美しい太平洋を望む和歌山県牟婁郡白浜町。白浜海岸からすぐそばには濃緑の海に直立する高さ60mの絶壁を見ることができます。その岩層深くにかつて熊野水軍の船隠しの場であった洞窟が眠っています。名勝三段壁洞窟です。
源平の合戦が繰り広げられた頃、ここ和歌山県熊野地方には熊野水軍と呼ばれた強力な軍が存在しました。率いていたのは熊野別当湛増で、あの源義経に仕えた武蔵坊弁慶の父にあたる人物です。
湛増は元々平家方であったにもかかわらず、源氏に付いた息子弁慶の要請で、源平合戦の際どちらに付くか苦慮していたそうです。迷った挙句、神意を占うのに闘鶏の七番勝負を試みます。赤の鶏を平家、白の鶏を源氏と見立てたところ、結果七番とも白鶏が勝利したといいます。湛増は「神意は源氏にあり」と熊野水軍に源氏方への加勢を呼びかけ、源平両軍が対峙する屋島の浦(香川県)に向け出発します。
そのころ屋島の浦では那須与一が扇の的に矢を射貫き、勝敗決せず、瀬戸内海を抜け厳島を通って壇ノ浦へと向かいます。
壇ノ浦では現れた船団が敵か味方か見守る中、船上に仁王立ちとなった湛増が源平両軍に向けて叫びます。「紀伊の国熊野新宮に仕える熊野別当湛増、神意を奉じて源氏の軍に馳せ参じ申した。率いるは熊野水軍二千余名、千艘二百。いざ熊野水軍の力のほどお目にかけよう
それを聞いた源氏の軍からは大歓声が上がります。勢いそのまま源平の最後の合戦は源氏に軍配が上がることとなったのです。
洞窟内には牟婁大弁財天が祀られていて、大黒天、毘沙門天他十六童子を従えすべての願いをかなえるとされています。弁財天はインド発祥の水の神であり、場所柄入水して亡くなった方の霊を鎮めているようです。
大自然の壮大な景観と、千古の神秘、そして歴史のロマンが交錯する古跡三段壁洞窟には春の訪れとともに多くの人々で賑わっていました。
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