イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「あなたは橋の下から拾ってきたのよ!」、日本古来の教育論 (私とあなた ② 9/10)

2014-09-25 | 第八章「魂と聖霊」

 今日の「花子とアン」は、実に様々な角度から楽しめる番組であった。デジタルとBSで二度も観てしまった。脳科学者で「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」の著者でもある茂木健一郎さんも社長役で出演したのも素晴らしかった。

 さて、恐らく今日のお話の主要なテーマの一つは、養子に出された美里さんが、アン・シャーリーのように社長に怒りをぶつけるが、母親(血がつながっていない)の愛に気付き社長に謝るということだと思う。これは「赤毛のアン」で孤児のアンがマッシューやマリラに受け入れられつつも、リンド婦人に怒りをぶつけ謝罪するストーリーとダブルようである。

 ところで、「赤毛のアン」はもちろん世界的に有名な小説であるが、特に日本人に人気があるらしい。プリンス・エドワード島に行かれた方も身近にいるし、私の妻も愛読したという。日本人とアン・シャーリは心のどこで繋がっているのだろうか?茂木健一郎さんは先の著作で日本人のもつ「もののあはれ」的な生命哲学に言及され、次のような言葉をいわれている。

「それは脳科学でいうところの「偶有性」という概念とも関係してくることです。一言でいうと、「主人公の心理が揺れ動いて、成長していく」という主題です。これは日本人がとても好きな文学的テーマのひとつではないでしょうか。」(「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」講談社文庫 207P)

 私は氏のこの本のキリスト教にたいする見解は賛成できないが(日本人がキリスト教を受容できない理由など)、この偶有性については、U先生の生き甲斐の心理学でいうところの幸福曲線の辿り方に似て、そうかなと思った。

 それは、魂(霊魂でもよいが)の成長という日本だけでなく世界的なテーマともいえる。

 日本人の魂観。私は学者ではないので厳密な議論ができないが、日本人の縄文時代の死生観に結びつくように思えてならない。先にこのブログで述べたが、諏訪の有孔つば付土器に現れてくる、女神の誕生から死、再生(オオゲツヒメのイメージ)の物語が浮かぶからだ。しかも、これは世界の宗教の原形につながるようでもある。

 ところで、生き甲斐の心理学の勉強会でときどき話題になるのは「あなたは橋の下から拾われてきた」ということを、多くの人が親から言われてきていることがある(様々なバリエーションがある)。それを聴いてショックを感じるものだが(アンが孤児で悩むように)、調べると、これは日本の精神文化の古層が引き継がれて伝わったようなのである。

 世界では、こうした橋の下もあるが、コウノトリで運ばれてきたという文化もあるようなのだ。宗教学者のミルチャ・エリアーデもこの民話に興味をしめし著作もあるそうだ。ネットで検索すると、川の精霊が人間界に誕生したのが『橋の下で拾った』には込められているという説をいわれている方もいてうなってしまった。

 しかし、この「あなたは孤独な魂だ。」というメッセージを含む「あなたは橋の下から拾われてきた。」が、何故長い間引き継がれてきたか(例えば数万年)は実に興味深い。U先生の生き甲斐の心理学で大切にされているカール・ロジャースの人格形成論の原形ともいえる命題1も実に同じようなことを言っているのだ。例によって、学術用語で判りにくいが味読の価値はある。

 命題1:個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する。

 そして、この個人を魂に置き換えると、とても素敵なアンの物語にも通じる魂の成長の話に通じると見ることもできる。「あなたは橋の下から拾ってこられたのよ!」は日本古来の宗教教育であると共に、かなり普遍的な心理学的教育かもしれない。

私とあなた ② 9/10

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白蓮さんが立ち直った花子さんの傾聴!(私とあなた ② 8/10)

2014-09-24 | 第八章「魂と聖霊」

 今朝の「花子とアン」では息子を失い茫然自失の白蓮さんを、花子さんが過去の衝突をものともせず寄り添い、白蓮さんが元気に戻っていく話であり感動した。花子さんの友情、愛は素晴らしい。

 計らずも、白蓮さんは後の「悲母の会」等、平和の社会運動に関わっていかれるようであるが、ここで自分を取り戻し、自分の道を見出すことができたのは何故だろうか?

 U先生の「生き甲斐の心理学」の観点からすると、うまく傾聴し心の健康状態(プロセス・スケール)を回復したことになるが、こうしたことは、下手なカウンセラーより身近な親友のような存在(利害関係があまりなく無償の支援ができる立場など)が最高なようだ。無償の友情というか愛というか、そういうものがやはり鍵なのだろう。

 花子さんも息子を失っており白蓮さんにより共感できる位置にいたし、ドラマでは高圧的な指導ではなく、優しい親友としての支援というスタンスが良かったのかもしれない。夫が花子さんのような役割が出来ないとたのみにきたのもうなづける。そして、白蓮さんは、歌を想いだし、さらにラジオ放送に出演し新たな道を切り開いていく。

