◎イスラーム 9 六信 2
★六信は、ムスリムがその存在を信じることが義務であるとされているものである
1、神(アッラー)
2、天使
3、啓典
4、使徒(預言者)
5、最後の審判の日および来世
6、定命(神の予定)
4、使徒(預言者)
○イスラームでは、使徒と預言者は通常同義に用いられるが
預言者は、神からの啓示を受けそれを人に伝える者
使徒は、さらに啓示を社会に根付かせるように活動する立法者でもある
と区別する場合もある
○クルアーンに登場する預言者(()内はキリスト教での名前)たち
・アーダム(アダム)…人類最初の人間、最初の預言者
・ヌーフ(ノア)…方舟のノア
・イブラーヒーム(アブラハム)…息子のイスマーイールとともにカーバ神殿を建設した
・イスマーイール(イシュマエル)…アラブ人の祖先、ムハンマドの祖先
・イスハーク(イサク)…イスマーイールの息子、イスラエルの民の祖
・ヤアクーブ(ヤコブ)…イスラエル12支族の祖
・ムーサー(モーセ)…シナイ山で「律法」を授かった
・ダーウード(ダビデ)…イスラエル王、「詩篇」を授かった
・スライマーン(ソロモン)…ダーウードの息子
・イーサー(イエス)…「福音」を授かった
・ムハンマド…最後の預言者、「クルアーン」を授かった
など
●イーサー(イエス)
○キリスト教ではイエスは神であるとするが、イスラームではイエスは人間であるとし、神とは認めない
・三位一体説も否定する
ただし、ムハンマドは三位一体は父と子とマリアのことだと考えていた
★三位一体説
・父なる神と子であるイエスと精霊の実体は同じものとする
「父と子と精霊は唯一神の3つの位格(ペルソナ)であり一体である」と説明されますが、はっきり言って、私には、この意味するところがまったく理解できません
●325年、第1回ニカイア公会議
ローマのコンスタンティヌス帝は、帝国の全キリスト教徒に共通の正統教義を規定するため、325年にニカイア公会議を招集した
論争の的になったのは、イエスが人間であるのか、神であるのかという問題である
・アリウス派
アリウスは「イエスは神によってつくられたものであり、被造物であるイエスは創造者である神に劣っている」と主張した
・アレクサンドロスはイエスは神そのものと主張した
○第1回ニカイア公会議でアリウス派は異端とされ、アレクサンドロスらの主張が通り、「ニカイア信条」が採択された
「ニカイア信条」は「イエスは神の子であり、父なる神と同質である」とする
●381年、コンスタンティノポリス公会議
・テオドシウス帝は381年、コンスタンティノポリス公会議を招集し、「ニカイア信条」が再確認された
388年、テオドシウス帝はカトリックのみを公式の宗教と定める
392年、ローマ、ギリシアその他の多神教の礼拝を禁止した
●431年、エフェソス公会議でネストリオス派が異端とされた
・ネストリオスはイエスという1つの人格の中に、神性と人性という2つの本性が存在しているとした
また、「マリアは人間イエスの母であり、神の母ではない」と主張した
●451年、カルケドン公会議
・アリウス派、ネストリオス派、エウテュケス派(単性説…イエスの人格は神性のみ)を異端とし、三位一体説を正統とする
「イエスは神でもあり人間でもある。神性と人性は1つに融合して存在するのではなく、別個に並存する」とする
●「ニカイア公会議」、「コンスタンティノポリス公会議」、「エフェソス公会議」、「カルケドン公会議」は、キリスト教教義の基礎を作った4つの「全教会」会議と見なされている(「キリスト教の歴史」アラン・コルバン編、藤原書店 「キリスト教の歴史1」松本宣郎編、山川出版社 など)
★新約聖書に「三位一体」という用語はない
イエスは自分を神だと言っていないし、「三位一体説」は当然イエスの教えではない
●イエスが神であるとすると、キリスト教は2神教になる
さらに、人間のマリアからイエス(神)が生まれたが、人間から神が生まれることはないだろうからマリアも神ではないのか?ということになり、キリスト教は「3神教」となる
キリスト教は「1神教」と言っているが、実際は「3神教」となり「唯一神」の教義と矛盾する
キリスト教では「三位一体説」なるものを持ち出しているが、論理的には「イエスは神ではない」というイスラームのほうが、「1神教」という教義を徹底している点で正当性がある
