イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

電子書籍販売で調子に乗る私はへんか? (慈眼 8/10) 

2016-12-23 | 第九章「愛」

  「縄文小説 森と海と月 :五千年前の祖先の愛と魂」の第一刷から約一ヶ月たった昨日、電子書籍版の販売を開始させていただいた。紙の本は準備中で、しばらくお待ちいただきたいが、電子書籍を発売すると、Kindleセレクトで発売したこともあり、大きな反応が思いがけずあった。

 電子の世界の反応は実に早く、朝に発売開始したのに、午後3時には売れ筋ランキングで歴史。日本史・地方のランキングが関東、東北、近畿でNo.1。有料全タイトルの中でも2450位という信じられない状況にある。

縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂

森 裕行
縄文の森

 売れ筋の実態は本当なのかどうなのかはよくわからないが、こんな時「生き甲斐の心理学」を学んでいる私は、もう一つ自分自身にとても興味をもってしまう。縄文小説の中にも自己愛の問題を持った人物が登場するが、今の自分自身もいつもと違うなと感じてしまう。簡単にいうとへんに有頂天になっているのだ。

 ランキングとか・・・幼いころから環境がランキング大好き・・・的で、こんな中で性格が形成されるので、変に実態のない裸の王様的気分にになってしまうのだ。

 (1)自己の重要性、ユニークさに関する誇大感、

 (2)限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入

 (3)絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度

 他にも大きな項目で二つある、自己愛パースナリティ障害DSM-3の項目をU先生の「生き甲斐の心理学」を見ながら反芻してしまう。こうした傾向はだれにでもあるというが、極端になると問題を起こす。

 さて、自分の中のへんな傾向。そんなことにバランスをとるように、聖パウロの使途の旅の写真集を良く眺めている。聖パウロは約2000年前の人だが、その写真集の旅路の跡は、ほとんど廃墟になっている。そして、もういちど自分は何のために生きているのか・・そして、等身大の自分は何かと考える必要を感じてしまう。 

慈眼 8/10

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お金・邪眼からの回復!(慈眼 7/10)

2016-12-20 | 第五章「和解と平和」

 企業に勤めていたころ、某上司がこんなことを言っていた。「普段はいい人ばかりなんだが、予算やお金のことになると人が変わるんだな・・・」

 今、それを思い出したのは、この二三日、結構お金のことで邪眼?になっていたからかもしれない(笑)。まあ、お金と邪眼の関係は、今に始まったわけでもなく、いつの時代も皆悩んでいたようだ。縄文時代でも、中期・後期になると翡翠などで利権争いがあったことを伺わせる遺品があったりし、写真の黒曜石でもひょっとしたらあったかもしれない。

 黒曜石を見ると人が変わると・・5000年前に言い合っていたり。

 そして、つらつら思うのだが、現代日本(私も含め)はその傾向がやたらに増えているようにも。そして、どういうわけか邪眼も。

 コンピュータのオン、オフではないが、お金はやはりシンプルだ。いろいろなものの代替え特性になりやすい。お宝もお金に換算するとわかりやすいし、名誉や地位もお金に換算するとわかりやすい。最近は物だけでなくサービスなどもお金に換算したりする。

 しかし、本当にそうかはわからない。そして、いろいろな意見があるかとは思うが、私はそうではないと思う。本当に大事なことはお金とは無縁なところにあると思う。とはいえお金も生きるためには大事なのだが・・・

 では、お金・邪眼から回復するためには・・・

 U先生の「生き甲斐の心理学」の系統図を思い出しながら考えると、今日は「自己実現」のことを考えてしまう。マズローさんの名前が浮かぶが、マズローさんの自己実現の真意は、決してお金ではないようだ。「何のために生きるか?」「生き甲斐は何か?」「自分の身体とこころと魂を大事にしているか?」。こんなことを考えると、自分を俯瞰すると、私はお金・邪眼から脱却しやすいように感じる。

 地獄の沙汰も金次第ということわざがあるが、ネットで調べると、元の意味はメメントモリの問題のようだ。アラスカにはポトラッチという、自分の財産を他者に投げ与える祭りがあったそうだが、それも縄文時代にあったのではないかという説もある。

慈眼 7/10

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コンピュータ邪眼からの回復・・・(慈眼 6/10)

2016-12-18 | 第五章「和解と平和」

 先日は、知人と深川江戸資料館で江戸時代の庶民の暮らしぶりを堪能したり、芭蕉旧家などをまわった。そしてランチは駒形どじょう。楽しいひと時を過ごさせていただいた。

 私の母方の祖父も生まれは下町だったので、どじょうも連れていってもらったことがあった。ただ、最近知ったのだが、祖父は誕生してすぐに叔父に養子にだされたそうだが、そこが四ツ谷の双葉女学校のところの子爵の武者小路さんの長屋だったそうで、何年かそこで暮らしたとのことだった。