 ロジャースの人格形成理論17番には、こうした花子さんの支援と白蓮さんの立ち直りに関する素晴らしい説明がある。傾聴の理想の姿ともいえるが、例によって学術用語で書かれて馴染みにくいが、味読する価値は充分あると思う。

 命題17:自己構造に対して基本的になんらの脅威も包含していない条件下においては。自己構造と矛盾対立する経験は、知覚され検討されるようになり、また自己構造は、そのような経験と同化し包含するように修正されてくるであろう。

 しかし、今日の白蓮さんのラジオ放送では、女性が政治を司っていれば戦争など起こらないというメッセージは深く私の心に突き刺さった。縄文時代は、母系社会で女性の発言力はかなり大きかったし、縄文土器の国宝級芸術の担い手も女性であったのではという説もうなづける。そして、後の弥生時代以降と比べると文献は殆ど残っていないようだが、激しい戦争は少なかったかもしれない。

 女性は基本的に定着し生活の基礎をつくり、男性は一説によると、様々なところに遠征したりし交易をおこなったり情報活動をしたようだ。日本・倭以前の・・・の4万年近くの期間、日本に定着した日本人のありようをじっくり考えてみるのも大切だと思う。

私とあなた ② 8/10

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異文化・異宗教でも大丈夫になるためのちょっとした知識!(私とあなた ② 7/10)

2014-09-23 | 第八章「魂と聖霊」

 「花子とアン」もいよいよ最終回に近づいているようだが、今日は次の朝ドラ『マッサン』の予告編があった。そして、驚いたことに主人公の亀山政春(竹鶴政孝)が広島県竹原出身の竹鶴家の息子ということなのだそうだ。竹原は私の父の郷里で年に一度は行くところ。調べてみると本家は竹鶴酒造だそうで、この竹鶴もよく竹原で飲んだお酒。写真は、その懐かしの瀬戸内海を望む竹原の写真だ。

 そして、今回の朝ドラ・マッサンもスコットランドの娘さんと国際結婚をするなど異文化交流の話があるよう。何か心がときめき楽しみである。

 さて、私の縄文の研究もちょっと進み、昨日は有孔つば付土器の土器に頻繁に現れる、ヒキガエル、女性のイメージなどにどういう背景があるのかを小林公明さんの『文様でみる月の神話』でいろいろ学んだ。そして、図像の背後に、月、ヒキガエル、女性、水の四つの存在があり、驚くべきことに、日本だけでなく古代中国の土器・青銅器等の図像と重なるとのこと。黄河の上流の7000年前の仰韶文化にそのモチーフが現れてから4000~5000年続くのだそうだ。(縄文謎の扉を開く  縄文文化輝く会 松久保秀胤監修122Pより)

これは、四位一体の世界。太陰的世界観ではないかと小林さんは言われているが、アフリカの宗教を想い出しはっとした。

 キリスト教の三位一体の神は有名だが、実は世界にはいろいろな宗教があり、この四位一体の神の話も聴いたことがあった。一般に、アニミズムというと多神教と一神教のように単純に比較されることが多いが、アフリカの宗教などでは神様にもヒエラルキーがあったり、至高神・最高神がいるという考え方のようなのだ。日本・中国・・・そしてアフリカ・・・宗教もルーツをたどると面白いかも。

 遺伝子研究、DNAの研究はこの数十年爆発的に研究が進み信じられないことが沢山わかってきたり、実用化されたりしている。その中で考古学に新しい光をあてる研究も進んだようだ。

 現世人類(ホモサピエンス・サピエンス)は20万年前にアフリカで誕生し、そして5-6万年くらい前にアフリカ大陸からユーラシア大陸、アメリカ大陸など世界各地に散ったというのが、DNAの研究でほぼ定説として固まってきている(昔のピテカントロプスは何だったのだろう)。そして、アフリカから世界に出立する5-6万年前の集団の研究もあり、どうも一つの言語があり、宗教があったという説がある(5万年前 ニコラス・ウェイド著)。当然ながら、現代の宗教ももとを辿れば限られた宗教に源流をもつということなのだろう。

 現代のアフリカの宗教事情は、キリスト教もあればイスラム教もあるが、先に述べたように二位一体とか四位一体の神がいるようだ。例えばバンバラ族の至高存在はベンバであるが次の四つ側面があるとのことだ。

 ベンバ・・・空気の主

 ニャレ・・・ムッソ・コロニ・ヘクンディとも呼ばれる火の主

 ファロ・・・水の主

 ンドマディエイ・・・土壌の神

 そして、ベンバ神の四側面は一体のものとして共に、生命の土台となるすべての要素を支配する。(以上、アフリカの宗教 A.M.ルギラ 青土社 58P)より抜粋。

 ひょっとしたら、縄文人の宗教も、人類の始めの宗教の祖形に近かったのかもしれない。

 私も、7歳のとき一年ではあるがアラスカという異文化の中で生活をしたことがあった。そして、驚いたりストレスを感じたりした。当時は、それが珍しい経験であったが、今では、異文化との接触が日常的になってきている。しかし、まだ、メンタル的には、異文化交流は進んで無いようにも思うこともある。

