日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

ラビ・バトラ博士の予言

2008-11-30 16:36:10 | 日月神示関連の情報
 ラビ・バトラ博士は2009年をとても重要な歳と指摘しています。

SI:あなたは10年間の最後の年が非常に重要であると述べています。

バトラ博士:はい、過去80~90年間を分析すると、10年目の最後の年に、新たな10年のヒントとなるような出来事が起こっています。1929年には世界大恐慌の始まり、1939年は第二次世界大戦の始まり、1949年は中国革命と原子爆弾の投下、1959年はキューバ革命、1969年は1970年代に世界を襲った大インフレの開始、1979年はイラン革命、1989年はベルリンの壁の崩壊がありました。1999年には、グリーンスパン氏が金利を上げ始め、株式市場が暴落しました。2009年もまた極めて重要な年となるでしょう。社会周期の法則や他の周期を考慮すれば、経済は悪化し、問題は次の10年に持ち越され、変化の必要を呼び起こし、勇気ある指導者が要求されるでしょう。ですからお金を蓄えて正しいリーダーを支持することが大切です。

 ●ラビ・バトラ博士インタビュー
  http://sharejapan.org/sinews/200/212/post_210.html

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ラビ・バトラ博士へのインタビュー

2008-11-30 13:29:19 | 日月神示関連の情報
 ネットでラビ・バトラ博士について調べていたところ、シェア・インターナショナルというサイトに、博士へのインタビューが載ってました。とても興味深い内容です。中矢伸一氏も「日月神示 ミロクの世の到来」という著書で、ラビ・バトラ博士のプラウトについて書かれていますので、その著書を読んでいると下記インタビューがより理解できると思います。
 その著書で言われているのは、3つの覇権が交互に世界を支配するという理論です。どの層が国を支配しているかということです。

武人の時代→知識人の時代→富裕層の時代→武人の時代(このサイクルの繰返し)

<今の時代は>
・アメリカ・欧州・インドは「富裕層の時代」から「武人の時代」への移行期

・日本は「富裕層の時代」のほぼ絶頂期

・イスラム社会は「知識人の時代」から「富裕層の時代」への移行期

・ロシアやアフリカ発展途上国は「武人の時代」から「知識人の時代」への移行期

・中国は「武人の時代」の初期段階

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新しい黄金時代
2008年11月号経済学者ラビ・バトラ氏へのインタビュー

2006年、テキサス州ダラスのサザン・メソジスト大学の経済学教授であるラビ・バトラ博士は、『新しい黄金時代:政治腐敗と経済混乱に対する来るべき革命』と題する著書を書いた。来るべき革命についてのバトラ博士の予測は社会周期の法則に基づいているが、これは彼の師である哲学者、歴史家、霊的教師PRサーカー氏によって提唱されたものである。この法則によれば、いかなる社会においても、支配的な社会階級の特質がその時代の文化を定義づける。それぞれの階級は繰り返し順番に支配的になる。労働者、兵士、知識人、そして最終的には貪欲者たちの時代があり、そのあとには再びその順番が繰り返す。貪欲者の時代のピークの後、下降期の中間において、貪欲者は労働者と権力を分かち合わなければならない。この騒然とした段階は、今日の状況を現しており、社会は暴発する犯罪、家族の絆の崩壊、子供や老人の虐待、メンタル的肉体的規律への反感、過度の物質主義と商業主義、富者と貧者の格差の拡大、中流階級の没落などによって引き裂かれている。しかし新しい時代、兵士の時代は、労働者たちが反逆し、勇気ある指導者が立ち上がって「黄金の時代」へと導く革命を鼓舞する、と彼は述べる。これらの概念を明らかにするために、バトラ博士はシェア・インターナショナル誌のベッツィー・ウィットフィルによるインタビューに応じた。

