イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

二十七夜の三日月 (月を解釈する 9/10)

2016-07-23 | 第七章「光と復活体」

 ある方から教えてもらい宮沢りえさんが主演の映画「紙の月」を観た。なかなか良くできた映画で満足したが、最近、お金が日本人の価値観で一番とか上位に占めるようになってきたと聞いたばかりで、その意味でも今風のテーマが良かった。また、先日U先生の勉強会で自己愛の問題をいろいろ考えさせていただいたが、この映画も人間の微妙な心理に関係があり、とても勉強になった。内容については興味のある方は是非みていただくとして、ここでは余り語らないことにしたい。

 映画には三日月がでてくる。映画のタイトルにも出てくるので大きな意味があるのだが、それはさておき三日月について今朝は考えた。映画では、明け方の三日月がとても象徴的にでてくるのだが、それはどんな月なのだろうか。皆さまに質問です。普通の三日月か否か?

 この三日月の形はしているが三日月なのだろうか。これから上弦の月、満月と膨らんでいく文字通りの三日月か(盈月)。あるいは、反対に新月、つまり月の死を次の日に控える27夜とかの月か。直ぐに分る方は縄文力の高い方だと思うが、答えは新月の前の月で言葉の意味では三日月ではない。

 芭蕉に、この明け方の月を歌っているものがある。

  明け行くや二十七夜も三日の月

 映画では、銀行の外交員の女性が、財布のお金が足りなくて、思わずお客様のお金を1万円何気なく借りてしまうところから始まる。この怪しい現実吟味力は、人間が身体、こころ(生育史)、魂(宗教や哲学の領域)から成り立つとすると、何が起因していたかだが、どうも映画によると生育史に問題が隠されているようだが、何が歯車を狂わせたかは面白い問題だ。

 飢えていて、食べるものに困り思わず盗んだ人に対し、イタリアでは最近、最高裁判決で無罪と言い渡したそうだ。身体からくるものの中で生存権に関係するものは、基本的人間の権利としてゆるされるというのは考えられることである。この映画はそうした身体を持つ存在としての人間もしっかりとらえていたように思う。

 生育史からくる問題というのもある。これはなかなか微妙なところである。人間が本来持ってあるはずの罪悪感、劣等感・・・さまざまなネガティブな感情を、主人公は実際に感じていただろうか。不思議な防衛機制はどこからくるのか。中学校のころの問題のように作品では描かれているが、難しい問題だ。このあたりはいろいろ考えさせられる。それから、本来、感じてよさそうな夫の愛など、他者からの愛も感じていないようだ。その原因は何か・・・これも、生育史によるものだろうがよく分らない。

 そして、月が象徴するように、魂の問題ということもあるだろう。神秘的な領域で、作品の最後のシーンの先にあるもの。死を潜り抜けての本当の月の復活が本当のテーマかもしれない。

月を解釈する 9/10

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ネガティブな雰囲気から立ち直るには?(月を解釈する 8/10)

2016-07-22 | 第一章「意識と知覚」

 このところの天候不順で月を見ない日が続く。それと、都知事選に絡む連日のネガティブキャンペーンで何か心は暗くなる。思い起こせば20年くらいまえは、比較広告などは日本人に受け入れにくいものであった。それが、日本人も欧米並みにネガティブキャンペーンが幅を利かせ、しかも日本的にポジティブキャンペーンというか、自分の想いを深く語ることをしない。何かとても暗くなる。

 また、マスコミもそういった傾向にさらに拍車をかけるようで、市民は皆少し変にハイになり、ぎすぎすしているように感じられる。

 こうした時に、意外に大事な自問自答があるように思う。急がば回れのような自問自答なのだが・・・

 ①私は何のために生きているのか?

 ②私の生き甲斐は何か?

 ③私は自分(身体、生育史、魂で形成される生命体)を大事にしているか?

 そして、一人静かに瞑想したりする時間を持つ。こころを落ち着かせると、何が大事で何が大事でないかが見えてくるようだ。

月を解釈する 8/10

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月は古今東西、どのように解釈されてきたか・・・ (月を解釈する 7/10)

2016-07-21 | 第七章「光と復活体」

 月の満ち欠けをどのように解釈するか。今の人にとっては地球を回る衛星としての天体が、太陽の光を受けて新月から満月のいくつかのパターンを見せる・・・そんな風に解釈するのが一般だと思う。しかし、縄文時代では、どうだっただろうか。写真は山梨県立博物館に数か月前に訪問した時に拝見した女神像付深鉢であるが、女神の死と再生の不思議な神話を表しているようだ。日本書紀や古事記の神話に出てくるイザナミを表しているとする研究者もいる。もし、そうであるなら有名なイザナミ・イザナギの日本神話は5000年前の縄文時代(この深鉢ができたころ)の歴史があることになる。

 そして、恐らく祖先たちは、こうした神話を大事にして生き抜いてきた。その結果の私たちの存在。

 そのころ(5000年前)の縄文土器には蛙のイメージもよく登場する。このイメージは同時代的には、黄河文明に先行する揚子江の仰韶文化であり、そのころの土器等にもでてくる。中国文化は縄文文化より早く文字をもったが(良し悪しは別として)、それゆえその神話は文字として残っているようだ。海を隔てて二つの文化が影響しあった可能性とも考えられるが、別の考え方もできるようだ。

