◎エウクレイデス(ユークリッド)の「原論」
★エウクレイデス(ユークリッドは英語読み)の「原論(ストイケイア)」
○中学校の数学で初等幾何学を学ぶが、命題や定理に証明を与えていくことで、数学における論証のスタイルを学ぶ機会になっている
これは、紀元前3世紀に成立したとされるエウクレイデスの「原論」の伝統を現在に受け継ぐものである
二千数百年前にすでに、正しいことを読者に納得させる「証明」による体系的な学問ができていて、論証のスタイルが確立されていた
○エウクレイデスの「原論」のオリジナルの書物はパピルスに書かれたが、現存していない
パピルスは劣化しやすいので、腐食する前に写本として伝えられる必要がある
現存する最古のエウクレイデスの「原論」の写本(断片)は、エジプトのオクシリンコスで発見されたもの(羊皮紙に書かれていた)で紀元100年ごろのものとされている
現存するエウクレイデスの「原論」の写本には内容の異なる異本があり、後の時代に多くの追加や変更があったと考えられる
現在のエウクレイデスの「原論」の各国語訳は、デンマークの古典文献学者ヨハン・ハイベアが1883年から1888年の間に出版したギリシア語校訂版に基づいている(ハイベア版)
これは、19世紀初頭にフランスのペイラールが発見したローマのヴァチカン図書館所蔵の9世紀の写本(P写本)をもとにして異本と比較して作られたものである
○エウクレイデスの伝記的な情報はほとんどない
エウクレイデスは前3世紀半ば頃の人であろう
●エウクレイデスの「原論」では、最初に定義と公理を述べ、続いて命題、定理とその証明を述べるという論証のスタイルをとっている
★しかし、エウクレイデスは論証数学の創始者ではないと考えられる
●エウクレイデス以前にすでに数学の定理集としての「原論」があった
プロクロス(410年~485年)の「原論第1巻の注釈」によれば、最初に「原論」を編集したのは、前440年頃の人キオスのヒポクラテスである
このヒポクラテスこそが、論証数学の創始者、「証明」の発明者であったと考えられる
エウクレイデス以前の「原論」は失われてしまっていてその内容の詳細はわからないが、エウクレイデスの時代までに、「原論」は何度も編集しなおされ、洗練されていった
○エウクレイデスの「原論」は第1巻から第13巻まであり、その大まかな内容は
・第1巻~第6巻 平面幾何学
・第7巻~第9巻 整数(自然数)論
・第10巻 通約不能量(現代的には無理数の理論)
通約不能量とは、今日の言葉でいう「無理数」のことである
・第11巻~第12巻 立体幾何学、面積と体積
・第13巻 正多面体
●エウクレイデスの「原論」は当時の数学の基本的知識を集めて編集したもので、幾何学に限定されない、総合的な書である
○「幾何」という語は、もともと数学全体を指す中国の数学用語だった
しかし後に「幾何」の語の意味は、今日の幾何学を意味する、図形についての数学に変化した
したがって、今となっては、エウクレイデスの「原論」は「幾何学原論」ではない
●「公理(要請)」
・「公理」は証明なしで承認することを要請する主張である
なぜ、証明なしで承認することを要請する「公理」が必要になるかと言えば、命題は何かの根拠Aを使って証明する
するとその根拠Aは根拠Bを使って証明する必要がある
根拠Bはさらに根拠Cを使って証明する必要がある
……となって、どこまでいってもきりがないからどこかで「証明なしで承認する」として断ち切る必要がある
●現代数学においては、「公理」は「自明な真理」ではなく、理論を展開するために設定しておく、出発点となる基本的前提、仮定である
●「原論」第1巻にある第5公準(後に「平行線の公準(公理)」と呼ばれる)
現代的な表現では「与えられた直線外の1点を通ってそれに平行な直線は、ただ1本しかない」
・「平行線の公理」は他の公理(公準)とくらべて内容が複雑だったので他の公理(公準)から証明しようと長らく試みられてきた
19世紀になって、第5公準もその否定も、他の公理(公準)からは「証明できない」ということが明らかになった
第5公準は「自明な真理」ではなかった
「平行線の公理」を否定した公理をもとにして、「非ユークリッド幾何学」が生まれた