シェア・インターナショナル(SI):いまや誰もが変化を求めています。あなたは著書の中で、私たちが希望する「黄金時代」のアウトラインを提示しています。この「黄金時代」とはどんなものなのでしょうか。
ラビ・バトラ博士:私が2006年に本を書いた時、変化について話している人は誰もいませんでした。私は、変化は不可避的にやって来ると予測する理論モデルを使っていました。私は2009年をこの変化が始まる年であると述べました。それは既存の秩序に対する変化であり、政治的、経済的に行われてきたやり方に対する変化です。この既存の秩序は人々の間に多くの反感を生み出し、そのために変化が要求されているのです。変化という言葉で私が意味しているのはいくつかの政策の小さな調整ではなく、革命です。私は歴史において、革命は簡単には起こらず、革命が成功するには三つの条件があることを発見しました。第一に、政治腐敗とそれに対する人々の怒り、第二に、経済が悪化し、政府が民衆の苦境に注目を与えないこと、第三に、時にはこれが引き金となりますが、不人気な戦争です。今日のアメリカにはこの三つの要素が存在しています。ですから私は、2006年に、来るべき革命を自信を持って予測したのです。今日では、既存の体制側からも変化の欲求の声が上がっています。このようにして体制側は批判を逸らそうとするのです。模倣する者は効果的なリーダとなるのに必要な特質を持ちません。私たちは新しい兵士の時代に直面しており、必要とされる変化を主導することができるリーダーは多くの勇気を持つ兵士でなければなりません。大きな変化は、CEOの途方もない賃金のカットでしょう。人々は恐ろしい経済の苦難を体験しますが、経済は劇的に改善され、新しい黄金時代が始まるでしょう。生活水準は上がり、より良い価値観が生まれるでしょう。老人を敬い、若者や社会の弱者を尊重するものとなるでしょう。家族が再び基本的な社会の単位となり、子供は自己規律を教えられ、犯罪は減るでしょう。
SI:来るべき黄金時代に存在する理想的な経済とは何でしょうか。世界の人々にとって生活はどう変わるでしょうか。
バトラ博士:理想的な経済は、経済的民主主義を要求します。それは、大企業において被雇用者が持ち株の大部分を所有することです。そのようなシステムにおいて、賃金は生産性の上昇とともに上昇し、貧困は減るでしょう。これは政府の財政赤字なしに完全雇用を維持するシステムです。それはインフレと公務員の腐敗も除去します。
SI:最近、先進国では金融崩壊が進行しています。これはその過程の一部ですか。
バトラ博士:はい。歴史的に、変化を起こす上で、経済の悪化は不人気な戦争と同じくらい重要です。ですから私は完全な市場のメルトダウンを予測し、2008年には株式市場が下落し始め、2009年には著しく暴落し、経済政策に大きな変化があるまでそれは続くと述べました。次のアメリカ大統領が正しい経済的変化を起こさなければ、彼もまた問題を抱えるでしょう。
SI:しかしあなたは、変化を完了するには7年かかると書いています。
バトラ博士:それは新しい大統領が必要とされるものをいかに早く学び、議会を説得できるかにかかっています。私は、2010年までに物事があまりに悪化するので、議会は真の解決策を探すことになると思います。最初は既存の専門家の助言を請うでしょう。ですから全体のプロセスは2012年あるいはもっと後に延びるかもしれません

