日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

東京は死者に守られている霊的要塞都市である

2013-02-17 05:56:49 | 日月神示の実践

<一本木新聞より転載>

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東京は死者に守られている霊的要塞都市である

19 2 月 2009No Comment


徳川家康が幕府を開き、江戸の町を作ったときに、風水的な備えをした事はよく知られている。
例えば、日光東照宮を江戸城の真北に、鬼門(東北)に東叡山・寛永寺を置いた。

 

それから、約260年後、大政が奉還されて、江戸城は官軍に明け渡され、明治時代が始まった。
明治政府は幕府とは違う霊的防御をしようとした。
その中心的施設として、新政府のために命を落とした霊を顕彰するために、1869年に東京招魂社を創ったのである。
東京招魂社は最初、上野の山に建設するという案もあったようだが(木戸孝允案)、上野は彰義隊の血が流れた生々しい土地という事で、結局は大村益次郎案が採用され、九段になったという。
これが、後の靖国神社である。
この靖国神社の鳥居が神田明神の真正面を向いている事、冬至の太陽が沈む方向に江戸の浅草寺を見る場所にあるという事、そしてその真反対の方向に明治神宮があるという事の意味は、神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)に詳しいが、僕は、霊的都市東京は、それだけで完成したわけではなかったと思っている。

明治政府は、1869年に東京招魂社が建立されてからの5年後の1874年に谷中霊園、青山霊園、雑司が谷霊園を創っているのだ。
実は、この三霊園に築地本願寺[1]を加えた4つの墓所を線で結ぶと正確に長方形になる。
そして、その長方形の中心に靖国神社がある。
これは単なる偶然であろうか。

さらに、その後、1923年に多磨霊園を増設。この霊園は、靖国神社のほぼ真西に存在している。(これで、明治維新から戦前に作られた都内の大霊園がすべて意味ありげな配置にあることがわかる。)
また、染井霊園は江戸時代から続いている墓地であるが、靖国神社のほぼ北に、両国の回向院はほぼ東に位置している。[2]

上記のように見てみると、靖国神社が、絶妙な位置にあることに改めて驚愕する。
それぞれの墓地に眠る有名人の一部を以下に上げてみよう。

築地本願寺  佐藤栄作、樋口一葉、服部良一、海音寺潮五郎...
染井霊園   若槻礼次郎、幣原喜重郎、岡倉天心、高村光雲...
雑司が谷霊園 小泉八雲、夏目漱石、東條英機、永井荷風...
青山霊園   吉田茂、大久保利通、池田勇人、志賀直哉...
多磨霊園   東郷平八郎、高橋是清、三島由紀夫、岡本太郎...

明治政府は、死者達に守られた霊的空間東京を作ろうとしたのである。東京は、外部からの邪悪な霊を死者の力によって防御しようとした極めて強固な霊的要塞に守られていると言うべきなのだ。[3]そして、もしそうであるとするならば、安易に靖国神社を廃社したり、国立慰霊施設を別の場所に設立するなどということは慎重にすべきかもしれない。
今後、考察を続けたいテーマである。

[1]ただし、築地本願寺の墓地は関東大震災を契機として1934年に和田堀廟所が作られ、多くの墓が築地から移築されている。
[2]したがって、両国国技館も靖国神社のほぼ真西に位置する。ちなみに、靖国神社の真南には国会議事堂と東京タワーもある。
[3]また、最近の都市伝説として、東京を一周する山手線の東北-西南にそれぞれ位置する、上野と渋谷にある、西郷像とハチ公像の犬が東京を守るための狛犬との説もあって興味深い。(なおすけの都市伝説)より

まさむね

<転載終わり>

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 日月神示に靖国を祀れとあるので、靖国神社について調べていたところ、興味深い記事を見つけました。谷中霊園、青山霊園、雑司が谷霊園、築地本願寺四つの墓所を線で結ぶと正確に長方形になるそうです。その真ん中に靖国神社が位置しているそうです。確かに地図で位置関係を確認すると、よく判ります。ここまで正確な長方形になると、この記事にあるように明治維新で亡くなった政府側の死者で東京を守ってもらうという意思を感じることもできるかも知れません(薩摩側の死者は靖国神社には祀られていません)。確かに靖国神社の拝殿の手前に、大村益次郎の大きな銅像があります。ようやくその銅像の意味が分りました。

 1869年に明治維新で亡くなった人たちを祀るために、東京招魂社が建てられました。その後靖国神社と名称が変更されています。靖国神社というと、大東亜戦争で亡くなられた英霊が祀られていると思っていましたが、戊辰戦争から大東亜戦争までの戦争で亡くなられた方々が祀られているとのことです。明治維新の評価は別として、靖国神社とは日本のために命を落とした方々が祀られている墓所の中の墓所という意味合いもあるのかも知れません。 

 

戦争・事変名柱数備考
1868年-1869年/戊辰戦争明治維新 0007751/7751柱   新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。
1877年/西南戦争 0006971/6971柱   政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。
1874年/台湾出兵
(別名:征台の役)
0001130/1130柱   遊就館の靖国の神々の一覧表では、「台湾討伐」とある。
1882年/壬午事変 0000014/14柱 [* 1]  
1875年/江華島事件 0000002/2柱 [* 2]  
1882年/京城事変 0000006/6柱 [* 3] 遊就館の「靖国の神々の一覧表」では、壬午事変、江華島事件、京城事変はなぜか一覧表にない。
1894年-1895年/日清戦争 0013619/1万3619柱    
1900年/義和団事件 0001256/1256柱   遊就館の「靖国の神々」の一覧表では、「北清事変」とある。
1904年-1905年/日露戦争 0088429/8万8429柱   常陸丸事件英国人船員は対象外。但し6月15日斎行の常陸丸殉難記念碑前での慰霊祭では、等しく慰霊されている。
1914年-1918年/第一次世界大戦 0004850/4850柱    
1928年/済南事件 0000185/185柱    
1930年/霧社事件      
1931年06月/中村大尉事件 0000019/19柱 [* 4]  
1931年09月-1932年02月/満洲事変 0017176/1万7176柱    
1937年-1945年/支那事変
日中戦争
0191250/19万1250柱    
1941年-1945年/大東亜戦争
太平洋戦争
2133915/213万3915柱   第一次インドシナ戦争[* 5]などの「大東亜戦争後のアジア独立戦争」で戦没した者も含む。
246万6532柱

 

 

・一本木新聞


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