イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

過去・現在・未来が繋がる人生の大事なスポット(8/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-17 | 第四章「愛とゆるし」

学生時代に小説を書いている先輩の下宿で一晩語りつくしたことがあった。その時、その先輩は夏の暑いときは冬の物語を書き、冬の寒いときは夏の物語を書くと言っていた。もちろん当時はエアコンなど余り普及していない時代だったので、なるほどと感心したものだ。

さて、写真は2012年にウィーンに行った時に早朝の公園を訪れた時のものだ。厳寒の2月、凍死する方が問題になった年である。この時、私はU先生に勧められてウィーン大学に立ち寄り、中庭の近くのフロイトの銅像を見学した。U先生のおっしゃられるには心理学徒はこの銅像の前で写真を撮ってくるのが一つのお決まりだそうで。その夢を私は厳寒の2月に叶えることができ幸せを感じた。

    (クリックすると拡大)

その時の五感で感じた喜びは今でも忘れられない。それは、現代の心理学の祖とも言われるフロイトだけでなく、フロイトに続く学者など・・その銅像を私の師が見、さらに師の恩師もきっと見たというような熱い過去の歴史。さらに私にとっては学生時代の時の実験心理学の卒業論文で取り上げたブルンスウィックがウィーン大学と関わりがあったことも知り不思議な繋がりに感動した。

 

ウィーンを訪れてから10年近くになるが、私の師もお元気でこのコロナ禍の厳しい時期にも働いておられる。そして私も「生き甲斐の心理学」で微力だが普及活動をさせていただいている。さらに、縄文時代の小説を楽しみながら書く中で、ウィーン大学と日本民族学との関わりや、日本の研究者である故ネリー・ナウマン氏の存在も知った。

恐らく、もうウィーンに行くことは無いと思うが、下手な英語で教えてもらってやっと辿りついた銅像。観光見学というより、私の人生の過去、現在、未来に不思議につながり、自分の人生に大きな意味を与えているようにも感じる。

自分の人生が終わるとき、この経験のように振り返って様々な出来事が見事につながり、美しい人生であったと思いながら感謝の中で死にたいものだ。

8/10 真善美に触れる・・今も縄文も

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若いころ愛を見通したとき・・隠れた地味なもの (7/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-15 | 第九章「愛」

23歳から34歳までをエリクソンは愛の時代としているようだ。親密性や孤独感も愛と同様にキーワードだ。そのころ身体の成長もピークを迎え人間として一人前になる時期である。人間は身体と心(生育史)と魂(哲学・宗教の領域)からなるとすると、この時期に一定の成長のもとに結婚をしたり、仕事で一人前になったりする。もちろんそれは表面だけの問題ではないかもしれない。

さて、自分のことを振り返ると20歳代の終わりの頃に結婚をする。当時は関西で親元を離れ一人住まいをしていたので、20歳代も後半になると相手はいないものの結婚したいなと思うようになった。しかし、結婚は一人ではできないもので神秘的ともいえる出会いと、人生を見通しつつ結婚を受容していく過程が必要だ。それにはそれまでの生育史も絡むだけでなく、周りの人たちとの大事な繋がりも大切である。

今日は、どのような愛のイメージを当時抱いていたのか、過去の生育史の関係はどうか、将来の関係(もうあれから40年くらい経っている)があり、ちょっとした年寄りの楽しみとして見てみたい。

28歳の初秋だったと思う。京都の知恩院周辺だっただろうか、二人で青蓮院から丸山公園に向かう舗道だったと思う。当日は乾燥していたが曇天で折り畳み傘を手にしていた。なんとなくウキウキした気分で、歩きながら折り畳み傘の手元のひもの輪に人差し指を入れ、よせばいいのにくるくると回した、すると傘が指から離れ側溝に落ちてしまった。結構深い側溝だったが干上がっていたので飛び降りて拾い上げた。それだけのことであるが傘のひもの感触や側溝での足元の感覚、自分の挙げた甲高い声などと結びついた嬉しい感情が忘れられない。

