花を活け、骨董を愛し自然に心を開き、美しいものとの出会いを大切にした。
それが白洲正子の人生だ。
この本の特集記事でした。好きというより立場が違うが美しいものをちゃんと
見分けられる、そんな毅然としたものを持ったこの人の感性が好きだった。
桜の季節は過ぎたけれどこんな生け方もまたいいのでは。
鉢
以前三田市の歴史散歩で白洲正子夫妻のお墓が心月院にあるということを聞き
ました。
お墓の様子は忘れてしまいましたがまた久しぶりにお参りに行って来ました。
心月院は手が入れられ綺麗になっていました。
山門
山門は簡素であるがしっかりした作りでした。
梵鐘型の窓が真っ白い壁に美しかった。
二人のお墓
二人のお墓は正子の考えたものだということです。
向かって右が次郎氏で、左が少し小さくて正子さんでした。
お墓を囲むレンガは何を意味するのでしょう。
つゆ草
つゆ草の紫が毅然とした正子を思い起こされました。
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それが白洲正子の人生だ。
この本の特集記事でした。好きというより立場が違うが美しいものをちゃんと
見分けられる、そんな毅然としたものを持ったこの人の感性が好きだった。
桜の季節は過ぎたけれどこんな生け方もまたいいのでは。
鉢
以前三田市の歴史散歩で白洲正子夫妻のお墓が心月院にあるということを聞き
ました。
お墓の様子は忘れてしまいましたがまた久しぶりにお参りに行って来ました。
心月院は手が入れられ綺麗になっていました。
山門
山門は簡素であるがしっかりした作りでした。
梵鐘型の窓が真っ白い壁に美しかった。
二人のお墓
二人のお墓は正子の考えたものだということです。
向かって右が次郎氏で、左が少し小さくて正子さんでした。
お墓を囲むレンガは何を意味するのでしょう。
つゆ草
つゆ草の紫が毅然とした正子を思い起こされました。
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白洲正子の本は表装もしっかりしていて好きです。
このブログを書くのにあたってまた借りて来ました。
手元にあるのは「風姿抄」というのです。
お葬式、戒名も拒否されたということで墓石には彫って有りません。
桜を正子が手植えしたとかもう葉桜になっていました。木のベンチまでありました。
来年は桜の頃に行ってみたいですね。
白州次郎、正子ご夫妻の一生は素晴らしいようですね。
残念ながら本を読んでいませんので、機会があったら読んでみたいです。
お葬式も戒名も拒否されたとか、いいお墓です。
ムラサキツユクサ、大好きな花の一つです。
正子の生き方もユニークでしたがお墓も自分で決めておかれたとか。
私はこのケイカギという石のサークルが気にいっています。
きりっとしたいい本が多いですよ。
観光寺ではない拝観料もなく三田のお寺の切り絵展などしていました。
山門、があり次に総門でその奥に本堂が有りました。 共に簡潔な感じでした。
こんなユニークなお墓が有るのは知りませんでした。
地元の人はあまり知らないようですが、観光寺ではないきりっとしたものを感じました。
沢山の本の上では正子はかなり有名でしたが
次郎はなかなかのダンデイ(今はこんな言い方はしませんが)な人だったみたいですね。
地元の人は意外と知らないものですね。
次郎は今の芦屋で生まれています。
先祖が三田藩の家老だったことから三田の地に一族のお墓がまとめられているのでしょう。
正子が植えたという桜が葉桜になっていて
ベンチまで置いてありました。
調べたところ次郎は三田藩家老として九鬼家を盛りたてた退蔵の孫でこちらには縁が有ったのでしょう。
このようなお墓あまり見たことが有りませんでした。
周りのお墓は普通に見られるものでした。
白洲家の墓は植木で囲まれていてその中には桜の木が植えてありベンチまで有りました。
暗いお墓のイメージとは違う感じがしました。
正子はいろんなことに携わっていましたね。
あまりよくは知りませんがこんな強い精神力を持った人がうらやましかったです。
近いのに意外と知らない人が多いと書いて有りました。
近いのになかなか行けないということは有りますね。
思いついた時に連れて行っていただきました。
ユニークな墓石ですよね。
いけませんでした。
ケイカギというのですね~ さりげなくて
遊び心の有る感じでした。
ありがとうございました。
白洲正子はかなり多くの本を出しています。
骨董、着物、お能など深いものがあります。
ご夫婦でサークルのような石で囲まれてみんなと違ったお墓に眠る。
この人らしいと思いました。
白洲正子さんの本は沢山出ていますが骨董、お能、お花などいろんな分野の中のほんの少しを
かじっただけですが美しいものへの価値観に引かれます。
大切なことですね。
人によって、これが何で美しいの?と聞かれたことがあります。
きっとその人はそのものを美しいとは思わなかったのでしょう。
私自身には美しいと感じても人によって違うものなんだなあと
その時はじめて思いました。
白洲正子産の墓地ははじめて見せていただきました。
ムラサキツユクサが良く似合う場所ですね。
大竹市の三倉岳人力フェスタに閲覧・コメントを頂き有難う御座います。
今朝は地元、宮島の裏小路の様子を投稿していますのでご覧下さいネ!
