イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

真善美との出会いと大きな愛(愛と親密性と孤独感 4/10)

2017-03-21 | 第九章「愛」

 ちょっと照れくさくなるが、「愛」について今日は考えている。なかなか難問なのであるが、ちょっと観点を変えて、どのような時に大きな愛に触れたかと質問を置き換えて考えている。縄文小説を書いたとき、生き甲斐の心理学の論文もちょっと前に完成していて、その時真善美という観点で考える楽しさを知った。そして、自分の成育史を思い出しながら、少年少女時代から青年時代などいろいろ考えた。

 その時は嫌な体験というものがある。人それぞれだが、反抗期に成長してきた子供に「実は、お前は橋の下で拾ってきた」と子供に親が話す伝統が日本にはあるようだ。いろいろなバージョンがあるようだが、貴方のルーツは決して目の前の親ではないと教育しているようにもとれる。当然心配になるわけであるが、その意味は大人になると気づくこともある。

 激しい情動をともなう興味・関心というものもある。学校生活がらみだと、私は天文にひかれた。時には微生物にもひかれた。そして数学にもひかれた。音楽や美術関係の関心も膨らんだ。給食の昼休みに先生が話してくれた「ビルマの竪琴」も良かった。

 今から考えると、大きな愛にそれなりに触れていったようだ。学校以外の場で真善美を経験したことは、その何倍も大きい。

 今でも、この一ヶ月でも真善美に触れることがある。飛騨金山の金山巨石群は縄文初期の旧石器時代にあったかもしれない、とてつもない文化の可能性に触れたようだ。「真」ということばが浮かんだ。今までの常識とは違う世界だ。それから、ヒルデガルトを知ったことで音楽に対する自分のイメージが変わったようだ。その豊かな感性・霊性は何だろう。「美」とは何だろう。「善」関しても、さまざまな困難にも関わらずブレないで生きている方の存在に触れたことも大きい。

愛と親密性と孤立感 4/10

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孫娘の書置き・・・(愛と親密性と孤立感 3/10)

2017-03-18 | 第九章「愛」

 先日、夜遅く仕事から帰宅すると、私の部屋のドアに子供の字で張り紙があった、

「おかえりなさい。おとうさま。おばけやしきは作りおわりましたよ。」

 そして、部屋の中に入ると張り紙がいろいろなところにべたべたと貼ってある。怖いお化けの絵も。

 その日、孫娘が我が家を訪れたとき、お化け屋敷の話をしていたのたが、仕事の時間となり孫等をのこして仕事に行った。その後、孫が一人妄想の世界からか?お化け屋敷のストーリーを考案し、見学者への指示書をいろいろ考え、それをいろいろ貼りまわったようだ。孫は、私が夜遅く帰宅するのを知っていたため、先の張り紙をドアにつけて帰ったのだろう。

 小学生低学年の孫であるが、文字を書けるようになり置手紙を残す。それも、何か心温まる文字だ。

 さて、この二年私は縄文小説を書いてきたのだが、5000年前に日本に文字はあったかどうかという問題は悩ましかった。世の中の学者の大半は縄文時代に文字はなかったというのが殆ど定説だったので、同時代のメソポタミアに文字が存在していたわけなので、日本には文字を拒絶する反文字文化があり、それゆえに文字はなかったという仮説ですすめた。

 その大きなポイントは、文字は人間の統治のための道具に過ぎないため、魂をもつ人間と平等性を信じている文化では文字は受け入れられなかったというものあった。

 しかし、良く考えると孫娘の書置きのように、文字の本質は支配というより情のこもった情報伝達なのだ。文字通り情けや愛を伝えるのが本質だと気づいた。それは、聖書や仏典のように叡智になる。

