皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

太地くじらの博物館

2019-05-15 23:54:47 | 日記

 ひと月ほど遡りますが、今年の春の旅は南紀白浜でしたが、その旅路の目的地は太地町立くじらの博物館でした。

 紀伊半島南端部に位置する和歌山県太地町は、江戸時代初期から近代まで約400年近く日本の捕鯨の中心地としてその役割を果たしてきた町です。

和歌山県も広く、空路で着いた南紀白浜空港から約100km。その途中本州最南端の潮岬串町を抜け、2時間近くの道のりでした。イルカショーであれば近くの南紀白浜アドベンチャーワールド始め、全国各地で見ることができますが、ことクジラの生態に関して一番詳しくみることができるところであれば、ここ太地町となります。捕鯨に関しては近年諸外国から様々な認識があり、日本が築いてきた歴史、文化、伝統といったものがすべて受け入れられている状況とは言えないようですが、こと自国の文化、伝統を理解し受け継いでいくことは重要であると、博物館の説明にもありました。

敷地内にあるシロナガスクジラの全身骨格標本です。実際にその前に立ち大きさを実感しています。

クジラ類で最も大きいとされるシロナガスクジラは全長30mを超え体重は150トン。象の約23頭分といわれます。

最も素朴な疑問としてイルカとくじらの違いについて、いずれも学術的には「クジラ目」に属し、成体の体長が4mを超える種類を「クジラ」

4m未満のものを「イルカ」と呼ぶそうです。

ここ太地クジラの博物館では小型のバンドウイルカのショーは勿論、中型のゴンドウクジラのショーも見られます。上がる水しぶきに圧倒されます。

2006年に近海の追い込み漁で腹びれのある雌のバンドウイルカが発見され、海洋研究の注目を集めました。「はるか」と命名され繁殖させる計画でしたが残念ながら2013年に死んでしまったそうです。

 

そもそも今回の旅の目的はクジラの生態に直に触れることでした。去年の夏、自由研究に選んだテーマがまさにクジラでした。

一番の疑問は哺乳類でありながらどうしてあんなに深い海に潜ることができるのか。そう疑問に思ったそうです。クジラの種類は大きく2種類あり、ひげクジラとハクジラに分かれます。種類の多くはひげクジラでその口に歯はなく、大きな体で獲物を飲み込み、ひげ板と呼ばれる濾紙の様なもので水を吐き出しながら獲物は体に留めます。

一方マッコウクジラに代表されっるハクジラは下あごにのみ歯を持ち海中深く潜りながら獲物を捕らえます。その頭部頭蓋骨の中に「脳油」と呼ばれる部分があり、深海深く潜る際には脳油を固めて固体化し、その重さを利用して水中3000mもの深さまで潜ることができます。その獲物はダイオウイカで、全長10mを超える大きなものまでマッコウクジラは食べるといいます。ですが狩りの途中ダイオウイカに反撃され、吸盤によって体に多くの傷を受けたりするのです。

  ザトウクジラは海面から飛び出し海面に身体を叩きつけます。これをブリーチングと呼び、仲間との相図や、体に付いた寄生虫を落とすためだといわれています。

 TVCMで鈴与グループが映像を流しています。「クジラのダンス、ありんこの涙、いつかきっと見れるよね」なんとも惹かれる歌と映像です。

博物館2階には実物大のセミクジラを追う勢子船が展示されています。江戸期から命がけで漁をしていたことでしょう。

海のない埼玉県からでもクジラの生態に興味を持ち、実際に見ることでなお一層思いも深まりました。大事なことは知的好奇心を大事に行動すること。見たい、聞きたい、話したい。知ることで世界が広がり、明日への夢が広がる春の旅となりました。

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