●「原論」はイスラーム帝国のアッバース朝時代の9世紀ごろからアラビア語に翻訳され、12世紀にアラビア語からラテン語に翻訳されヨーロッパに伝わった
8世紀から9世紀にかけて、カリフ ハールーン・アッラシードの時代にアル・ハッジャージ・イブン・ユースフが「原論」の何巻かを訳し、さらにアル・マムーンの時代に改訳した
ほかにも、第10巻は10世紀の後半にナジーフ・イブン・ユムンが訳した
★古代ギリシアの科学を受け継いだのはイスラーム世界であり、科学の枠組みを生み出したのは、ヨーロッパではなくイスラーム世界である
○アルコール(alcohol)やアルカリ(alkali)は、アラビア語起源の語である
「アル(al)」はアラビア語の定冠詞である
ほかに「アル」のつく語は、たとえば
錬金術 alchemy(アルケミー)
牽牛星 altair(アルタイル)
○代数学 algebla(アルジェブラ)
アルジェブラの語はムハムマド・イブン・ムーサー・アル・フワーリズミーの数学の著書「キターブ・アル・ムフタサル・フィ・ヒサーブ・アル・ジャブル・ワ・ル・ムカーバラ(ジャブルとムカーバラの計算の抜書き)」から出ている
「ジャブルとムカーバラの算法」は2次方程式を、移項するなどして標準形(アル・フワーリズミーが3つの形式に分けた)に整理する操作を意味すると考えられている
この書がラテン語に訳され、書名の「アル・ジャブル」がヨーロッパでアルジェブラとなった
アルジェブラの語はアラビア語からきているが、代数学はアラビアで生まれたわけではない
また、アラビアの代数学はアル・フワーリズミー1人によって発達したのではない
○インドの算術がイスラーム世界に取り入れられ、数字はアラブ人のあいだではインド数字と呼ばれたが、イスラーム世界で使われていた数字がヨーロッパに伝わってアラビア数字と呼ばれるようになった
・以上
「科学の真理は永遠に不変なのだろうか」ペレ出版
「ユークリッド『原論』とは何か」斎藤 憲、岩波書店
「数学の創造者」B.アルトマン、シュプリンガー・フェアラーク東京
「公理と証明」彌永昌吉、赤攝也、ちくま学芸文庫
「アラビア科学の話」矢島祐利、岩波新書
などによります
★エウクレイデス(ユークリッドは英語読み)の「原論(ストイケイア)」
○中学校の数学で初等幾何学を学ぶが、命題や定理に証明を与えていくことで、数学における論証のスタイルを学ぶ機会になっている
これは、紀元前3世紀に成立したとされるエウクレイデスの「原論」の伝統を現在に受け継ぐものである
二千数百年前にすでに、正しいことを読者に納得させる「証明」による体系的な学問ができていて、論証のスタイルが確立されていた
○エウクレイデスの「原論」のオリジナルの書物はパピルスに書かれたが、現存していない
パピルスは劣化しやすいので、腐食する前に写本として伝えられる必要がある
現存する最古のエウクレイデスの「原論」の写本(断片)は、エジプトのオクシリンコスで発見されたもの(羊皮紙に書かれていた)で紀元100年ごろのものとされている
現存するエウクレイデスの「原論」の写本には内容の異なる異本があり、後の時代に多くの追加や変更があったと考えられる
現在のエウクレイデスの「原論」の各国語訳は、デンマークの古典文献学者ヨハン・ハイベアが1883年から1888年の間に出版したギリシア語校訂版に基づいている(ハイベア版)
これは、19世紀初頭にフランスのペイラールが発見したローマのヴァチカン図書館所蔵の9世紀の写本(P写本)をもとにして異本と比較して作られたものである
○エウクレイデスの伝記的な情報はほとんどない
エウクレイデスは前3世紀半ば頃の人であろう
●エウクレイデスの「原論」では、最初に定義と公理を述べ、続いて命題、定理とその証明を述べるという論証のスタイルをとっている
★しかし、エウクレイデスは論証数学の創始者ではないと考えられる
●エウクレイデス以前にすでに数学の定理集としての「原論」があった
プロクロス(410年~485年)の「原論第1巻の注釈」によれば、最初に「原論」を編集したのは、前440年頃の人キオスのヒポクラテスである
このヒポクラテスこそが、論証数学の創始者、「証明」の発明者であったと考えられる