ところで何故、その場面が記憶に残ったのだろうか。もっと楽しい場面もあった筈なのに。つまり、心の深層はどこに繋がっているのだろう。

7歳の時。温暖だと言われていた南東アラスカの海沿いのシトカに住んでいた。冬の朝。高緯度なので登校する時間は暗かった。隣の家の少し年上の女の子Bさんと雪道を歩いて小学校に向かっていると、突然、雪で見えなかった側溝に片足が嵌り、そのままずり落ちた。うまく途中で止まったが、下には水が激しく流れ恐ろしい状態。その時一緒だったBさんが手を出し、うまく捕まり引き上げてもらった。恐怖と一転しての手で引き上げてもらった嬉しさが、一つの愛の原形として記憶されたのだろう。

そんな、過去の記憶とどこかでつながる折りたたみ傘。そして、少しは7歳のころから成長した私は、伴侶にたいする終生の責任をどこかで予見したのだろう。

もう一つ、私の今の課題である縄文のことについて。

2014年の秋だったと思うが私が縄文に嵌った日のことだ。町田の田端遺跡の見学会があり京王線多摩境駅から5-6分の地で説明員の詳しい解説を受けていた。冬至に丹沢山系の最高峰蛭ケ岳山頂に入日が入る景色が見える場所。そこには何百年にわたって祭儀をするストーンサークルが築かれ、今は埋め戻されているもののレプリカを見ることができた。ストーンサークルの話題は楽しかったが、私の記憶に不思議に残ったことが一つあった。ストーンサークル建設に伴い造成工事がなされたことであり、溝まできちんと作られていたことだった。どのような側溝かはわからないもののあったという説明に何かを感じたのだろうか。

私は時々なぜ縄文に嵌ったかを問われることがあるが、自分でもよくわからなかった。しかし、この田端遺跡が一つの契機であったことは間違いはなかった。しかし、何故惹かれたかはここ一つ定かでなかった。ただ、今いろいろ思索をしていくと、心の深層で側溝が蠢いていたもしれない。

縄文後晩期(4000年前から2800年ころまで)には、中期からの敷石住居の文化の流れからか、河原の石を大量に使う時代となる。その膨大な量の石は、住居や、ストーンサークルづくりなどにこころを込めて使われた。たぶんひとつひとつの石ころには縄文時代の先輩一人一人の何らかの想いが込められていたのだろう。そして、その表舞台を実現するために側溝。隠れた地味なものも作られている。そこには私のささやかなエピソードのような記憶があったかもしれない。

写真は多摩モノレール沿いの道の傍らに咲いていた百合の花。

7/10 真善美に触れる・・今も縄文も

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心の痛みを昇華する16歳・・善への初めの一歩(6/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-13 | 第四章「愛とゆるし」

個性とは何ぞや?個性の美などあるのだろうか?
そんなことを昨日から考えている。縄文小説の登場人物のキャラクタを考える上でも大事なことである(笑)。個性と紛らわしいものとして病理がある。そこで自分の病理を生育史から辿り個性について考えてみたくなった。

6歳の時。通学時に一緒だった友達が目の前で交通事故に遭遇しまもなく亡くなった。ショックな出来事であり、今であればスクールカウンセラーにお世話になっただろうが、当時は戦後の荒っぽい時期だったので、その体験を引きずりながら大きくなるしかなかった。

心の健康を測る尺度として、カール・ロジャースのプロセス・スケールがある。自分の真実=感情を知ることで問題・病理は消えるのであるが、私の場合は生き甲斐の心理学に出会いそのお陰で50歳代で消えたが、それに至るまで何もしていなかったわけではなく、何となく自分自身で少しづつ、その真実に向かっていったようである。しかし、それはこの勉強をして初めて辿れる軌跡のようである。

心の世界は不思議なもので、幼くても自分のこころを安定させるために防衛機制が働く。自分の中にある真実=感情を抑圧し、一つの自分を納得させるもっともな物語を作り、それを100%信じてしまう。それが大きな問題なのだ。