 ●シェア・インターナショナル
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ハンバーグを喰う

2008-11-30 10:46:32 | 日月神示の実践
 今まで、家族や友人、会社の親しい人など、5人に日月神示を伝えましたが、その中の一人が、2ヶ月くらいの間、肉を食べていなかったそうです。ところが、先週の木曜日にお客さんから昼食の接待を受けることになったとのことですが、そのメニューがハンバーグだったそうです。既に注文されてあったため、メニューを変更することもできず、その流れでハンバーグを食べたそうです。
 その翌日の金曜日は、朝から頭がボーっとして、身体もだるくかったそうです。しばらく何が原因で、だるいのか判らなかったようですが、ふとハンバーグを食べたことを思い出したそうです。科学的に証明されているわけではありませんが、翌日にはだるさは取れたとのことなので、その人はやはりハンバーグが原因ということも考えられるのかも?と言ってました。
 私は、日月神示に出会った8月から肉そのものは食べていませんので、身体がだるくなるという経験はしていません。ただ、寄せ鍋に肉が入っていたりした場合は、そのスープは飲むわけですので、間接的に肉の成分を摂っていることになります。スープを飲んでも私は身体がだるくなくなどの反応は出ませんが、気付かない何らかの現象が出ているのかも知れません。
 今の時代は、外食でも家で食べるにしても、肉を避けることは結構大変だと思いました。昼食は外食ですのが、肉以外のメニューを探すのは、かなり大変です。いつも会社の同僚と行く定食屋は、定食屋なのに肉料理がメインです。肉以外は、焼き魚か、刺し身しかありませんので、完全菜食は不可能です。ラーメンも鳥や豚、かつおなどでスープを取るので、肉食と何ら変わりません。
 また、家でも肉自体は食べないようにはしてますが、寄せ鍋などには肉の成分が入っていますので、肉食をしているのと同じだと思います。豚や鳥の生命を奪っていることになります。我が家は、冬場は40%くらいが鍋料理なので、なかなか大変です。家内に肉を入れないで欲しいと言ってますが、馬耳東風です。
 今の日本の社会では、肉や魚のないメニューはほとんど無いかもしれません。そういう意味では、仕方ないのかも知れませんが、いずれ弁当を持参するなどの対応は考えていきたいとは思います。100%は無理でも、80%くらいは実現したいと思います。

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「完訳 日月神示(上巻)」 岡本天明・書 、中矢伸一・監修

2008-11-29 21:22:36 | 日月神示の実践
 「完訳 日月神示(上巻)」が本日届きました。岡本天明氏の自動書記を、中矢伸一氏が監修したものです。上巻は第一巻の「上つ巻」から第二十三巻の「海の巻」までとなってます。下巻は来年春ころには完成するとのことですので、予約して購入したいと思ってます。
 この「完訳 日月神示」は日本弥栄の会が発行していますが、一般の書店では購入できません。会員向けに発行されたものですので、毎月送付されて来る日本弥栄の会の機関誌の「たまゆら」と一緒に購入申込書が入っていますので、その購入申込書で、購入しました。木曜日に申し込みのFAXをしましたが、もう届きました。とてもわくわくしながら、中身を開けましたが、453ページのやや厚目の本が現れました。なんとももったいない感じで、うやうやしく見ることにしましたが、岡本天明書、中矢伸一監修と書かれてあり、とても自分にとっては貴重な本に思えました。どれほど貴重なのかは、表現できませんが、今までの本の中では、一番大事な一冊であることは言うまでもありません。
 早速今拝読していますが、ネットにアップされている日月神示を読むときよりも、訴える力が強いように感じます。神様から直々にご指導いただいているように感じます。八通りに読めると言われている日月神示を、今後何度も読むことにより、身魂磨きに励んでいきたいと思います。そして、会社や家庭や社会で神示を実践することにより、心と身体で会得していきたいと思います。今日は自分にとって、大変記念すべき日となりました。とても嬉しく思います。
コメント (4)
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中矢伸一氏の今週の一言

2008-11-28 08:32:35 | 日月神示の実践
 中矢伸一氏の今週の一言が載ってます。

 「日月神示はもう古い?」

 ●今週の一言
  http://www.nihoniyasaka.com/

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ザ・フナイ 「有意の人」と「百匹目の猿現象」

2008-11-27 12:48:53 | 日月神示の実践
 船井幸雄.comに「有意の人」の記事があります。
何故、毎年船井幸雄オープンワールドを開催したのかが興味深かったです。また、今年、来年の意義についても書かれています。

 ●船井幸雄.com
  http://www.funaiyukio.com/thefunai/

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激突!合気道

2008-11-26 12:38:13 | 日月神示の実践
 大学3年のころ、合気道部同期の3年部員8名くらいで、「激突!合気道」という映画を見に行ったことがありました。
 合気道開祖の植芝盛平翁先生が、出口王仁三郎聖師に弟子入りする場面が印象的でした。千葉治郎さん主演で、兄の千葉真一さんが相手役でした。
 この映画をもう一度見てみたいですが、どこにもないようです。

