日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

 「マッカーサの功罪」  船井幸雄

2009-09-14 07:51:56 | 船井幸雄氏
 <記事転載>
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 「マッカーサの功罪」
                                                         2009年9月8日
                                                              船井幸雄
 
 昭和20年から数年、大半の日本人にとっては、
日本の占領軍総司令官のダグラス・マッカーサー将軍は、何よりも偉大な人でした。
全権力を一身にもっている神さま並みの立派な人でした。
日本のために良いことをしてくれた最高の人だと、私も昭和50年ころまで信じていたくらいです。

 昭和50年(1975年)ころから、海外のエリートたちと親しくなり、彼らの意見を聞いている間に、
私も、それまでのマッカーサー将軍に対する見解を変えはじめました。
「日本が二度と立ち上れないように、日本人のよいところをすべて叩きつぶす政策をとった人」
かも分らない…とも思いはじめました。

 とはいえ、終戦後の中学、高校、大学時代の彼への尊敬の印象は、
そんなに簡単に消えるわけではありません。

 ところで私の愛読している読み物に週刊新潮の「変見自在」(高山正之さんの文)があります。
その7月30日号に以下のような文章がありました。一応紹介しておきます。
 とともに日本の戦後を客観的に見なおそうと思いはじめました。

マッカーサー道路
 
 米国人ほど話術の才に長けた国民はいない。
 
 東部十三州だけだったこの国はインディアンを殺し、メキシコ人を騙し打ちして国を広げていった。
 
 普通はそれを侵略というが彼等はフロンティア精神と、
さもよさそうに言い換えた。その精神で海も超えてハワイも取った。

 スペイン領フィリピンでは民族派のアギナルドに独立の約束を与えて蜂起させ、
ころを見計らって米国の植民地にしてしまった。

 アギナルドが約束違反を怒ると司令官のアーサー・マッカーサーは
彼らを「治安を乱すゲリラ」と呼んで退治し始めた。言い換えはここでも自由だった。

 あるときサマール島で島民を殺しまくる米兵が逆に殺された。
アーサーは報復にこの島と隣のレイテ島の島民を皆殺しにした。

 彼は二十万人を殺して制圧したが、
あまりの残忍さゆえに陸軍参謀総長のポストを逃してしまった。

 ただ彼のおかげでフィリピン人は「マッカーサー」と聞くだけで恐怖して従順になった。
それで息子ダグラスがフィリピンの新司令官として赴任した。
 
 この男は閉所恐怖症で臆病という特質を除けば父譲りの残忍さと嘘のうまさと
金銭欲を合わせ持った典型的なアメリカ人だった。

 フィリピンは日本を抑える軍事拠点として確保される。
だから日本が動けば即応できるようB17など二百五十機を配備していた。

 しかしマッカーサーは真珠湾攻撃の朝、ただうろたえるだけだった。
何の下命もできないうちに百九十機の日本機が飛んできてクラーク基地は倒壊した。

 彼は「7対3の空軍力の差だった」と報告した。嘘を恥じない男だった。
日本軍が上陸すると彼は打って出る使命を捨ててさっさとコレヒドール要塞に逃げ込んだ。
伴なったのは妻子と米国が置いた傀儡(かいらい)政権大統領のケソンだった。

 ケソンは「これは日本と米国の戦争だ。日米両国がフィリピンの中立化を承認して、
ここでの戦争を終結してほしい」(M・シャラー『マッカーサの時代』)とルーズベルトに言った。

 ルーズベルトはせせら笑ってマッカーサが脱出するときに一緒にこの傀儡も連れ出せと命じた。

 マッカーサーは脱出を前にケソンに面倒を見てやった
報奨金五十万ドルを支払う旨の証文を書かせた。
 
 証文はフィリピン政府の口座のある米チェース・ナショナル銀行に送られ、
そこからケミカル・ナショナル銀行のマッカーサーの個人口座に五十万ドルが入金された。

 彼はコレヒドールから逃げ出して二年後にレイテ島に戻ってきた。
「島民は歓喜して出迎えた」と自伝に書いているが、ここは彼の父が皆殺しにした島だ。
島民はそっぽを向いていた。

 彼は日本軍が上陸したリンガエン湾でも海から上陸して見せた。
日本軍への報復の起点のつもりだが、だれも相手にしない。写真も撮ってくれなかった。

 それで一ヶ月後にやってきた報道写真家カール・マイダンスに頼んで部下を集め、
上陸を再現した写真を撮ってもらった。

 マイダンスは朝鮮動乱の現場でニコンの良さを世界に知らせた人だが、
このやらせ写真について「彼の見栄を撮った」と後に話してくれた。

 マッカーサーがルーズベルトから与えられた使命は
「日本人を四つの島に閉じ込めて滅ぼす」(C・ソーン『米英にとっての太平洋戦争』)ことだった。

 つまり何をやってもよかった。彼は『1984年』の専制支配者ビッグ・ブラザーと同じに振る舞い、
焚書と検閲で歴史を改竄し、滅ぼすのに自衛はいらないと憲法まで改変した。

 工業国から農業国に後退させる実験もやった。
そんな非道をやってもそこは侵略をフロンティア精神と言い換える国民性だ。
彼は彼自身を民主主義の伝道者と言い換えて馬鹿な朝日新聞にそう書かせた。 

 臆病な彼は居所の米大使館から竹芝桟橋までの脱出道路を要求していた。
時を超えてその道路が都心に開通する。彼の名でなくビッグ・ブラザー通りと名付けたい。
                                              (転載ここまで)

 いかがでしょうか。びっくりしますね。
                                                     =以上=

 <転載終わり>
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 船井氏が言われるように、マッカーサーは勇気ある軍人かと思っていましたが、実際は全く逆の人だったようです。ほんとにびっくりです。世の中は逆さまなことが多くて、いつも驚いています。
 高山氏とは、8年くらい前に新しい歴史教科書を作る会のセミナーで名刺交換させていただいたことがあります。当時は私は三多摩で作る会の世話役として、イベントを企画したり、イベントの司会などをやってました。その関係で、高山氏とお会いし、イベント終了後に国分寺の居酒屋でみんなと一緒に飲んだことを思い出します。

 その後、高山氏の著書を読みましたが、今回のマッカーサーのように事実と逆の話しをいくつも知ることができ、びっくりした記憶があります。「世界はみんな腹黒い」という本でしたが、欧米のあくどい事実を暴露しているとても面白い本でした。日下公人氏の著書もかなり読みましたが、同じく欧米の横暴が書かれていて、事実と自分の思い込みが180度違うことに対して、自分でびっくりしたことを思い出します。

 また、昨日は2日目のにんげんクラブ全国大会に参加してきました。昨年の大会よりも内容は更にアップしていて、大変勉強になりました。今までのイベントやセミナー・講演会の中で、一番気付きの多い有意義な講演会でした。この内容は後日書きたいと思います。 
  
コメント (2)
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