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【#朝鮮日報】【朝鮮日報コラム】精神分析学が必要な葬儀妨害

2020-07-19 05:04:59 | 海外の反応
セクハラ疑惑の女性運動家を称賛、救国戦争の英雄を親日反逆者と批判
 個人であれ集団であれ、重要な人物の葬儀が行われる際には自らの本当の姿が如実に表れる。仮面をかぶれるほど心の余裕はなく、哀悼の思いを体で表現する時間も足りない。そのため一層未熟でぎこちなく、赤裸々だ。今回もそうだった。今週、われわれは二人の突然の死に直面した。大韓民国を絶滅の危機から救った6・25戦争の英雄ペク・ソンヨプ将軍が永眠した。また人口1000万人を代弁する首都ソウルの朴元淳(パク・ウォンスン)市長がセクハラ疑惑の持ち上がる中で自殺した。偶然に二つの葬儀が重なったことで、政権と執権グループの存在論的本質が表面化したのだ。

 彼らには時に、正しいことと間違ったこと、あるいは善悪美醜について、同じ時代を生きる生活人と共通の分母がないという印象を受ける。彼らにはためらいのない「彼我の識別」があるだけだ。常識、倫理、道徳に関する伝承の物差しをも彼らは足蹴(あしげ)にする。高位公職者の汚職事件が起こると無条件で自分たちの側を擁護し、反対側は突き放す。そのような彼我の識別が今回の葬儀においても適用されたのだ。

 17世紀の朝鮮王朝時代、孝宗と顕宗の時代に起こった「礼訟論争」を振り返ると、表向きは喪服をどれだけの期間着用するかという論争のようだが、実際は性理学の核心問題で対立する西人と南人の間で起こった政権争いでもあった。しかし21世紀の韓国の地で起こっているこの葬儀論争は、当時よりもはるかに低劣な、単なる「こちらとあちら」の戦いにすぎない。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権における最大の弊害は、韓国社会をほぼ75年前の「解放政局」に引き戻したことだ。解放直後、左翼の若者たちが右翼の人たちの自宅前に集まり、石を投げ付け、門を足で蹴り、「外に出てこい」としつこく要求した当時の様子が再現されたと感じる。国を二つに分裂させ、政治的エネルギーを得ようとする浅はかな手口にすぎないのだ。

 セクハラ疑惑のある人間が女性人権運動家として尊敬を集め、国を救った戦争の英雄が親日反逆者と非難されるまさにひっくり返った常識の上に、今の政権は成立している。ある弁護士は戦闘を勝利に導いたペク将軍の功績を「同胞に銃を向けた反逆」と侮辱した。ある公共機関のトップは、ペク将軍に最大限の敬意と献詞をささげた韓米連合司令官をホワイトハウスに告発し、ある女性検事は、朴市長と腕を組んだ写真を公開し「自らもセクハラの主体」と言ってはセクハラ被害に遭った女性を侮辱した。ある女性アナウンサーは被害を受けた女性に対し「これまで4年間、何をやっていたのか」と責め立てている。

 (文在寅政権が発足した)2017年5月以来、執権勢力とその同調勢力が示した希代の政治意識は、今後も長く研究者たちの研究対象になるだろう。精神分析学者による分析も必要になるはずだ。法務長官は「n番部屋事件」と「ソン・ジョンウ事件」には固く口を閉ざしている。MeToo運動のきっかけとなった女性検事が今回フェイスブックを閉鎖したかと思えば、名前の知られたある作家は「ばかな朴元淳」を「主が広い心で抱き締めてくださる」と言って彼を許した。ある進歩系の学者は「朴元淳は100兆ウォン(約9兆円)あっても復元できない人物」と言った。一体なぜこんな言動が相次ぐのだろうか。

 英国の作家、ジョージ・オーウェルは全体主義の危険性を警告した最後の政治小説『1984年』において、「二重思考」すなわち「ダブルシンク」についてこのように説明している。「党は全ての資料と党員の心の中まで完全に統制しているので、党は過去を思いのままに作れるだろう」「『二重思考』とは一人の人間が二つの相反する信条を同時に持ち、その二つの信条をどちらも受け入れることができる能力のことを言う」

 大田顕忠院前でペク将軍の葬列を妨害した人間たちを見ると、「バリケードの手前で止まれ」と叫ぶ左派政党の行動スローガンを思い出す。敵と対峙(たいじ)する状況の中、バリケードの内側で一緒に固まっていれば自分たちの側で、そこから抜け出せば敵と見なす行動原理だ。

キム・グァンイル論説委員


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