 イザナミ・イザナギの冥界神話は、よくギリシャ神話に似ているともいわれる。それは、ギリシャ文化がシルクロード等で日本にやってきたという風に解釈されることが多い。しかし、そういう可能性もないとも言えないが、ギリシャ神話、日本神話の原型が例えば5-6万年くらい前の出アフリカ以前にすでにあったと考えられないこともない。現在は人類(ホモサピエンス)の発生がアフリカであり、5-6万年前から人類が世界中に散らばったという説が遺伝子研究よりほぼ定説になっているからだ。

 月をどのように解釈するか。現代の小学校の理科の教材のように理解することもある。非常に深淵な世界の深層的な神話と解釈することもできるかもしれない。西行をはじめ古今東西の詩人のイマジネーションのもとかもしれない。

 いろいろな解釈があることは実に不思議だ。そして、どれが本当に正しいかといったことではなく、月の解釈は個人の自由な世界にある。そして、さまざまな解釈の世界を垣間見ることのできる私は幸せものだ。

 月を解釈する 7/10

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縄文の人々の見た北極星・・・(月を解釈する 6/10)

2016-07-20 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は、つつじが丘で勉強会があった。今の世の中も毎日事件が起こりニュースから目が離せなかったりするが、個人の生活でも普段は考えられないことが起ることがある。前期高齢者の拙い私のことを考えても、幼いころからちょっと間違えれば命さえ危ないこともあった。へえ、こんなことも起るのかと感心するようなことも。これから先も災害、病気やケガ、死などがあることは間違いない。

 そして、時には命をかけるような判断を瞬時にしなければならない状況もあるかもしれない。それは運といった人間の限界を超えた領域かもしれない。その中で、生身の身体を持ち、生育史を持ち、魂を持つ自分をどう律していくかは大事だ。

 この2-3年防災に関して随分考えるようになった。3.11が直接の原因であるが、今月になってからも近くの防災センターに行った。そして、いろいろな発見をするのだが、この2-3年で一番驚いたのは、「津波でんでんこ」という考え方だ。これは実に深い言葉であり、とても理に適っているように思える。自分の生育史を考えても、これを幼いころから知っていたならなと思ったりした。

 幼いころに友達が交通事故でなくなったが、これも津波でんでんこの哲学を知っていたら、へんな罪悪感や恥辱感に悩まされることはなかったと思う。

 ちょっと残念だったのは、このWikipediaの津波でんでんこの説明には先祖代々の知恵ではないとあった。しかし、縄文時代の人々であったらどう考えたのだろうか。生きる力も強く、魂への想い(思想的にも)も強かった当時はきっと津波でんでんこと同じことをしていても全く不思議でないと思う。

 さて、写真は小牧野遺跡から見た青森市と陸奥湾である。縄文海進の時代はもっと、陸奥湾が近くまで来ていたかもしれない。そして5,000年前とかに縄文の人々も同じように海を見たり、竪穴住居に住んでいただろうから、夜の陸奥湾を見ることもあっただろう。この方向は北であるので、空に北極星や大熊座、カシオペア座なども当然見えただろう。

 ただ、5000年前という時間は結構長く、地球の地軸の歳差運動の影響は避けられない。そして、当時の北極星は今のこぐま座のしっぽではなく、りゅう座のツバンだった。そして、ツバンを中心に大熊座と小熊座が時計のように回り、あるいはりゅう座がぐるぐる回っていた。その光景は今以上に印象に残るものであったかもしれない。縄文中期の土器に山椒魚紋が関東や中部では描かれることがあるが、この星座をイメージしていたのでは・・・そんな妄想を朝からしてしまう。

 文章が支離滅裂になってきたが、津波でんでんこの話と縄文時代の北極星は、別の話であるようだが、私にとっては何か似ているという感じをもっている。命という普遍的な価値。万とある星の中で唯一動かない星。

 支離滅裂にもう一つ。今日は満月だそうだ。

月を解釈する 6/10

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狭い空間を愛してしまうけど・・・(月を解釈する 5/10)

2016-07-17 | 第二章「五感と体感」

 狭い空間はなにか母体回帰なのか落ち着くところがある。かつては日本人の住まいはウサギ小屋とか、揶揄されたりしたが、どうも、それで良しとするDNAが流れているように最近思う(文化的な意味で)。押入れの中の何となく不思議な空間。時には屋根裏・・は少年時代のわくわくする活動の場所であり、青年になってからも喫茶店なる狭い空間は愛すべき場所であった。

 縄文時代の竪穴住居は、そんな空間の原型のようだ。祭壇があり囲炉裏がある。囲炉裏はイザナミがカグツチ(火の神)を産んで亡くなったことをどこかで象徴しているようだ。そして、竪穴住居には囲炉裏で食事を用意したりする母が居なくてはならない。当然ながら母の味は鍋であり、カレーライスが国民的食事になったのも鍋と関係があると思う。縄文時代にはすでに竪穴住居のほかに高床式などがすでにあり倉庫などで使われていたが、どういうわけか住居は竪穴だった。

 そして、昨日から考えていることだが(田中基氏の縄文のメデゥーサを読みつつ)、この竪穴住居はもともと女神、特に月を象徴しているのではないかと。

 さて、今日はこれから府中で勉強会。狭い家で縄文を妄想していたりするのも良いが、気の合う仲間に会って楽しい時を過ごすのは至福の時。他者との会話の中から、一人では始まらないことが始まるというのも確かだと思う。黄泉の国に住むイザナミとは別の、この世のイザナギの世界というのだろうか。

月を解釈する 5/10

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