イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の福祉はどうだったのだろうか?(縄文からの風 ② 5/10)

2015-01-25 | 第二章「五感と体感」

 日本でも、バリアフリーとかユニバーサルデザインというのが定着してきたようだ。いろいろなところでに誰でもトイレなどもできている。喜ばしいことだと思う。

 ところで、縄文時代はどうだったのだろうか?古事記には、世界の神話でも結構あるらしいが、イザナミとイザナギの初めての子が、女性から声をかけたことが原因か、蛭子(障がいをもつ神)が生まれたそうだ。日本書紀には、この話に似た話が一書に曰くという記述で取り上げられている。少なくとも8世紀ごろには、蛭子という昔の話が残されているようだ。

 蛭子は葦船に載せられ流されてしまうが、恵比寿神だと後世では言われたりする。縄文時代からの神話の一つだと仮定すると、どうなのだろうか。

 縄文時代の価値観はどうだったか。一説によると輪廻の思想があったとされるが、どうだったのだろう。

 祖先の人間観を知りたいものだ。

縄文からの風② 5/10

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縄文文化は日本人のこころに何を残しているのだろう?(縄文からの風 ② 4/10)

2015-01-24 | 第二章「五感と体感」

 縄文時代に熱くなってきたのは、昨年(2014年)の8月からである。それまでも、いろいろ本などは読んでいたが、8月に長野県霧ヶ峰の近くの黒曜石ニュージアムに行き、さらに、近くの採掘祉が沢山ある星糞峠に登ったことが大きかった。

 人が変わるのは、五感と体感での経験が大きいと、私は密かに考えているのだが、人のいない山奥に熊よけの鈴を鳴らしながら踏み込んでいくとブルーシートに覆われたクレータ状の採掘址があったり、採掘時に原石を加工(最終製品ではない)にできた割り屑の細かい黒曜石の破片も沢山あり、それに触れたりすると、何か震えるような感動が走ったものだ。

 星糞峠は、その名も不思議で、かなり昔の黒曜石を表す方言という説も面白い。因みに月糞は巻貝(月の軌道が渦巻に見えるためだろうか)をさすという説もある。古代の人の感性の一端を感じてしまう。

 この星糞峠や、鷹山遺跡群周辺は調査結果によると、30000年前の旧石器時代から約2000年前の弥生時代くらいまで使われた黒曜石採掘遺跡が中心だ。これは、私たちの現世人類が日本に住みついた大半の期間を意味している。狩猟には鉄より適しているとも言われる黒曜石。その地位は何万年も続いたようだ。高地なので、周りに住居はなく、縄文の人たちが目的をもって採掘のためにキャンプをしたのだろう。そして、それが全国に流通する。

 そして、有名な話だがこの時期の大半(旧石器、縄文)は、人を殺傷するような武器は作らず、集団的な戦争はなかったようだ。弥生時代以降は戦争が横行するが(それでも、日本は平城京などを見てわかるように、外国のように城壁に覆われていない不思議な都だった)。記紀は外国の影響が大きい、近代的(当時にあっては)な思想に満ちているが、例えば『和をもって尊しとなす』という思想の源流は何だったのだろうう。縄文文化の香りがするのだ。

 U先生から、日本人の心の特徴をいくつか教えていただいた。「汚れと禊」「恥の文化」「甘えの構造」「侘びと寂」「幽玄の美」「もののあわれ」。この中で、精神科医の土居建郎先生が書かれて、一世を風靡した「『甘え』の構造」などは、長く続いた縄文の村社会を想定してみると、とても良くわかる。現代のこころの健康を考えるときに、今は欧米化の時代だが、日本人の甘えの構造はどのような問題と関係があるのだろうか。

 以前のサラリーマン生活では、私も仕事の後は先輩に飲みにつれられて、どっぷり「甘えの構造」に生きてきた。それは、ひょっとしたら数万年の歴史があるかもしれない。

縄文からの風② 4/10

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物々交換は縄文時代あたりまえだったか?(縄文からの風 ② 3/10)

2015-01-23 | 第二章「五感と体感」

 マッサンの熊さんはニシン漁で失敗したようで、資金繰りがニッチモサッチモ行かない状況のようである。

 この話は、日本の大正時代の話なので、とてもよく判るピンとくる話である。

 ところが、4000年前とか5000年前の縄文時代は、こうしたお金を基盤とした価値観の世界とは全く違った価値観の中で、経済が運営されていたようである。原始人というと、脳裡に浮かぶのは「物々交換」であり、私も物々交換のような原理が縄文時代にあったのかなと思っていた。

 しかし、遺跡を分析する考古学者の見解はどうも違うようである。縄文時代には、黒曜石とか干貝とか、ヒスイとか、アスファルトとか、ある地域の特産物が、特産地からかなり離れたところでも使われていたことが知られている。それは、そうなのだが、特産地がそれを交換の材料として、他の商品を買いあさったりしているのかな・・・と私など想像するのだが、遺跡物を分析すると、どうもそうではないようだ。