 さらに、先日の飛騨・金山の巨石群を見て、縄文時代の知的レベルの凄さに驚嘆をしただけでなく、明治以降に林道の障害となっているのでダイナマイトを仕掛けてもガンとして砕けない固くて重い巨大な岩でどう構築したのかという疑問を得た。巨大な岩はその地磁気から、その場所にあったものではなく、どこからかもってきていることは確かだそうだ。そんな、移動したり加工できる文化とはなんだろうか。進んだ交易が縄文時代にあったことは考古学からもある程度言えるが、巨大な岩を天文台のようにする大事業がエジプトやマヤと同じように日本の古代にあったとしか考えられない。もう文字なしでは考えられない。

 今の世の中=常識には実に不可解なところがある。例えば、「神がいることが証明できないから神はいない」そんな議論がまかりとおる。「神がいないことを証明できないから神はいる可能性がある」という風に考える人は意外にすくない。同じように縄文時代に文字がないと考える人は「文字が存在した証拠がないから文字はない」というような論理だ。この100年もたてば骨も溶けてしまう酸性の土壌が一般の日本に何が残るのだろう。しかし、文字がないことを証明したわけでもないことも事実だ。

 私は縄文小説の中で、中里貝塚の水産物工場遺跡を文字なしの文化の中でどう実現していったかを思考実験した。しかし、どうも文字がないのは不自然なように思った。そして今回の金山巨石群。日本の古代文字について若いころに調べたことがあるが、もう一回熟慮してみる必要を感じた。

 ところで、孫の「おかえりなさい。おとうさま。おばけやしきは作りおわりましたよ。」。これは、何か「愛と親密性と孤立感」というテーマに微妙に触れていないだろうか?

愛と親密性と孤立感 3/10

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もういくつ寝ると・・・(愛と親密性と孤立感 2/10)

2017-03-16 | 第九章「愛」

 昭和30年代のころ。「もういくつ寝るとお正月」という童謡をよく聞いたが実感を伴っていた。普段食べられないご馳走や、家族そろっての団らんは楽しみそのものであった。逆に言うと、正月の前は忙しく粗食の日々だった。そして、それは貧しい時代だったかもしれないが、こころは豊かであったように思う。

 それが、いつの間にかハロウィン、クリスマス、正月、恵方巻の節分、バレンタイン、ホワイトデイ・・・と毎日がお正月のように、掻き立てられるようになってしまった。それで良いかということだが、私は少なくとも心理学的に良くないと思っている。私は、たまたまクリスチャンであるが、クリスマスの前には待降節があり、粗食の日とか一食抜く日などがある。今は復活祭を前にしての四旬節であるが、復活祭の前には、やはり粗食や一食抜く日がある。そして、貧しさを実感することが、大きな喜びにつながるように感じている。

 光と影という言葉があるが、大きな光を得るためには大きな影を認識する必要があるようだ。それは、決してキリスト教だけでなく、伝統的宗教は、そのような側面を必ずもっているし、また神話などでも同じような話が山ほどある。

 そういう観点から、愛と親密性と孤立感を思索し、自分の生活を反省するとどうだろうか。今日は考えてみたい。 

愛と親密性と孤立感 2/10

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不思議な愛と親密性と孤独の関係 (愛と親密性と孤立感)

2017-03-14 | 第四章「愛とゆるし」

 この2-3日、愛と親密性と孤独という、不思議な関係を味わっている。どういうわけか、その組み合わせがポイントの書き物を2つ続けて読んでいる。

 その一つは、折口信夫の「死者の書」である。これは、先日当麻寺に寄ったきっかけで、読み直している。実に重層的で凄すぎる小説なのだが、今まで何度か挑戦したものの完読したという感じではなかった。

 ただ、今回は何か完読できそうな気がする。当麻寺や中将姫の知識をはじめ、自分の中で受け入れられる素地がようやくできてきたように思うからである。

 無機質で冷たい墓の中の描写、耳面刀自という女性の大津皇子の何とも言えないイメージ。それが、愛と親密性と孤独という三つのキーワードで解けるような予感というのだろうか。