 こんな時に、私のむかしのように防衛機制で反発しあったりすることも多いと思うが、たかが数万年前で祖先が一緒だったりするのがほぼ均一化された現世人類なのだろう。比較宗教が日本でも当たり前になり、ストレスを産む偏見が無くなればとも思う。地球も俯瞰すれば青一色に観えるようだと荘子も言っていたし。

私とあなた ② 7/10

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お互いの生き甲斐を気遣う!(私とあなた ② 6/10)

2014-09-22 | 第八章「魂と聖霊」

 「花子とアン」もいよいよ最終週。今朝はBSとデジタルで二回拝聴してしまった。

 亡父吉平の残した葡萄酒。父吉平の死と、母のその後の身の振り方。花子の翻訳の仕事と夫の気遣い。白蓮さんの絶望に気遣う夫龍一の気遣い。妹かよの生き甲斐。

 心の健康のためには生き甲斐をもつことが大事だと、U先生から習うが、まさに今日はその生き甲斐の問題・オンパレードだった。

 さて、私の縄文熱が、今回は吉平さんの葡萄酒づくりに反応してしまった。

 実は、縄文中期(約5500年前~4500年前)に登場する有孔つば付土器だ。上質の粘土でつくられ、どうも黒や赤の漆が全面に塗られていたようでもある。さらに女神の像などもついていたりしているが、何の用途で使われたのかが研究者の論点になっているようだ。

 太鼓等の楽器として使われていたという判りやすい説もあるが、酒造りの土器という説に私はひかれてしまう。縄文時代からお酒があり、祭りなどで縄文人が楽しむために最新の叡智をあつめて作った酒造り用土器。そういう風に考えると楽しくなる。

 私の住処の近くにも縄文遺跡があるが、例えばNo.72遺跡にもこの土器の破片が見つかっている。土器に張り付けられた女神の顔の部分。小孔が穿たれた上端部やつばの部分も。この土器は、技術や芸術性の面で高く評価されていて、今から概ね5000年前とかでは、長野・山梨(そして、多摩にも伝搬)は世界的な土器製作レベルだったようだ。

 お酒だけが生き甲斐は問題かもしれないが、楽しく語り合う様々な場に使われた有効つば付土器。その子孫である私も、お酒は好きなほうである。

 蛇足だが、生き甲斐を持つことはお酒以上に万病の薬のようだ。「自分は何のためにいきているのか?」「生き甲斐は何か?」こんな自問自答は、大変な時こそ大事なのだが、本人はそれどころではないことも多い。そんな時に、優しく的は外しているかもしれないが(やはり生き甲斐の問題は自分でしか判らない)気遣うことは大事なのだろう。

私とあなた ② 6/10

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謎の行動をする人にどう向き合うか?(私とあなた ② 5/10)

2014-09-21 | 第八章「魂と聖霊」

 今日は日曜日なので「花子とアン」は放送されない。そして某所で「銀河鉄道の夜」の読書会があり、参加することになっている。そんなことで、今日はいつもと違って、頭は宮沢賢治のメルヘンの世界である。

 宮沢賢治の世界は何か不思議で私にとっては疲れる世界である。例えば、鳥を捕る人とか良く判らない登場人物が沢山でてきたり。

 深層心理学の世界では『自分以外の人は驚きの対象』といわれるようだが、本当にそんな感じである。しかし、ある登場人物はストレスを感じるタイプだったり、反対になにかホッとするタイプだったりする。

 日常の中でも、いろいろな人に遭遇する。そして、その時々にストレスを感じたり感じなかったりするが、分類すると二通りあるように思う。ひとつは、その人となりを理解しているケースで。何かいらっとするものの思考や行動、感情がなんとなく掴める場合だ。

 それに対し、親しい関係でもなく、眼に見える行動以外よく判らないケースもある。そして、ある行動にあっと驚いたり怖くなる場合だ。電車で奇声をあげたりするひと。夜道で背後から猛スピードで自転車で追い抜く人。・・・

 こうした時、私もそうだが、その人を拒絶するのが普通である。しかし、仕事の関係とか信条の関係から拒絶できない場合もある。こうしたとき、その人に近づくためにはどうしたらよいか?私は、U先生の「生き甲斐の心理学」(臨床心理学の知識が基盤)を学び、福祉の仕事をしたころがあるが、その時とても役立った「生き甲斐の心理学」の知識がある。

 それは、すべての人の行動の裏には、それをしなければならない本人なりの理由があるということだ。ロジャースの命題7で学術用語で難解だが引用してみよう。『行動を理解するために、もっとも有利な観点は、その個人自信の内部的照合枠から得られるものである』。

 行動自体に驚くより、背後の行動を起こした「考え」に想いを巡らせることから、その人に近づくことができる。

 宮沢賢治の世界にでてくる、例えば鳥を捕る人。何故サギを捕まえたり、カムパネルラに「ただのお菓子でしょう。」といわれ慌てたか。シュールな人と突っぱねるのではなく、その背後の思想に想いを巡らせると、きっと宮沢賢治の世界がみえてくるのだろう。

私とあなた ② 5/10

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