そして、少年少女時代を過ぎ13、14歳の時期になる。高校受験を意識するころ。国語の試験で酷い成績をとるようになった。試験の長文読解の問題を読んでいると混乱し四択問題などがうまく回答できない。そんなことが続いた。なぜそうなるのかなど考えもしなかったが、今考えると6歳のころの感情の抑圧と関係があったのかもしれない。14歳の時に授業後の掃除のことで担任の先生に問い詰められたことがあった。自分では全く記憶がないことだった。プロセススケールの感情の意味付けや体験の様式、不一致に関しての問題だった可能性が高い。

ただ、15歳になり真面目にコツコツ受験勉強をしたり、優しい先生の対応があったりで、国語もなんとか克服し、また生活態度も安定してきたようだった。

高校に入学した16歳。不思議なもので自分の不得意であったはずの文科系分野に関心が深まり、よく小説を読んだりした。しかし、自分は理科系という自己意識があり、考えてみれば大きな不一致があり、これが青春時代以降にまで影響を与える。

16歳の秋、高校の文化祭がありクラスごとに展示をすることになった。その時、テーマを「交通事故」にするよう提案しクラスで展示することになった。展示のために都内を走る車の平均時速をストップウオッチ片手で計測したのは楽しい思い出だ。ただ、そのアイデアはよかったが運転手の方々に警戒されスピードを落とされて思ったようなデータが取れなかったのは残念だった。

自分のこころの底にあった疼きがそんな活動に向かわせ、幾ばくかのストレスを昇華したのかもしれない。もちろん社会問題として交通事故を俯瞰することで心の負担が軽くなったのだろう。プロセス・スケールで言えば、先に挙げた指標のほかに、自己の伝達、問題に対する関係、体験の解釈等が随分改善されたと思う。

さらに、この問題は「生き甲斐の心理学」を学ぶこととカトリックの信仰を深めることで、さらに解決されていくが、あらためて思うと、6歳のころの体験と病理がいつの間にか人生に影響を与え、個性となっていくことが見えてくる。

6歳の時の心の痛みが、文科系志向を生み、生き甲斐の心理学への関心や縄文小説に向かわせたようにも思える。病理はホリスティックに考えると、怒られてしまうかもしれないが個性の美と隣り合わせなのだろう。

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久しぶりに新聞を購読する・・大人への道は今も縄文も(5/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-12 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

自慢ではないが10年前くらいから毎日の新聞購読を辞めていた。ネットで十分という判断があったからだ。ところが、先日ある映画を見て真実を報道する新聞記者に感動を覚え、某紙の試し読みを申し込んだ。そして夕刊を読んでいたら縄文関係も充実していることが分かり(笑)即購読することに決めた。

「生き甲斐の心理学」の学徒であるので、若い頃の新聞購読についての行動をつい思い出してしまう。新聞購読の原型探しというのだろうか。親元で読んでいた新聞を就職してすぐ赴任地で何となく購読し始めた経験より、少しはサラリーマンらしくなり経済紙購読に切り替えたことがそれかもしれない。いろいろあるが新聞を購読すること(辞めることもあるかもしれない)で自分を何らかの鋳型にはめ、職場や客先で話題とし、生活面でもテレビ欄を見てテレビを楽しんだり、連載小説の楽しんだり、株情報に一喜一憂したことも。そんなことで周りと一体化し安心感を得る材料となったのだろう。青年のころの若い故の自己混乱感を解消し安定するのにも役立ったのだろう。

日本の文化の特徴を言い得た、土居健郎先生が書かれベストセラーになった「甘えの構造」がある。話題になった忖度とか「お友達との悪巧み?」、過度の同調圧力などは悪い意味での「甘えの構造」の典型かもしれない。大災害などで言われる安全神話をはじめ、信じられない無防備な危機管理?やコロナ対策にも繋がり実に心配である。

しかし一方「甘えの構造」は、家族的な雰囲気の中で仕事や研究が創造的にできるなどのプラスの側面があり、日本の高度経済成長等を支えたのだと思う。私は居心地のよい「甘えの構造」は嫌いではないが、重要な意志決定の世界ではいかがかと思う。自己肯定・他者肯定のスタンスが崩れ、公平性がない判断や保身を図ったとしか見えない決定は赤信号だ。もちろん、自戒をこめて、政治にもっと関心をもち私達の幸せを託す選挙に真剣に取り組むべきなのだろう。