 さて、先日府中で勉強会を行ったのだが、その後で府中の片町の高安寺に寄った。このお寺は、府中駅からちょっと遠いこともあり、地元の人は知っていても知る人ぞ知るような場所である。足利尊氏創建のお寺で、武蔵野国の国衙にも近い戦略拠点であり、歴史を学ぶものにとっては熱い場所だ。平将門を討った藤原秀郷の拠点であったこともある。

   

 驚いたことに、新宿の大宗寺や正受院で印象的な奪衣婆像があった。鎌倉の長谷寺などでは優しそうな奪衣婆像もみたことがあるが、恐ろしい姿の奪衣婆像が何故信仰の対象になるか。考えてみると不思議であるが、愛と親密性と孤独の不思議な三角関係と関係があるかもしれない。

愛と親密性と孤立感 1/10

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飛び立つ時・・・オオゴマダラの生態から (自己実現の道の歩み方 10/10)

2017-03-11 | 第八章「魂と聖霊」

 先日、孫娘たちと多摩動物公園に行ったのだが、その半分以上の時間を昆虫館で過ごした。夕方だったので象やキリンといった大型の動物はよく見られなかったのだ。

 しかし、孫たちには蝶も一頭、二頭と数える動物だよと教えるなど動物園の昆虫を楽しませていただいた(笑)

 その中で印象的だったのは、オオゴマダラの完全変態の様子を観察できたことだ。それも、次の写真のように毛虫が、葉の裏に他の蛹のようにぶら下がり、変態を始める様子も見られたことだ。毛虫の嫌いなかたは、次の写真は目をふさいでください。

 

 完全変態というのは、若いころに等価変換創造理論を学んだ時に知った生命の神秘だ。毛虫という状態のオオゴマダラが、蛹となり、蛹の状態で殆どアミノ酸レベルまで分解したりして蝶に再生する。生殖といった目的の中で(他にも目的はあるかもしれないが)、毛虫という全く別の蝶となるのだ。

 一般に動物が完全変態するケースは少ないかもしれないが、いろいろ変化することは確かだ。人間も勿論外見上など幼児から老人と時間とともに変わっていくが、時に内面上大きく変わる瞬間がある。

 先日の、旅行では中将姫の出家や持統天皇のことをいろいろ考えた。今の研究テーマである持統天皇については、近江宮で天智天皇の死が近づき、天武天皇は吉野に僧形で行ったが、その後、壬申の乱を起こすために吉野から東国へ天武天皇と出立する。この時天智天皇・天武天皇の親族で同行したのは、持統天皇と息子の草壁皇子、天武系の忍壁皇子だけであった。因みに親族は何十人も存在している。

 このころの持統天皇は、父が天智天皇であるものの、政治的には大友皇子やその皇后候補としては山辺皇女と不遇であったと思われる。その中で天武天皇と乱を起こすわけで、私にとっては持統天皇が蛹から蝶に変身する時期のように感じる。それは一体なんだったのだろうか?

 自己実現の道を考えるときに重要なことは、何だろうか。例えば持統天皇は何をしたのだろうか?恐らく「自分とは何かを自問自答した」と思う。自問自答というより、神仏に祈ったかもしれない「自分とは何か教えてください」と。中世の女性神秘家として有名なビンゲンの聖ヒルデガルトも言ったそうだが、問いのないところには聖霊の答えはないのだ。

 持統天皇のこころの中に湧きおこる情動にも興味はある。それは生き甲斐とか、自分の本来の傾向や渇望と関係が深い。政権の中のどろどろとした女の戦いがあったかもしれない。同じ蘇我の血をひく蘇我赤兄などの大友政権との確執、あるいは唐や新羅の女帝の動向など外国との関係もあったかもしれない。男には任せられない当時の女性性の叫びがあったかもしれない。定説はないが、熱い情動がほとばしったのは確かだろう。

 今まで、約一ヶ月自己実現のことを考え続けたが、当初のイメージよりずいぶん変わったように感じる。それは棚のぼた餅を眺めるというより、常に自問自答しつつ神仏と一緒になって創造していくような道のよう。

自己実現の道の歩み方 10/10

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