 ●激突 合気道
  http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD18433/story.html

 ●植芝盛平翁先生の演武
  http://jp.youtube.com/watch?v=QLK9UA6kmY4

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日月神示は裏の裏までよく読め-裏の裏は表

2008-11-24 10:47:45 | 日月神示の研究
 昨日の中矢伸一氏の著書の続きです。

『神に対して素直になり、謙虚な気持ちになることは勿論大切である。信仰というのは、まず神に任せきるところから始まる。
 しかし、それはあくまで自分自身の足で歩き、努力を重ねた上でのことである。
 自分では何の努力もせず、何も考えず、すべて他人まかせで、他者に判断と責任を押しつけているようでは、いつまでたってもけっして神の御意に添うことはなく、また自分のためにもならないのである。
 一つの宗教に囚われ、無我夢中になることは神意ではなく、かと言って宗教を頭から否定し、「神がいるならさっさと救ったらいいではないか」と主張することもまた神意ではない。
 われわれ一人一人が確立すべき生き方とは、自分の頭で真剣に考え、判断を下し、それに基づいた行動を起こし、しかる後に反省し、その行動に対して自ら責任を取る、というプロセスの繰り返しである。その中で、神仏に対する敬虔な思いを片時も忘れず、すべてにおいて任せきるという真の信仰を持つことが必要となってくるのである。
 このバランス感覚は難しく思えるかも知れないが、この姿勢こそ神がわれわれに期待される生き方であり、これ以外に「神人一体」に至る道はない。そしてそのコツは、自分自身が、体験を通じて会得するしかないのである。
 こう考えると、日月神示に、

 「自分で判断できることを何故に聞くのぢゃ。神に聞けば神に責任をきせるのと同様ぞ。人間の悪いクセぞ。出直せよ」(「月光の巻」第十四帖)

 「一足飛びには行かん。一歩一歩と申してあろう。一度に神様を知りたいと申してもそうはいかん。一年生からぢゃ。出直し出直し。子供に大学のことは判らん。十貫の荷物は担げん道理。進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ。金もいるぞ。汗もいるぞ。血もいるぞ。涙もいるぞ。良いものほど値が高い」(「春の巻」第五十八帖)

 「信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違い。迷信ぞ。時間もいり手数もいる。物も金もいる。大き努力いるのであるぞ。取り違い多いのう」(「夏の巻」第九帖)

 などと示されている意味がよく納得出来るのではあるまいか。
 細かく、具体的にああしろ、こうしろと明示しないのはそのためなのである。

 「細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして神から御礼申すぞ」(「上つ巻」第二十七帖)

 「何でも判るように神示で知らしておくぞ。(中略)この神示も身魂によりどんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ」(上つ巻」第二十七帖)

 「知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとならん」(「春の巻」第四十三帖)

 神示に示された”親心”を汲み取って、天地に働くのは、われら臣民の務めであると言えよう。そのように努力を重ねる過程で、失敗もあり、成功もあり、損をすることもあり、上手くいくこともあり、凶が吉に転ずることもある。
 かくして、神示が血肉となり、揺ぎない信仰が確立され、どんな時にも常に「嬉
し嬉し」の気持ちで動ずることのない、はらに神のしっくりと鎮まった「神人」へと昇華(しょうげ)が許されるのである。(・・・続く)

 この内容は、日月神示を実践するにおいて、最も重要なポイントだと思います。
つまり、
---------------------------------
<神に対する敬虔な思いを忘れず、全て神に任せきるという真の信仰の基盤で>

 自分で考える→ 自分で判断を下す→ 判断に基づいた行動をする
     ↑                 ↓
    自分で責任を取る  ←   その行動を反省する
           〔この繰り返し〕
---------------------------------