 これは謎で考古学者がいろいろ研究しているようだが、例えば阿部芳郎著「縄文の暮らしを掘る」(岩波ジュニア新書)には、互恵性社会を想定していて、単純な交換ではない、別の価値観のなかでの運用があったとしている。「物々交換」はどうも現代人が作った神話のようなのだ。

 今でも国と国の関係では、単純にお金の貸し借りがあるだけでなく、以前助けてくれた恩を返す・・・そんな関係があるのだ。今の大問題の人質問題も、単なる経済合理性だけで解決できる問題ではないようだ。お互いに足りない部分を補い、感謝しつつ仲良く暮らすという価値観。古くて新しいかもしれない。

縄文からの風② 3/10

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真剣勝負の時!(縄文からの風 ② 2/10)

2015-01-22 | 第二章「五感と体感」

 寒い日が続く。私が住んでいるところも、日中でも4-6℃くらい。まあ、大寒なので当たり前かもしれない。

 さて、1月の後半から2月、3月。期の終わりが近づき、世の中も慌ただしくなってきているようだ。学生さんにとっても、受験。サラリーマンにとっても、人事の季節など、この大寒の季節は、心も引き締めるときのようだ。

 そして、還暦を過ぎた私も、何となく人生の後半。やはり、やらねばならないことを真面目にやらなければならない季節のようだ。

 「生き甲斐の心理学」の教育事業も、質をあげたり活動も活性化しなければならず、やることは山ほど。

 さて、縄文の勉強をしているが、勉強すればするほど、縄文時代の祖先の真剣勝負にはっとすることが多い。昔の原始人のイメージ、お気楽な・・・そんなイメージは、もう私の頭には全くない。土器に関しても、昔の・・・遅れている、ローテクといったイメージはかなり崩れている。

 実験考古学という分野を最近知ったが、例えば阿部芳郎さんの「縄文のくらしを掘る」によると、縄文後期の深鉢のイミテーションで実験すると、ジャガイモなど10分くらいでゆで上がったりするそうだ(凄い)。煮沸用の鍋としては、かなり考えて作られているようだ。そういえば、良く行く新宿歴史博物館の16000年とかの草創期の土器も、小型ながら内部の湯の対流なども実に良く考えてあって、古いので遅れているという見方は通用しないらしい。

 その時代、時代で真剣勝負で物事にあたった祖先。頭が下がる。

 私など本当は厳しい状況なのにもかかわらず、防衛機制の悪い使い方で、お気楽に屁理屈をつくって先延ばししがち、そろそろ、気合を入れねば!

縄文からの風② 2/10

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縄文人のパワーの源泉は?(縄文からの風 ② 1/10)

2015-01-21 | 第二章「五感と体感」

  マッサンも余市についてから、期待していた熊さんの状況を徐々に知ってきたようだ。熊さんのニシン漁の理想と現実。以前のように理想が簡単に現実化しないようだ。

 理想と現実とそのギャップ。それを、どのように解釈し、健全な活動に繋げていくか。私は、生き甲斐の心理学を勉強しているので、その観点から考えることが多いが、一方工学部を卒業した、ちょっと怪しいけどエンジニアでもある。そして、やはり理想を現実化する工学的思考や方法にとても興味がある。 

 また、心理学や工学が役立たない問題を解決する別の分野もある。人の罪の問題とか、死とか・・・そういった分野は宗教とか哲学が問題を解決してくれることもある。美とか芸術の世界も不思議な分野だ。あるいは、医療や福祉、教育、あるいは法律や経済、マーケティングなども理想と現実の戦いの場でもある。この他・・・考え出すときりがないくらいだ。そして、それぞれの分野で人は、問題解決をあれこれ考えている。それは凄いことだ。

 さて、今朝は縄文土器の本を読んでいて、祖先の土器に関する理想と現実を考えていた。

 縄文土器の初め。草創期の土器は16000年以上のものであるようだ。そして、それは初めから煮炊きに使い、成分を調べると動物の毛が混入されていたようだ。動物の毛を混入した土器、その特徴は日本だけでなくシベリアにもあるようだ。土器がその目的を達成するために、祖先はいろいろ考えたのだろう。ただ、何故動物の毛を混ぜたのかは今でも謎なようだ。

 煮炊きができる祖先の土器の発明でかなり生活が変わったのだと思う。煮炊きができることで、今まで食べられなかったものが食べられるようになったりし、祖先の暮らしの生活の質は随分向上したに違いない。定住化も促進され、狩猟や漁労だけでない生活の基盤が出来たのだろう。そして、それ以降様々な改良がくわえられ土器は発展していく。砂と粘土でつくる土器や、植物繊維を混ぜるもの、酒造り専用の土器、装飾性が高いもの・・・などなど。

 しかし、当初土器づくりに動物の毛を混入したのは何故か?工学的な意味があるのか、宗教的な意味があるのか、・・・

 まあ、私が妄想しても何にもならないが、その伝統は今にも引き継がれ、私のような食べるだけの鍋奉行も健在だ。風邪がはやる今頃は鍋でも食べるのが良いようだ。

縄文からの風② 1/10

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