申し訳ない事に、白州正子と言う人は知りませんでした。
花と骨董を愛し続けた人生を送った人なのですね。
お二人の墓も芸術家らしいユニークな形をしていますね。
白州夫婦の眠る、心月院の山門は簡素ですが素晴らしい雰囲気を出していますね。
片隅に咲く露草の花が印象的ですね。
それではまた明日!・・・
素敵なショットです。
山門奥が本堂でしょうか?
白洲正子さん、・・・・・・。
素敵な人だったようですね。
白洲正子夫妻のお墓がある心月院、・・・・・・。
二人のお墓、・・・・・・。
素敵なショットから、様子、雰囲気、伝わってきました。
珍しいショットを見せていただき、嬉しかったです。
ご紹介、ありがとうございました。
いつも、コメント&応援ポチに、深謝です。
応援ポチ♪♪
昨年宝塚歌劇で白洲次郎を観劇しました。
次郎さんは日本でジーンスを着用した最初の方だそうですね。
三田市に ご先祖さまが
おられたんでしょうか?
白州次郎さんの辿られた人生の
TVドラマを見たとき 田舎のほうで
生活されていた シーンがありましたが。
素敵なお話ですね。
お墓の形が奥様が考えたとのこと、不思議な形ですね。
お花の生け方、素敵です。
写真家の入江泰吉の写真に、白洲正子が文章を書いた写真集があって、それによると、正子は泰吉の撮影によく同行したそうです。また、正子はよく入江邸を訪問したそうです。
何十年も前、カメラを持って水門町の入江邸の前を通ったら、入江さんご本人に「朝早くから撮影ですか?」と声をかけられて、驚いたことがあります。
そんなことを咄嗟に思い出しました。
hirugaoさん
いつもコメント有難うございます。
清らかな世界ですねえ。
自然に囲まれていい感じです。
(^○^)
またお立ち寄り、応援をよろしくお願いします。
ぽちッ、ポチっ。
前に白洲正子さんの「夕顔」を読んだときに、お二人のお墓のことが書かれていたのを思い出して、書棚から取りだして、改めて目を通して見ました。
次郎さんが亡くなられた後、正子さんが作られたときの様子が、碑は五輪塔の板碑にしたこと、彫りこんだ文字のこと、いろんな人に協力してもらったことなどが書かれていました。
周囲を囲むブロックは、多分珪木(珪化木)だろうと思います。
白州次郎さんの方は本では読んだけど
奥様の方については知らないわ。
お二人のお墓は正子の考えたものなの~
面白い形ね~
紫のつゆ草が可愛いわ。
奥様の方もなかなかの傑物であったとは
聞きますが、白州次郎さんの方は本で
読んだものの、奥様の方については..。
しかし、いずれにせよ、時代の中で生ま
れた存在という感じもしてしまいます(笑)。