さて、このところ3000年前から4000年前の縄文土器や土偶の図像を色々勉強している。私が住む東京にも、特定の部族といったらよいか地域集団といったらよいかが住み、ある特徴のある身体装飾をしたり衣装を着たりし祝いの席に出たり、生活の中での道具もあるデザインを大切にする。これは新聞購読とその心理的効果がちょっと似ているように感じる。ただ、縄文時代後期では人生の節目(結婚など)には強烈な抜歯の習慣があったりし、私が新聞購読を始めたり辞めたりする程度から一桁も二桁も真剣な覚悟をしていたように思う。

ただ、私は縄文時代の先輩と同じように死すべき存在であり、その意味で甘えの構造かもしれないが子孫のために、あるいは日本の真善美のために新聞購読を決めることにする。ちょっと大げさかな?

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五感とコミュニケーション・・オンラインは大丈夫か(4/10 真善美に触れる・・今も縄文も)

2021-08-10 | 第二章「五感と体感」

コロナ禍の中でのNPOの活動で少人数でのオンライン勉強会をはじめて一年近くなる。大学等での講義をオンラインに置き換えて賛否両論があったり、医療のオンライン診療でも賛否両論があるのは知っていたが、「生き甲斐の心理学」はどうなのだろうかと正直不安であった。そして、最近同じような内容の勉強会を対面の勉強会とオンライン勉強会で行う機会があり、身をもってその違いを学ぶことができた。

Zoomなどのオンラインツールで音楽を皆で演奏することはなかなか難しいという指摘が当初からあった。オンラインは電波を介してコミュニケーションをするわけで、本来は感じない音のずれが光の速度でも問題になるような距離を電波が走るのだろうか、ずれが問題になるのだ。これは音楽だけでなく、体操などでも気になるところである。自分の動きをオンラインの画像を通じて見ると微妙にずれているのが分かる。日常の中で相対性原理?が実感できる時代になったと喜んでいるばかりではいられない、相互コミュニケーションに大きな問題があるのだ。これは、日常の中では意識されない問題かもしれないが、無意識の世界ではどうだろうか。普段と違う緊張を強いてしまい。会話がぎこちなくなり傾聴や感情の理解という面で障害になると思う。

一方、オンライン学習では視聴覚教材が有効に使える。従って個人のPC等の環境に依存するところがあるものの、素晴らしい映画やテレビ番組を見たりするのと同等の一方向の質の高いコミュニケーションは可能であり、場合によれば対面の勉強会より効果を上げることができるのではないだろうか。

同じ場で、同じ肌感覚(五感)でコミュニケーションをゆったりとする。これは本来的な相互のコミュニケーションとしての傾聴や感受性訓練の基本であり、その意味でオンライン勉強会はせいぜい補助的な役割しかできないように思われる。しかし、交代で話題提供するような形式など工夫次第で良質の映画並みに有益なコミュニケーションを提供できると思われる。

さて、縄文時代はどうであったか。残念ながらオンラインは当然無かったので、五感豊富なコミュニケーションであったことは間違いない。ただ私の家の近くでは、5000年前は拠点集落で50人とか100人といった結構三密の環状集落のくらしがあったように推測出来るが、4400年くらい前から環状集落を営むことは難しくなり、ぽつんと一軒ではないが、意図したのかしないかよく分からないが、村というには希薄な状態で少人数で暮らすようになっていくようだ。もちろん竪穴住居ではなく別の形態での住居があったのではなど異論もあるが、私は結構別れてすむようになったのだと想像している。ただ、その原因が意図した危険分散であったのか、離れても住める技術的裏付けがあったのかは不明だ。ひょっとしたらZoomのような、テクノロジーの発見があったのではないか。妄想はふくらむ。

4/10 真善美に触れる・・今も縄文も

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