 これは一朝一夕には会得できませんが、1年、10年、30年かけて体得していきたいと思います。そして、あの世に行ってからもやり続けたいと思います。
コメント (2)
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日月神示 「外在の神」から「内在の神」へ

2008-11-23 16:44:43 | 日月神示の研究
 中矢伸一氏は著書の中で、このように言われています。

『日月神示の特異性について論じる時、見逃してならないのは、そこに一貫して流れるアンビバレント(両面価値的)な姿勢である。
 ある時は「金も人も要らぬ」といい、ある時は「金も人も要る」という。
 また、「集団(まどい)作ってはならぬ」とあるが、「集団作れ」ともある。
 「急いではならんぞ、急がねばならんぞ」(「地つ巻」第十八帖)という言葉もある。
 原文を読む人の中には、こうした神示の”二重基準(ダブルスタンダード)”を思わせる表現に、戸惑う向きもあるかも知れない。人によっては、その一節のみを抽出し、勝手な解釈をして、あらぬ方向へ走る人もあるようだ。つまり、「金も人も要る」とも示されているからといって、寄付金やら信者集めのような、宗教的行為を始めるようなケースである。
 日月神示に記された言葉は、ある部分、極めて具体的であるが、抽象性もまた高い。解釈の仕様によっては、いかようにでも取れるようになっている。
 「この神示、八通りに読めるのざぞ」と数ヶ所示されているのは、そうした意味もあるのだろう。
 何故、「こうしなさい」「こうしてはならない」と具体的に、いっさい疑問や独善的解釈の入る余地のないように明確に述べされていないのか。
 実は、ここのところにこそ、既成宗教の教典や教義には見られない、極めて重要な特徴が表れているのだ。
 それはすなわち、神はわれわれ一人一人に、自分の霊性に基づく正しい「判断力」を発揮することを求めている、ということに他ならない。
 普通、宗教には教典や教義があって、日常の行動様式がハッキリとしている。どういう生き方をすれば良いか、すべての規範はその教典や戒律、あるいは教祖・宗祖の指し示すところに委ねられる。
 この場合、判断の基準というのは、絶対的にその教典なり教祖なり、他者の側にある。
 自分にあるのではない。自分はむしろ判断してはいけないことになっている。あくまで従順に、私心を差し挟むことなく、その教えるところに従うことが要求される。
 これが、宗教が持つ根本的な弊害なのである。
 霊性進化の途上において、人によっては、ある程度までこうしたやり方が必要な場合もあろう。しかしこの段階は、私がたびたび自著の中で述べているように、神が自分の外にある状態なのである。いわゆる「外在の神」である。
 「外在の神」のレヴェルにある時は、ああしろ、こうしろと、いちいち指示を受けなくてはならない。自分の考えや判断の基準というのはそこにはない。教義や戒律の内容、あるいは教祖の方針に変更があれば、何の疑問も持たずにそれになびいていく。
 Θで言えば、ゝ(神)と○(身体)とが分離している。いわば、ゝが○の外にある状態なのである。
 神の分霊たる人(霊止)の、本来の姿とは、Θである。神が自分の中にしっくりと納まっている状態であり、こうなると、教義や戒律といった手カセ足カセは必要なくなる。すなわち、宗教というものに属する必要もなくなるのである。
 このΘの状態を称して「内在の神」という。つまり、「神」と「人」とが一体となった「神人(かみひと)」である。
 われわれ人類は、一人一人がこの「神人」を目指さなくてはならない。すべての判断を教団や教祖、あるいは霊能者に委ねているうちは、霊性の発展段階としてはまだまだ未熟なのである。
 日月神示は、そのことを踏まえた上で、縁ある身魂に様々な示唆を与えようとしている。他を頼るのではなく、自分自身の足で、真理の大道を歩ませようとしているのだ。

 「道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ」(「下つ巻」第十一帖)

 「道は自分で歩まねばならん。自分の口で食物噛まねばならん。噛みしめよ」(黒鉄の巻」第四帖)