エウクレイデス以前の「原論」は失われてしまっていてその内容の詳細はわからないが、エウクレイデスの時代までに、「原論」は何度も編集しなおされ、洗練されていった
○エウクレイデスの「原論」は第1巻から第13巻まであり、その大まかな内容は
・第1巻~第6巻 平面幾何学
・第7巻~第9巻 整数(自然数)論
・第10巻 通約不能量(現代的には無理数の理論)
通約不能量とは、今日の言葉でいう「無理数」のことである
・第11巻~第12巻 立体幾何学、面積と体積
・第13巻 正多面体
●エウクレイデスの「原論」は当時の数学の基本的知識を集めて編集したもので、幾何学に限定されない、総合的な書である
○「幾何」という語は、もともと数学全体を指す中国の数学用語だった
しかし後に「幾何」の語の意味は、今日の幾何学を意味する、図形についての数学に変化した
したがって、今となっては、エウクレイデスの「原論」は「幾何学原論」ではない
●「公理(要請)」
・「公理」は証明なしで承認することを要請する主張である
なぜ、証明なしで承認することを要請する「公理」が必要になるかと言えば、命題は何かの根拠Aを使って証明する
するとその根拠Aは根拠Bを使って証明する必要がある
根拠Bはさらに根拠Cを使って証明する必要がある
……となって、どこまでいってもきりがないからどこかで「証明なしで承認する」として断ち切る必要がある
●現代数学においては、「公理」は「自明な真理」ではなく、理論を展開するために設定しておく、出発点となる基本的前提、仮定である
●「原論」第1巻にある第5公準(後に「平行線の公準(公理)」と呼ばれる)
現代的な表現では「与えられた直線外の1点を通ってそれに平行な直線は、ただ1本しかない」
・「平行線の公理」は他の公理(公準)とくらべて内容が複雑だったので他の公理(公準)から証明しようと長らく試みられてきた
19世紀になって、第5公準もその否定も、他の公理(公準)からは「証明できない」ということが明らかになった
第5公準は「自明な真理」ではなかった
「平行線の公理」を否定した公理をもとにして、「非ユークリッド幾何学」が生まれた
●「原論」はイスラーム帝国のアッバース朝時代の9世紀ごろからアラビア語に翻訳され、12世紀にアラビア語からラテン語に翻訳されヨーロッパに伝わった
8世紀から9世紀にかけて、カリフ ハールーン・アッラシードの時代にアル・ハッジャージ・イブン・ユースフが「原論」の何巻かを訳し、さらにアル・マムーンの時代に改訳した
ほかにも、第10巻は10世紀の後半にナジーフ・イブン・ユムンが訳した
★古代ギリシアの科学を受け継いだのはイスラーム世界であり、科学の枠組みを生み出したのは、ヨーロッパではなくイスラーム世界である
○アルコール(alcohol)やアルカリ(alkali)は、アラビア語起源の語である
「アル(al)」はアラビア語の定冠詞である
ほかに「アル」のつく語は、たとえば
錬金術 alchemy(アルケミー)
牽牛星 altair(アルタイル)
○代数学 algebla(アルジェブラ)
アルジェブラの語はムハムマド・イブン・ムーサー・アル・フワーリズミーの数学の著書「キターブ・アル・ムフタサル・フィ・ヒサーブ・アル・ジャブル・ワ・ル・ムカーバラ(ジャブルとムカーバラの計算の抜書き)」から出ている
「ジャブルとムカーバラの算法」は2次方程式を、移項するなどして標準形(アル・フワーリズミーが3つの形式に分けた)に整理する操作を意味すると考えられている
この書がラテン語に訳され、書名の「アル・ジャブル」がヨーロッパでアルジェブラとなった
アルジェブラの語はアラビア語からきているが、代数学はアラビアで生まれたわけではない
また、アラビアの代数学はアル・フワーリズミー1人によって発達したのではない
○インドの算術がイスラーム世界に取り入れられ、数字はアラブ人のあいだではインド数字と呼ばれたが、イスラーム世界で使われていた数字がヨーロッパに伝わってアラビア数字と呼ばれるようになった
・以上
「科学の真理は永遠に不変なのだろうか」ペレ出版
「ユークリッド『原論』とは何か」斎藤 憲、岩波書店
「数学の創造者」B.アルトマン、シュプリンガー・フェアラーク東京
「公理と証明」彌永昌吉、赤攝也、ちくま学芸文庫
「アラビア科学の話」矢島祐利、岩波新書
などによります