イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人は自己イメージで行動する!(自分の傾向を考えてみる 2/10)

2015-05-26 | 第一章「意識と知覚」

 私が若いころは、殆どの人が選挙投票に出かけて行ったイメージがあった。両親や祖父母の戦争を経験した人などは、選挙に行かないなど考えもしないようだった。

 あれから、何十年かたち、日本の選挙は大きく変わったと思う。若者を中心に選挙に出向く人は激減したようだ。不思議な現象である。ただ、生き甲斐の心理学を学ぶ私には、思い当たることがある。それは自己イメージの問題だ。行動・・・選挙行動もその一部だが、行動は個人の自己イメージを反映させるということがある。

 一票をどう自分のイメージと繋げているか。それが問題なのである。たかが一票と考えるか、一票もあると考えるか、それが行動という段で大きな違いになる。

 今日は、知人から教えていただいたスイスの「あらゆる危険から身をまもる 民間防衛」(原書房)という本をパラパラめくっていた。スイスは国民一人ひとりがご存じのように自由を愛し義務が徹底されている。第3次世界大戦が起こっても、スイスだけは残っても不思議でないといわれるほど徹底している。

 私は、5000年前のアルプスのアイスマンのことを想った。当時は縄文中期で、日本では世界の殆どの文化とことなり戦争のない時代をいまだに甘受していたころだ(その後は、自然災害や寒冷化で大変だったが)。アイスマンはどうも部族闘争の被害にあい、殺害されたようなのだ。

 そして、今でさえ5000年前の状況は変わってないかもしれない。防衛という点で、何か日本人は変なのだ。

 しかし、防毒マスクを所持し核にもある程度対抗できるシェルターをもつスイスと、殆ど無防備な日本(心の問題として)の差は恐ろしい。まずは、自分にとって何のために生きているか?そんな自問自答が遠いようで一番の近道かもしれない。

自分の傾向を考えてみる 2/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!


ゆずれないことは譲れない!(自分の傾向を考えてみる 1/10)

2015-05-25 | 第八章「魂と聖霊」

 誰でも自分の傾向は気にする。太り気味、血液検査の結果、体重・・・身体の傾向は皆結構気にしているようだ。しかし、自分の個性の傾向はというと・・・。

 就職活動とか、そういう時は長所がどうとか短所がどうとか・・結構考えることもある。それは社会的な規範や、身近な人から言われたことなどが評価基準になることが多い。そして、就職活動の面接対策などが必要でなくなると忘却のかなたにいってしまう。

 私もそれに近いかもしれないが、自分の性格形成とか個性とかを現在一生懸命思索している(論文を書いているので)。その思索は心理学の先達の理論がベースになる。例えばロジャースとかエリクソンとかフロイトとか。

 自分の個性や人格をよ理論的に知る。意外に難しいが、いわゆる常識とか周りから言われたことなどを評価基準にするより格段にいろいろな発見がある。

 昨日は、知人から明治初頭にあった、宗教弾圧の実際の記録を読んでいた。その記録はキリスト教の棄教を迫る浦上4番崩れなどの迫害であったが、いろいろ考えさせられた。宗教迫害は遠藤周作の沈黙などに紹介され有名だが、棄教を迫られても拒否する行動をとる人間には驚かされる、時には命を失ってもだ。

 個人の傾向と渇望の中心に信仰が入る場合の不思議さをいろいろ思った。明治時代は廃仏毀釈もあり、考えてみれば大変な時代だったようだ。

 地元の神社や祠に、首のない石像とかを観ると、当時の激しい行動を産んだ時代を考えざるを得ない。性格の一部になるような信仰を排斥する恐ろしさ。もちろん時と場合があるが、これは人権問題そのものなのだろう。

 日本人の宗教弾圧や宗教戦争。これは、何もキリスト教だけでない。或るときお坊様から直接お聴きしたが仏教などにもあったそうだ(織田信長の時代など)。歴史をちょっと紐解けばわかるはなしなのだが、意外に知られていない。

自分の傾向を考えてみる 1/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!

 


富士山とひょうたんのほんわか気分!(富士山を想う 10/10)

2015-05-23 | 第九章「愛」

 今朝は、超ひも理論の関係のyoutubeを見、それから昨年行った日本国宝展の図録から縄文の女神をはじめ5つの土偶の写真をしげしげと見たりしていた。そして、久しぶりにロロ・メイさんの「愛と意志」(誠信書房)を読んだり、ロマ書の霊と肉を考えたり・・・

 ちょっと支離滅裂(笑)なのであるが、これは昨日の勉強会で久しぶりに愛の原型を扱ったのだが、ここひとつ掘り下げができなかったことが原因のようだ。愛とは何か?真善美とは何か?そんなことを思い悩んでいたのだ。

 ちなみにU先生の生き甲斐の心理学では「愛とはあなたが思うところの愛である」といった現象学的な、そして一見頼りない回答になる。ただ、勿論心理学を離れれば、私にとっての愛は思考や感情の対象で、さまざまな愛の名作を通して楽しく考えさせていただけるものだ。

 時々「愛の原型」の問題を生き甲斐の心理学勉強会で話題にすると、「愛」とは何ですか?と訊かれることがある。そして、いつもうまく表現ができない。多分、意識の範囲の世界ではなく無意識も含めた大きな世界の問題であり、コトダマ?がつかえてしまうようなのだ。