★六信は、ムスリムがその存在を信じることが義務であるとされているものである
1、神(アッラー)
2、天使
3、啓典
4、使徒(預言者)
5、最後の審判の日および来世
6、定命(神の予定)
4、使徒(預言者)
○イスラームでは、使徒と預言者は通常同義に用いられるが
預言者は、神からの啓示を受けそれを人に伝える者
使徒は、さらに啓示を社会に根付かせるように活動する立法者でもある
と区別する場合もある
○クルアーンに登場する預言者(()内はキリスト教での名前)たち
・アーダム(アダム)…人類最初の人間、最初の預言者
・ヌーフ(ノア)…方舟のノア
・イブラーヒーム(アブラハム)…息子のイスマーイールとともにカーバ神殿を建設した
・イスマーイール(イシュマエル)…アラブ人の祖先、ムハンマドの祖先
・イスハーク(イサク)…イスマーイールの息子、イスラエルの民の祖
・ヤアクーブ(ヤコブ)…イスラエル12支族の祖
・ムーサー(モーセ)…シナイ山で「律法」を授かった
・ダーウード(ダビデ)…イスラエル王、「詩篇」を授かった
・スライマーン(ソロモン)…ダーウードの息子
・イーサー(イエス)…「福音」を授かった
・ムハンマド…最後の預言者、「クルアーン」を授かった
など
●イーサー(イエス)
○キリスト教ではイエスは神であるとするが、イスラームではイエスは人間であるとし、神とは認めない
・三位一体説も否定する
ただし、ムハンマドは三位一体は父と子とマリアのことだと考えていた
★三位一体説
・父なる神と子であるイエスと精霊の実体は同じものとする
「父と子と精霊は唯一神の3つの位格(ペルソナ)であり一体である」と説明されますが、はっきり言って、私には、この意味するところがまったく理解できません
●325年、第1回ニカイア公会議
ローマのコンスタンティヌス帝は、帝国の全キリスト教徒に共通の正統教義を規定するため、325年にニカイア公会議を招集した
論争の的になったのは、イエスが人間であるのか、神であるのかという問題である
・アリウス派
アリウスは「イエスは神によってつくられたものであり、被造物であるイエスは創造者である神に劣っている」と主張した
・アレクサンドロスはイエスは神そのものと主張した
○第1回ニカイア公会議でアリウス派は異端とされ、アレクサンドロスらの主張が通り、「ニカイア信条」が採択された
「ニカイア信条」は「イエスは神の子であり、父なる神と同質である」とする
●381年、コンスタンティノポリス公会議
・テオドシウス帝は381年、コンスタンティノポリス公会議を招集し、「ニカイア信条」が再確認された
388年、テオドシウス帝はカトリックのみを公式の宗教と定める
392年、ローマ、ギリシアその他の多神教の礼拝を禁止した
●431年、エフェソス公会議でネストリオス派が異端とされた
・ネストリオスはイエスという1つの人格の中に、神性と人性という2つの本性が存在しているとした
また、「マリアは人間イエスの母であり、神の母ではない」と主張した
●451年、カルケドン公会議
・アリウス派、ネストリオス派、エウテュケス派(単性説…イエスの人格は神性のみ)を異端とし、三位一体説を正統とする
「イエスは神でもあり人間でもある。神性と人性は1つに融合して存在するのではなく、別個に並存する」とする
●「ニカイア公会議」、「コンスタンティノポリス公会議」、「エフェソス公会議」、「カルケドン公会議」は、キリスト教教義の基礎を作った4つの「全教会」会議と見なされている(「キリスト教の歴史」アラン・コルバン編、藤原書店 「キリスト教の歴史1」松本宣郎編、山川出版社 など)
★新約聖書に「三位一体」という用語はない
イエスは自分を神だと言っていないし、「三位一体説」は当然イエスの教えではない
●イエスが神であるとすると、キリスト教は2神教になる
さらに、人間のマリアからイエス(神)が生まれたが、人間から神が生まれることはないだろうからマリアも神ではないのか?ということになり、キリスト教は「3神教」となる
キリスト教は「1神教」と言っているが、実際は「3神教」となり「唯一神」の教義と矛盾する
キリスト教では「三位一体説」なるものを持ち出しているが、論理的には「イエスは神ではない」というイスラームのほうが、「1神教」という教義を徹底している点で正当性がある