旧鷲宮町八甫村は東鷲宮区域に広がる田園区域で、開発が進んだ鉄道沿線から離れ、古利根川の流れの跡をよく残している。八甫はかつて八つの甫船が行き交う、水上交通の村であったという。利根川の瀬替えによって今ではその流れを見ることはできないが、かつてこの地が川の流域であったことを示す大きな池が残っている。
宝永元年(1704)七月の関東大洪水にによっていくつかの洪水跡池が生まれたという。この年、六月から続いた大雨で利根川およびその測流が満水状態となり、各地で大きな被害を出したという。
その後天明六年(1786)の大洪水においてもおおきな被害が出、ここ宝泉寺池はほぼ二百メートル四方の大池となって残っったという。なお、宝泉寺自体は廃寺となっている。
広く平地が広がる風光明媚な土地であり、遠く赤城山も望む。但し池の脇にはパチンコ遊技場もあり開発の狭間でその優美な姿を広く残しているいるとはいいがたい。
やはり鷲宮神社周辺は古くから水の浮島として名が残るように、水利に恵まれ、また治水に苦労した土地柄であることが伺える。単に居住地、商業地、農地といった土地開発の主要目だけが進められるのではなく、古くからの土地柄がわかる史跡が残ってほしいものだ。
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