 さて、写真は西湖の近くで撮った富士山とひょうたんである。縄文時代のことを勉強すると、外来種のひょうたんを縄文人が栽培していたことを知るようになる。ひょうたんはかなり歴史の古い植物で、それから生活用具(水筒、お酒の容器、・・・)として、あるいは仮面など、祭儀にも使われていたのではないかと思う。先日天理の博物館で観た展示の中にはひょうたんでつくった仮面が中国などで今でも使われていることを知った。縄文人もひょっとしたら仮面をひょうたんからつくり祭儀に用いていたかもしれない(祭儀で仮面をつかったことは確実なようだ)。

 私の幼いころに祖父母の家に行くと、ゴミ箱があったがそれはひょうたん(それに類するもの)をくりぬいて造っていたもので、軽くて重宝して祖父も重宝して使っていたのが印象的だった。ゴミを当時は庭で焚火で燃したのだが、その時に私も手伝ったりした。とくに意識にすぐのぼるような大型の愛の原型ではないが、小型の愛の原型であることは間違いない。

 支離滅裂に思索するのも或るときは大事だが、富士山にひょうたんの何となくほんわかする写真を眺めるのも愛の思索としてはとても大事だとも思う。

富士山を想う 10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!

 

 


富士山とほんわかする気分!(富士山を想う 9/10)

2015-05-22 | 第九章「愛」

 最初に富士山を見たときはいつだったのだろうか?そんなことを朝から考えているがはっきり思い出せない。両親と広島に行く列車の中で観た富士山。父が「富士山が見えると感動して言った」ような気がする。あるいは、小学校か幼稚園のときの遠足でバスの中から観た富士山だろうか・・・

 富士山を初めて観たときのほんわか気分。良く考えると、これも自分の愛の原型の一つなのだろう。社会人になり多摩に移り住み子供と一緒に見た富士山。これも、子供にとっては愛の原型となったかもしれない。そして、孫と観る富士山・・・愛の原型はもう文化になって継承されている。

 まあ、富士山を観る大半の人は、富士山を観ることで、愛のノウハウ(両親の気遣いや自然からの愛)を大なり小なり学ぶのだろう。そして、美しい富士山を観ることでほんわかする。

 世の中には、愛で悩む人も結構多い。愛されない、愛することができない・・・まあ、いろいろであるが。そんなとき、身近な小さな「ほんわか気分」に気づく人は素晴らし。臨床心理学的にも理に適っていると思う。青い鳥という童話があるが、あれである。

富士山を想う 9/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!

 


忍野八海の清流はどこに流れ着くか?(富士山を想う 8/10)

2015-05-21 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、実に久しぶりで映画「駆け込み女と駆け出し男」を鑑賞してしまった。なかなか良い映画で感動したが、ついでながら、4年前に行ったことのある東慶寺、腰越(鯵売り女の仕入れ先)、江戸・・・その地理感覚と徒歩の時間をいろいろ妄想してしまった。

 というのは、縄文時代という馬も牛もない、人力(歩くと舟で行く)だけの交通手段の時代をいろいろ妄想しているからでもある。馬や舟、荷車などが発達した江戸時代でも、東京から北鎌倉の約50kmを成人女性が、半日くらいで歩く。他にも不思議な魚売りが登場するが、毎日、腰越でとれた魚を片道10kmくらいの道を辿り東慶寺に売りに来る。考えただけで大変だが、それが当たり前だったのだろう。

 そんなことで、富士山に関しても交通としての川に興味深々である。先日も行った忍野八海は美しい富士山からの湧水が出る山中湖に近い場所であるが、いろいろ調べると縄文時代にはちょっとした湖であったようだ。そして、私が興味をもち実際に訪れた上中丸遺跡のある富士吉田市の小明見も同じように小ぶりの湖だった。後の時代の富士山の溶岩の流失等でこうした湖も消滅したようだ。しかし、これらの湖の跡地は、山中湖からの桂川と繋がり、今でも東に向かった後に大きく迂回して相模川となっていく。昔はあゆとかコイが沢山いた。

 縄文時代の相模川。これがどうなっていたかは、ネットで調べてもよくわからない。鶴見川や境川は今では別の川であるが、ある時代は繋がっていたともいわれる。流域が西遷したとも言われる。私の住む地域では、多摩川上流の大栗川が身近だが、境川や鶴見川上流も歩いていけるほど身近だ(江戸時代の感覚だが)。

 多摩は今では高速道路や鉄道の関係から都心と太いパイプで繋がっていたが、川が大動脈だった縄文時代は、神奈川県や東京東部と深く関係していたことが判る。同じ場所でも、時代により感覚が随分違う。

 多摩に住んでから、川の景色をいろいろ楽しむことも多かったが、縄文を勉強することで(他の時代でも良いが)、それだけでなく最終的に行きつく先を考える癖ができたようだ。すると、その川がちょっと違って見えてくる。これは川であったが、人間も何かにていて自分の死を考えると、今の自分にはっとすることもある。メメントモリとはそんなことかもしれない。ちなみに映画の駆け出し男の最終的に向かう先は九州ではなくXX。これも象徴的である。

富士山を想う 8/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています!