親密性がないというか、そんな中で息苦しい時をおくったことも。随分違うものだ。

 人生の節目というのを最近、意識するようになった。

 入学したり、就職したり、結婚したり、退職したり・・・まあ、個人的な一時期を画するような時があるのは誰でも経験し、その中で独特の周りとの関係性、感じ方があることに気が付いたりする。そして、例えば就職したりすると、周りに対する感じ方総体が変わったりする。もうあのころに戻れないと深く思うことも。あるいは、人によるが何気ないときに、神仏に出会う・・・といったことで感じ方が全く異なってしまうことも聴く。米国の宇宙飛行士が帰還してから宗教家になったりする例などはそうかもしれない。

 そして、不思議なことに、節目節目を他人の眼からは健全に過ぎ越しているが、自分の本心では何も変わらない自分を感じることもある。周りとの関係性が全体的に変わらず、閉塞感が漂う時。自分の経験からすると、これは自分の防衛機制と深い関係があり、本来やるべきことが観えなくなっている時におこるようだ。そして、親密性とか愛とか、本来考えるべきことが邪険にされているようで、必要な一歩が出て行かない。

 自分の場合は、どのようにこうした状況を過ぎ越したのだろうか。一皮むけるような華々しさはなかったが、「何の為に生きているのか?」、そういった自問自答からの小さな一歩が新しいドアを開けたように思う。勿論、新しいことをするのはリスクもあるが、現実吟味力を確かにし、感情の世界を大切にしているうちに自然に過ぎ越していくようだ。

 生き甲斐の心理学では、3Vの法則で有名だが、まずはVisualize(イメージ)し、次に一歩をVerbalize(言語化)し、Vitalize(実行)する。これを、時々「何の為に生きているか?」の自問自答とセットで実施してみたらどうだろうか?

心の健康度 ⑦ 7/10

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親密性を上手に育てるコツ!(心の健康度 ⑦ 6/10)

2014-06-22 | 第五章「和解と平和」

 人や歴史を学ぶときに、系図と年表は必須科目であることをこの2-3年で知った。

 これは日常の中での親密性を考える時も役立つようだ。

 親密性は人と人、集団と人、神仏と人・・・そんな風に関係性の中で捉えると判りやすい。

 そして、親密性は時と場所、時間と空間を抜きにしても考えられない。

 昨日は、明治から平成までの150年くらいの年表をつくってみた。一年の出来事を簡単に表記し様々な関係深い人をプロットしてみる。自分の誕生とか、祖父母の誕生と逝去、などなど。その中で、時代と人をいろいろ思索することは実に楽しかった。父方の曾祖母と母方の大叔父さんが同じ生まれと知り、曾祖母の性格から大叔父さんの性格を想ったりも。

 さて、私は掛け持ちでいくつかの組織に属しているが、ある仲間と楽しく、その組織に入れたのかを語り合ったことがある。それは、実に神秘的であった。いくつかの偶然が偶然と出会うというのだろうか、二人が出会った関係性の不思議さに驚嘆した。もちろんサイコロのような確率論でドライに語り合うことはできない話だ。

 ただ、関係性には役割が含まれている。親子であったり、親友であったり、同僚であったり、子弟であったり、神仏と人であったり(神仏は役割という概念では捉えられないかもしれないが)、・・・

 この役割を無視して本来Aという親密性を追求するところを、Bという役割の親密性を無意識に追及したりすると混乱が生じることも。生き甲斐の心理学では防衛機制を学ぶが、感情転移という現象は、この関係性にも忍び寄り混乱を投げかけたりする。

 親子には親子の親密性の深め方があり、夫婦は夫婦の深め方があるのだろう。そのあたりをクールに思索すると、親密性の深め方が観えたりするようだ。

心の健康度 ⑦ 6/10

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オジサン一人の東京(江戸)散歩・・・孤立感と親密性 (心の健康度⑦ 5/10)