 「他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地を踏みしめよ、大地の気が身内に甦るぞ」(「扶桑之巻」第十五帖)

 「気つけ合ってよきに進んで下されよ。そなたが歩むのぢゃ。道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かせてくれるのではないぞ」(「月光の巻」第四十七帖)

などと示されているのは、そうした意味からである。』(中矢伸一氏著「正釈 日月神示」より)

 この著書を読むと、人にとって、初歩の段階では一般的な宗教のように、教義や戒律に従って信仰して行くことも必要かも知れないが、最終的には戒律や教祖の言いなりになるのではなく、自分自身で判断を下して進むことが大事だと言われています。これこそ、神が自分の中におられる状態という意味になります。
 このことからしても、日月神示は脱宗教と言えると思います。より正確には、脱宗教団体と言った方がよいかも知れません。教祖の言うことだけを、100%実行するのではなく、自分で考え、自分で判断して決めなさいということです。上級の信仰とも言えると思います。キリスト教や仏教にもあるように、人を殺してはいけない、盗んではいけないなどの人間としての基本もできてない人は、戒律に縛られるべきなのは当然ですが。
 自分なりにまとめると、
 初級:戒律必要(=単なる人間、外在の神)
   ↓
 上級:戒律・教祖・宗教団体は不要(=神人、内在の神)

 教祖も宗教団体も不要などと説いている神は、聞いたことがありません。神の言葉(日月神示)に沿って、自分で判断して自分で決めろという道なのだと思います。自己責任の道ですから、結果は自分で責任を取るのが当たり前になります。厳しいですが、そのほうがやり甲斐があって、自分には合ってると感じました。

 *外字登録をしていませんので、恐縮ですがΘとゝを便宜上使っています。

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二宮神社に参拝する

2008-11-23 15:47:42 | 日月神示の実践
                              

 先週の土日に開催された、「古神道の智慧セミナー」で、あきる野市の二宮神社の御祀神は国常立尊であると、中矢伸一氏が講演されていましたので、今日行ってみました。
 家内とわんこと一緒に車で行きましたが、あきる野市に入って、五日市街道から100mくらい入ったところなので、すぐに分かりました。電車だと、JR立川駅から五日市線の東秋留駅(ひがしあきる)から、徒歩3分だそうです。
 犬などの動物は、ご神域である神社には入れないとのことなので、家内にわんこを預けて、一人で参拝することにしました。本堂も社務所も立派でした。また、大勢の地元の人が、年末の行事について打ち合わせしていて、活気がありました。
 国常立尊を祀っている神社は、全国でもそう多くはないとのことです。地球神である国常立尊は、日月神示では地球がまだ泥の海だったころから、ご活躍されておられた神様ということなので、地球では一番古い神様とのことです。現在は、立派な鳥居やしめ縄がありますが、その昔は多分岩や石が質素に置かれていただけのひもろぎ磐境(いわさか)であったと思います。鳥居や注連縄は渡来人から、2000年から2100年前に伝えられたようだと中矢氏は言われていました。国常立尊を悪神たちが、根の国に追いやって、二度と出て来るなという意味で、注連縄を張ったと、中矢氏のセミナーで教えていただきました。そういう意味では、日月神示では注連縄や鳥居を必要としていません。岩や石があればよいと言ってます。
 この二宮神社は少なくとも、2000年以上前から存在していたということになりますが、地球で一番古い神様を祀っていますので、もしかしたら5000年、1万年前からこの地にあったのかもしれません。日月神示を勉強していると、縄文時代の話しがよく出てくるので、最近では100年前や300年前のことは、つい最近のことのように感じてしまいます。縄文時代は1万3000年以上前ですし、地球がまだ泥の海だったころとは、40億年くらい前のことでしょうか。気の遠くなるような時間です。そのまるで無限のような時間を、国常立尊は生き通しの神として、地球を守護してこられたとのことです。その神がこの度、日月神示を岡本天明氏を通して、世に現しました。いよいよ岩戸が開かれたと神示には書かれています。

 

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