 深川と四ツ谷、時代も江戸と明治なので違いはあるものの、長屋住まいの感覚をつかめたのは楽しかった。

 祖父は、とても人情深い一面(それこそ慈眼)があったが、それは長屋育ちということも関係があったかもしれない。

 ところで話は変わるが、昨日、一昨日とパソコンでホームページを作っていたのだが、知らぬ間に邪眼の日々となっていたようだ。コンピュータとはもう45年近くおつきあいがあるのだが、基本はオンかオフみたいな存在で、ソフトを作ったりするのは辛いものである。今でも折角ある程度作り上げて、操作ミスで消えたりすると「やっちゃられないな」という気分になったりする。

 コンピュータで眼精疲労になったりすることはよく言われるが、コンピュータ邪眼・・・も結構あるのでは(笑)。

 そんな時、コンピュータ邪眼?からの回復を考えたが・・・生き甲斐の心理学でいうと、すべてのストレス曲線は理想と現実のギャップ・・・という名言を思い出すと良いかなと思った。

 理想・・・私たちは理想を持つことでいろいろ頑張ってしまうのだが、その高貴な理想が邪眼の現況である可能性もあるのだ。

 ✘✘を期日までに仕上げる。
 完璧な成果物を作り上げる。
 みっともないことはしない。

 ま、いろいろあるのだが、ストレスの原因の理想を考えてみることで、意外に解決(慈眼への以降) への糸口がつかめる。

 ✘✘の期日はなにも今日とは限らない、明日でもよい。 
 90%の完成で結構よいのではないか。
 みっともないことばかりしてきた人生、今回もすこしはみっともなくてもよい。

 写真は古裂れ売り。手ぬぐいなのかなと思ったが、古裂れであり 、江戸の庶民はこれで継ぎあてにしたそうだ。何も新調の物を着てばかりでなく、ものを大切に使うのはいいことだ。衣服だけでなく茶碗などでも、専門修理業者があったそうだ。そういえば、縄文時代の土器でも修理して使ったあとのある土器もある・・・コンピュータ邪眼も、祖先たちのように理想を変える知恵で直すのがよいかもしれない。

慈眼 6/10

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楽しい慈眼の忘年会・・・(慈眼 5/10)

2016-12-13 | 第七章「光と復活体」

 12月に入ると、忘年会が多くなる。企業でバリバリ働いていたころと違い、最近は趣味の会や近しい人たち、そして同志の忘年会なので100%慈眼の忘年会が多い。生き甲斐の心理学の用語を使うのは野暮かもしれないが、ロジャースの六条件に満たされた忘年会ともいうのだろうか。

 そういった忘年会は、あとで考えると・・・他者批判などが皆無だったり、表面的な会話ではなく普段では聞けない話があったり、思いやりに溢れていたり、退職者3大話し(年金、孫自慢、病気)がほとんど含まれなかったりする。そして、何よりも信頼関係がある人たちによる、個性あふれる会だ。平安感で始まり幸福感で終わる。

 昨日の八王子の太極拳の仲間による会もそうした一つだった。

 今の世の中は、すべて金銭で解決できるような雰囲気があるが、こうした楽しい忘年会は、お金だけでは得られない。本当に感謝である。

 慈眼 5/10

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邪眼スイッチをオフにする!(慈眼 4/10)

2016-12-09 | 第三章「無意識の世界」

 日々の生活が幸福曲線の中で、平安感ー>友好的感情ー>健康感ー>幸福感ー>統御感という感じで流れていればよいが、やはり、ストレス曲線も日々湧きおこるものである。それも、新しい幸福曲線への糧となるので、大事にすべきものだと思うが。時に、邪眼スイッチではないが、成育史の中で作られた傾向というのだろうか、一過性でなく継続するような暗い感情に悩まされることがある。

 こんな時、生き甲斐の心理学で学んだエリクソンの学説の知識から、その感情が不信感、恥辱・疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感のどれに近いかなどを分析したりし、教科書的な対策を考えるのもよいが、そんなに簡単でないことが多いようだ。

 そんな時、もう一つ解決への有力な知識があるようだ。それは、人間は身体、こころ(成育史)、魂(哲学や宗教の領域)からなると考えて、身体からのストレスか、こころからのストレスか、魂からのストレスかと考えることである。欧米だと、医師のとこに行くか、心理療法家のところに行くか、宗教家のところにいくべきか・・・こんな切り分けなんだろう。

 まあ、そんなに深刻でないことが多いが、単に身体が疲れている、精神的に疲れている・・・こんな時はそれなりの対処法(寝るなど)が思いつく、魂の問題というとちょっと怪しまれる方も出てくると思われるが、信頼のおける寺院・仏閣・教会に行ったり、あるいは芸術作品を見て癒されることも多い。当然祈りもあるかもしれない。

 邪眼スイッチをオフにして、慈眼スイッチをオンにするノウハウ。健康的に日常生活をする上で大事なことだと思う。

慈眼 4/10

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