2014-06-21 | 第五章「和解と平和」

 昨日の午後、都心に江戸散歩に行った。

 幼いころから青春時代までずっと過ごした生家の近くなのだが、意識して観たり味わったりすることのなかった名所・旧跡である。近くを何百回も通りながら訪れなかったことが、今となっては何とも不思議だ。

 さて、旅といっても一人旅か集団で旅するかは違う。さらに訪問先が閑散としているか、満員電車のように混雑しているところかで違う。二つの軸で考えると①閑散地への一人旅②混雑地への一人旅③閑散地への集団旅④混雑地への集団旅。それぞれに過去の旅を当てはめると可笑しくなることも。以前、一人でカメラをもち混雑を極めているディズニーランドで行ったとき、ふらふら一人していたら、変質者を見る眼のように見られたことがあった。

 今回のオジサン一人の旅は、都心にも拘らず何と①閑散地への一人旅であった。

 平日の東京の都心、市ヶ谷と新宿三丁目周辺なので、まさかなのであるが本当なのだ。仕事中のサラリーパーソンやリクルート姿の若者、学生が近くを沢山通る・・・しかし、訪問地は殆ど一人きりだった。誰もいない神社・仏閣に入ったり、立ち止まる人のいない案内板に見入るにはかなりの意志力が必要だ。人生経験を積んだオジサンだからできるかもしれない。そして、生き甲斐の心理学を学ぶ学徒にとって、現場で湧き起こる感情を味わうのは大事なのだ。

 写真の市ヶ谷八幡宮は、閑散としていたが、私の前に2-3人、後に1人参拝者がいたので、その中では閑散度は低かったかもしれない。そのためかどうかは不明だが、何かとても清らかなアースフィーリングを感じた。結構暑い中であったが、緑豊かで、風が爽やかであった。市ヶ谷八幡宮は、由緒ある八幡宮で良い場所だったが、急な階段を登り銅の鳥居をくぐりしっかりと参拝した記憶はほとんどない。

 急な市ヶ谷八幡宮の階段 当時の娯楽にも使われたという力石。

 市ヶ谷の浄瑠璃坂の仇討は江戸3大仇討の一つであり、42人の同志が参加した組織的な仇討で、30年後に起こった赤穂浪士の仇討のモデルになったとも言われている。その舞台の浄瑠璃坂に行った。この場所は、私のように近くに住みながらも行ったことがなかったくらいなので、意識してみている人は皆無であった。

   

 市ヶ谷の後は、内藤新宿の見学に。少し前に新宿御苑の庭園と大宗寺を訪問したが、まずは近くの靖国通り沿いの正受院と成覚寺に。内藤新宿は、甲州街道の宿場町とはいえ、甲州街道で参勤交代をするのは3藩に過ぎないともいわれるが、かなり栄えたようだ。それは、どうも宿場の遊女たちに支えられる部分が大きかったようでもある。投げ込み寺として、遊女たちの無縁仏を埋葬した子供埋葬碑、異様な奪衣婆像(大宗寺にもあるが)を拝観したりすると、真実の新宿が迫ってくるようだ。映画のノア約束の舟も良いが、こうした寺を訪れるのも凄い発見があるかもしれない。

 近くの大宗寺で前回拝観し忘れた切支丹灯篭も見つけることが出来嬉しかった。

 子供合埋葬碑  旭地蔵  梵鐘

脱衣婆像 切支丹灯篭 マリア像とも言われる説

 閻魔像

その後は、四ツ谷4丁目に近い、四ツ谷大木戸跡と玉川上水水番跡をとおり、

 

内藤家の多武峰神社に。老馬で一周した内部の土地が家康により内藤家に与えられたという伝説の駿馬塚もあり、内藤家が藤原北家の血を引いていることを実感でき、ちょっと遠かったが良かった。

    

こんな、ミニ旅であったが、閑散地への一人旅とはいえ孤独感が深まるかといえば、そうではなかったようだ。四国巡礼では同行二人という言葉があるが、キリスト教でも聖霊と一緒という考えもある。閑散地への一人旅はそういう感覚を研ぎ澄ますには良いかもしれない。でも、気の合う仲間との旅もしたい。

心の健康度 ⑦ 5/10

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